麦島城の歴史と見どころ

八代駅前の「コーヒー店・ミック」で「麦島城を考える市民の会」が作成したパンフレットを入手できます。行政は資料をつくっていません。
[山内淳司 (2002.12.05)]

市内観光案内所、市役所などでGETできる八代再発見の旅『八代城ものがたり』が八代市のサイトで見られるぞ。

麦島城の撮影方法

発掘現場全体が撮影スポットです。ただし、発掘現場ですので通常全てブルーシートで覆われていますので、見学に来る際は前々日までに八代市教育委員会文化課宛連絡が必要です。連絡しても当日雨ならブルーシートで覆われています。
※現在は埋め戻され、保存されています。
[山内淳司 (2002.12.05)]

麦島城の関連史跡

国指定名勝 松浜軒、八代城(松江城跡)、古麓城跡(一番最初の八代城、山城)など。
[山内淳司 (2002.12.05)]

麦島城のおすすめ旅グルメ

「コーヒー店・ミック」喫茶店。八代駅前。エスプレッソがうまい。ここで麦島城のパンフレットを忘れずGET!
[山内淳司 (2002.12.05)]

麦島城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

ビジネスホテルがあります。いつでも泊まれますよ。
[山内淳司 (2002.12.05)]

麦島城のアクセス・所在地

所在地

住所:熊本県八代市古城町 [MAP] 県別一覧[熊本県]

鉄道利用

JR鹿児島本線、JR肥薩線、八代駅下車、駅前よりバス「農事研修センター前」降車、徒歩5分。または駅からタクシーに乗り「麦島城跡発掘現場まで」と伝えてください。

マイカー利用

前川にかかる「新前川橋」を渡り、中洲である「麦島」に。42号線からエブリワンの角を西に入ってすぐのお寺の北側一帯。
[山内淳司 (2002.12.05)]

城ファンの気になるところ (2)

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    平成8年度から開始した発掘調査で姿を現した幻の近世城郭、織豊系城郭です。天正16年(1588)に小西行長が築城した平城で、九州最古の石垣、天守閣、小天守、本丸御殿を有していました。関ヶ原の戦いで小西行長が刑死した後は加藤清正の城郭となり、また元和元年(1615)のいわゆる「一国一城令」でも破城されずに熊本城とともに肥後藩の「一国二城体制」を支えた城郭です。しかし、元和5年(1619)3月の地震で倒壊し、現在の八代城(松江城跡)に移転しました。

    ( 山内淳司)

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    発掘調査では前述の九州最古の石垣、本丸御殿、小天守の他に城郭建築部材が出土し、建築史、近世史、近世史、考古学の研究者から注目され、文化庁記念物課、奈良国立文化財研究所、神奈川大学工学部、九州大学、熊本大学等などから視察に訪れています。また、金箔シャチ瓦、桐文鬼瓦、そして日本最古の滴水瓦である「隆慶二年 仲秋造」銘滴水瓦等、貴重な遺構・遺物が出土しています。麦島城跡が注目されるのはいくつか理由がありますが、3点ほど紹介します。

    第1点として、国宝に指定されている姫路城跡や松本城跡名とが築城から廃城までの約400年間にわたり改築・改修・増改築を経て、築城時の姿が分からないのに対して、麦島城跡は築城から廃城まで約30年間であり、天正から元和における近世城郭の最初期の姿を知ることができる点です。日本全国でこの頃の城郭の姿を残しているのは安土城跡と肥前名護屋城跡、そして麦島城跡の3城のみです。

    第2点として、出土した城郭建築部材は元和5年(1619)という絶対年代を押さえることができるとともに、第1点と同様に天正から元和にかけての城郭建築で唯一残っている点です。たとえば、松本城の天守閣などはやはり後世の改修などを受けており、築城時の建築部材を確認することはできません。そしてこの建築部材は石垣城の平櫓がそのまま堀に倒壊している状況であり、奈良国立文化財研究所、文化庁記念物課の見解では、奈良県山田寺跡出土東回廊以来の大発見であり、日本唯一最古の城郭建築部材の出土との評価を頂いています。

    第3点は、麦島城を築城したのは小西行長ですが、実質的には豊臣秀吉の対外交易を目的として築城された城郭であったということが分かってきました。九州大学の調査では、肥前名護屋城跡が朝鮮への戦略的城郭であるのに対して、秀吉の直轄港である徳渕の津に接している麦島城跡は八代海・天草を経て明や東南アジアとの交易を狙って築城されたことが分かってきました。

    ( 山内淳司)

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