写真:岡 泰行

知覧城の歴史と見どころ

南九州特有のシラス台地の城。本丸以外は、二の丸、三の丸などそういった名称ではなく、各曲輪が「城」と名付けられている。知覧城では本丸の南側に「今城」、東側に「蔵之城」といった具合だ。Googleマップ等で知覧城跡のプロットは、知覧城の本丸前にあたる道路(空堀)にある。駐車場から案内板まで少し距離があるが、案内板付近から本丸下の空堀に入ることができる。ちなみに空堀は、土砂が堆積しているが本来はさらに7m深かったらしい。

知覧城の歴史

平安時代にこの地の郡司であった知覧忠信が築城したと伝わるが定かではない。1353(文和2)年、島津氏第4代当主・島津忠宗の三男、佐多忠光が足利尊氏にこの地を安堵されてから安土桃山時代まで、ほとんどの時期が佐多氏の居城であった。しかし、1588(天正16)年ごろ、火災により焼失。以後は廃城となり、支城であった亀甲城とその麓が、知覧郷の中心となった。

早くに廃城となったこと、石垣のない土塁の城だったことから遺構が比較的残っている。中央部の本丸、蔵ノ城、それに隣接する弓場城や今城、さらに東丿栫、西丿栫、式部殿城などと呼ばれる郭群が取り囲む。それぞれの郭は深い空堀で仕切られた南九州の山城によく見られる構造となっている。

ミュージアム知覧

ミュージアム知覧は「交錯する文化の波」をテーマに、知覧城、武家屋敷群などに関する資料の展示(鹿児島県南九州市知覧町郡17880)。

知覧城の散策コース

城内は散策自由(一部薮もあるので、履き物や服装に留意)。

知覧城の撮影方法

知覧城は、シラス台地の城のため、ビジュアル的に特に日の向きなど気にしなくて良いが、木々が生い茂っているため、光のまわりやすい曇天が良いかも。

知覧城の関連史跡

知覧武家屋敷群

知覧武家屋敷群鹿児島県南九州市知覧町郡地区にあり、江戸期の風情がよく残る通りだ。知覧城が廃城になった後、支城であった亀甲城の麓に薩摩藩特有の領地支配システム「外城」のひとつとなった。1981(昭和56)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。また、7か所ある武家屋敷庭園は国の名勝に指定されている。余談ながら、武家屋敷はその外観から、位が分かる。肩付き門で石垣が四角石であれば最も位が高い。肩付きでない門は分家を意味しているそうだ。

知覧特攻平和会館

第二次世界大戦中、陸軍航空隊の基地があり、ここから多くの特攻隊員が出撃していった。館内外には、特攻関係の資料や隊員の写真や遺書などが展示されている。歴史好きなら、いやただの旅行であっても立ち寄るべき場所だと言える(鹿児島県南九州市知覧町郡17881)。

知覧城のおすすめ旅グルメ

高城庵(たきあん)

知覧武家屋敷群の中にあり、古い屋敷を食事処として開放しているほか、国選定・重要伝統的建造物群 保存地区の保存建物「二ツ家」も団体予約用として使っている。ミニ懐石風御膳、鹿児島の郷土料理「とんこつ」などの定食類、名物の知覧茶を使った茶うどんなど多彩(鹿児島県南九州市知覧町郡6329)。

知覧茶

は有数の茶どころとして知られる知覧のお茶。市町村単位では、全国一位の生産量を誇る。明治期に佐多島津氏が払い下げた山野の開墾から広まっていったという。お土産にも最適ですぞ。

知覧城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

富屋旅館

富屋旅館」は、たくさんの特攻隊員の世話をしたことから「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんゆかりの旅館。別館や昼の食事処もある(鹿児島県南九州市知覧町郡104)。

その他の宿泊施設

南九州市知覧観光協会のWebサイトで紹介されている。交通の便が良いとは言いがたいので、県内の外の城跡にも行くのなら鹿児島市を拠点にレンタカーなどでめぐるのもおすすめ。

知覧城のアクセス・所在地

所在地

住所:鹿児島県南九州市知覧町永里 [MAP] 県別一覧[鹿児島県]

鉄道利用

JR九州鹿児島中央駅から、鹿児島交通バス特攻観音入口行で1時間14分「中郡」下車、南東へ徒歩15分。

マイカー利用

九州自動車道(または指宿スカイライン)谷山ICから約45分。駐車場(無料)有り。

城ファンの気になるところ (2)

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    知覧城は南九州を代表する中世城郭で国指定史跡です。とにかくこの城は、空堀が圧巻。ぜひ現地に立って切り立った崖と堀を体感してみてほしい。もちろん全ての曲輪の踏破は、広大すぎて、また、全てに整備の手が入っている訳ではないので、行けない。

    ( 次男坊)

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    地元主審ですが、地元の知名度はほとんどなし。それゆえ今なら無料でじっくり堪能できる。

    ( 城好きの匿名希望)

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