写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン
都於郡城周辺の史跡を訪ねて
東に資料館などがある佐土原城、すぐ北に西都原古墳群など。または、伊東氏48城と呼ばれる、曲輪や土塁、虎口が残る大字穂北字上野の穂北城、大字尾八重字上村の雄八重城、大字三納字平郡の空堀や虎口が残る三納城など。
[日州 (1999.03.19)]
[又兵衛 (1999.03.19)]
都於郡城周辺のおすすめ名物料理
ない!愛妻弁当でももってけ!
[日州 (1999.03.19)]
都於郡城観光に便利なおすすめホテル
すぐ北に西都市街が、丘陵地帯を越えて南に宮崎市街があるので、泊まるところはいっぱいあります。
[日州 (1999.03.19)]
都於郡城のアクセス・所在地
※本記事は城郭カメラマン岡 泰行(プロフィール)監修のもと編集部にて構成しました。
都於郡城に寄せて
これまでに届いた声:全2件

標高約100mの高台を利用した山城。建造物などは残ってませんが、郭はかなり残ってます。結構大きいですがあまり知られてない中世城郭です。周囲の山々に支城がどっさりありますが、ほとんど研究されてませんね。
( 日州)さんより
戦国大名伊藤義祐の拠点、48城の領主として君臨したその中心地です。伊東氏の本貫地で南北朝時代から天正6年(1578)頃まで繁栄していたものです。天正遣欧使節団の主席正使としてローマに渡った伊東マンショの生地です。一国一城令で廃城。
( 日州)さんより