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秋月陣屋(秋月城)は寛永元年(1624)頃、黒田長興が秋月藩の政庁として築いた居館だ。古処山を背に野鳥川を外堀とする地形を生かした構えをもち、掘割や石垣、黒門などの遺構が残る。武家屋敷や桜並木の続く城下町景観も大きな魅力となっている。このページでは秋月陣屋の歴史と構造、見どころを豊富な写真とともに紹介する。
写真:林田公範
秋月陣屋の歴史・見どころ
秋月は、標高859.5mの古処山を主峰とする筑紫山脈に囲まれた小盆地に位置し、朝倉から筑豊へ至る交通の要地として古くから重視されてきた地だ。建仁3年(1203)、秋月種雄が古処山城を築いて以来、中世を通じて原田氏(のち秋月氏)の本拠として発展し、周辺には複数の城が築かれた。
戦国期には秋月文種が豊後の大友氏に属し、のちに一時秋月を退去するが、天正年間(1573~1592)に秋月種実が旧領を回復した。ところが天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州平定に際して島津方として抗戦したため、種実は日向財部へ移封されることとなった。
慶長5年(1600)、関ヶ原合戦後に筑前一国を与えられた黒田長政の支配下に秋月も組み込まれる。元和9年(1623)、福岡藩2代藩主黒田忠之は弟長興に5万石を分知し、長興は秋月に居所を定めた。寛永元年(1624)頃から陣屋の築造に着手し、古処山を背後に野鳥川を外堀とする居館を整備した。この際、古処山城など旧城の資材が転用されたと伝わる。
以後、秋月藩は夜須・上座・下座・嘉摩四郡の一部を領して安定した藩政を行う。島原の乱では長興が兄忠之とともに原城を攻めて功を挙げ、藩内からは御典医緒方春朔や儒学者原古処などの人材も輩出された。だが明治9年(1876)、旧藩士らが新政府に反発して挙兵した秋月の乱が起こり、小倉鎮台兵によって鎮圧される。これを契機に、秋月藩の歴史は大きな転機を迎えた。
秋月陣屋の特徴と構造
秋月陣屋(秋月城)は小盆地の北縁、古処山の山裾に築かれた平山城的な陣屋で、規模はおよそ180m四方とされる。背後を山地に守られ、前面には野鳥川を外堀として利用するなど、地形を巧みに生かした構えをもつ。
周囲には掘割と石垣がめぐり、大手門(黒門)は戦国期の古処山城搦手門を移築したものと伝えられる。山城風の素朴な意匠を今に伝える遺構として貴重な存在だ。
また嘉永3年(1850)に建てられた長屋門や重臣屋敷の門なども残り、陣屋を中心に武家屋敷街が整然と配置された城下町構造が特徴的である。藩校稽古館跡の石垣や「杉の馬場」と呼ばれた通りなど、藩政期の都市景観を示す遺構が現在も確認できる。
秋月陣屋の整備状況
現在、陣屋跡は秋月中学校の敷地として利用されているが、校地前面には掘割や石垣が良好な状態で残る。黒門や長屋門は県指定建造物として保存され、周辺には武家屋敷や秋月眼鏡橋、藩校跡など城下町の歴史的景観が連続して残っている。
近年は朝倉市による町並み保存の取り組みが進められ、秋月の武家屋敷地区は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。桜並木の続く通りや歴史的建造物の修理・公開が行われ、城下町全体を一体的に体感できる環境整備が進んでいる。歴史資源の保全と観光活用を両立させる取り組みが続けられ、往時の秋月藩の面影を今に伝えている。
参考文献:
- 『日本城郭大系18』(新人物往来社)
- Webサイト「秋月城下町」(朝倉市)
秋月陣屋周辺の観光スポット・史跡めぐり
秋月種時の墓や腹切岩などが、秋月陣屋城下の北にある。また、体力と時間があれば城の裏手にそびえる古処山に秋月氏の居城であった古処山城があります(林田公範 1998)。
秋月陣屋周辺グルメ・名物料理
「黒門茶屋」お休みお食事処。秋月城大手門に続くかつての登城道の側。秋月名物で珍味川茸を使った川茸定食と葛餅は美味(林田公範 1998)。
秋月陣屋アクセス・駐車場・営業時間
秋月陣屋周辺ホテル・宿泊情報
「祐徳園」秋月公民館の通りを200mほど山手に直進すると駐車場があります。秋月焼の横です。また、ちょっと足をのばせば原鶴温泉があります(秋月古処 2000)。
秋月陣屋をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
秋月郷土館では秋月黒田藩旧地図をたしか500円で販売してましたが、ぺらぺらのコピーです。秋月郷土館で「秋月史考」や「望春随筆」などの書物を売っています(林田公範 1998)。
秋月城の復元模型(1/100)がすぐ横の秋月郷土館に展示されています。これは地元の若手有志により企画・製作されたものです(白山熊鷲 1998)。秋月郷土館には教科書にも載っている「島原の欄屏風絵図」などあり必見です(秋月古処 2000)。
秋月陣屋:城ファンの知見と記録
秋月陣屋を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全3件)。







城下町は、観光地化されて杉の馬場というメイン・ストリート沿いには、店がたくさんできてしまったのは残念です。その杉の馬場ですが、春には桜の花のトンネルが500mにわたって続き見事です。夏は、潭空(だんご)庵などの納涼場が、秋は黒門付近の楓の紅葉がきれいです。冬もよく雪が降り、また一興の趣があります。
城の規模そのものは小さいのですが、秋月の町全体が城下町の造りをよく残しています。明治維新当時の城下町絵図と今の町の様子がほとんど変わらないというのは、すごいと思います。
鎌倉時代に秋月種雄が筑後山脈に囲まれた古処山に築城、その後、黒田長政の遺命により筑前領の内五万石を分領し三男、長興が秋月黒田藩主となり現在の地に秋月城を築城したそうです。思っていたより規模は小さく小規模な石垣と復元された長屋門、黒門などがあります。