適塾 緒方洪庵旧宅

適塾 緒方洪庵旧宅

適塾 緒方洪庵旧宅は、蘭学者、緒方洪庵が弘化二年(1845)に、住宅として移り住み、将軍侍医として17年後に江戸に行くまでの間、私塾「適塾」を開いた場所。

緒方洪庵はコレラの治療や天然痘の予防などに大きな貢献をした人物。足守藩士佐伯惟因の三男として生まれ、16才の元服まで足守陣屋城下(岡山県)で育ち、文政8年(1825)、足守藩大坂蔵屋敷の留守居役となった父とともに大坂に出、思々斎塾に入り、その後、江戸、長崎などで経験を積み、天保9年(1838)、大坂に戻り29歳のとき医者を開業、合わせて蘭学塾「適塾」も開いた。福沢諭吉や大村益次郎も適塾に入門している。

適塾は船場エリアにあり、表の通りは、内北浜通(うちきたはまどおり)といって、土佐堀川に近い北浜通(きたはまどおり)とともに各藩の集散地として栄えた場所にあたる。昭和39年(1964)、江戸時代末期の大阪の代表的な町屋建築として、旧緒方洪庵住宅は重要文化財に指定されている。現在は大阪大学が所有し一般公開している。

緒方洪庵の銅像(適塾横)
適塾の西隣りには公園があり、緒方洪庵の銅像がある。

緒方洪庵生誕地
足守陣屋城下(岡山県)の緒方洪庵生誕地にも銅像が建立されている。

余談ながら、現地の古老によると、第二次大戦時の大阪空襲による爆弾は、適塾から4ブロック南にある平野町通(ひらのまちどおり)より南側に落ちた。そのため、船場でもこのような町屋が今でも数カ所残っている。平野町は船場島之内と呼ばれた当時の商業の中心地で、戦前はその平野町通から大阪城天守閣を正面に望めたらしい。

(文・写真=岡 泰行)

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