写真:岡 泰行

神代鍋島陣屋の歴史と見どころ

神代鍋島陣屋(神代城)の由来

神代鍋島陣屋は、神代(こうじろ)にある鍋島家の陣屋。地形地名から別名を、鶴亀城という。神代とは神稲代のことで神田があったことを意味するらしい。神代城の城主は、南北朝時代の神代貴益で、天正12年、神代貴茂で断絶する。天正15年に、鍋島信房が佐賀より入封し明治まで続く。長崎は、海城が多いが、神代城もそれを利用した堀を巡らしていたらしい。

神代鍋島陣屋の撮影方法

神代鍋島陣屋の陣屋門は南向きなのでさほど撮影で苦労しない。春は庭園で緋寒桜、ツツジが咲きほこるらしくお薦め。

神代鍋島陣屋の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る神代鍋島陣屋の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

神代鍋島陣屋の関連史跡

石垣と竹垣が美しい武家屋敷通り。江戸時代の名残のある家屋が10軒ほどある。一般公開はされていないがその風景を楽しむことができる。詳しくは陣屋門前の現地案内板にて。また、城では、山田城島原城あたりが近郊。

神代鍋島陣屋のアクセス・所在地

所在地

住所:長崎県雲仙市国見町神代丙 [MAP] 県別一覧[長崎県]

鉄道利用

島原鉄道、神代駅下車、徒歩10分。

マイカー利用

長崎道諫早ICから〜国道251号を南下、神代交差点を南に曲がり踏切を越えて鳥居のある道を左折。陣屋門前に無料駐車場(10台)有り。

城ファンの気になるところ (4)

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    天正15年(1587)の秀吉の九州平定後、3千石が有馬領から割かれて鍋島氏に与えられ佐賀藩の鍋島氏の飛び領となる。その陣屋の門と堂々たる風格の石塀が今も残る。

    ( 左近)

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    この陣屋は、神代城三の丸の一角に建てられている。その神代城は、本丸(神代神社)・二の丸(畑・一部庭園)・三の丸・出丸・空堀などが残っている。本の丸と二の丸の間の道は当時堀切だったらしい。城の周りには海水を引き込み、有明海の干満を利用した堀があったそうな。

    ( 左近)

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    長屋門と石塀は、元禄元年(1688)〜元文5年(1740)あたりに建立されたものだとか。石塀は客に面する表と裏は石の加工具合が異なる。玄関お呼び母屋は昭和4年(1929)、座敷は明治22年(1889)に改築されている。

    ( 左近)

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    庭園の見学は現在も鍋島家の私邸。見学は現地を訪れた際に、右手の事務所で届けの必要がある。

    ( 半兵衛)

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