浦添城の歴史・見どころ

浦添城の歴史

浦添城(うらそえぐすく)は、沖縄本島中部の南側、現在の浦添市仲間一帯に築かれたグスクだ。首里城の北約4km、眼下には古くから貿易港として栄えた牧港を望み、北には宜野湾・北谷・嘉手納方面、南には首里や那覇、さらに慶良間諸島まで見渡せる高台に位置する。東西に延びる石灰岩丘陵上に築かれた大規模な連郭式グスクで、沖縄中世史を語るうえで欠かせないグスクとして知られる。

浦添の地は、察度王統以前の沖縄における政治的中心地であったと考えられている。「浦添」の地名は、「浦」は津々浦々、「添」は“オソウ(治める)”に由来し、「沖縄全体を治める」という意味に通じるともいわれる。グスク北側崖下には、英祖王統と尚家の墓として知られる「浦添ようどれ」があり、石室が残る。

築城年代については明確ではないが、13世紀頃に成立したとみられている。伝承では、舜天王統・英祖王統・察度王統の居城とされ、なかでも察度は、貞和5年(1349)に浦添按司となり、その後、洪武5年(1372)には弟・泰期を明へ派遣して朝貢貿易を開始した。これにより琉球王国は東アジア交易の中で大きく発展していくことになる。

浦添城からは、「癸酉年高麗瓦匠造」の刻銘を持つ高麗瓦が出土している。この瓦は14世紀後期頃のものと考えられ、朝鮮半島との文化交流を示す重要資料として知られる。多和田真淳は、高麗瓦や朝鮮系須恵器の存在から、沖縄のグスク文化が一時期朝鮮の影響を受けたと指摘している。また、中国青磁・染付・グスク土器・亀焼(カムィヤキ)土器なども多数出土しており、浦添城が東アジア交易と深く結びついていたことを示している。

やがて尚巴志によって首里城を中心とする体制が築かれると、浦添城は次第に政治的中心としての役割を終えた。しかし第二尚氏時代にも建物は残っていたとみられ、慶長14年(1609)の薩摩侵攻時には『喜安日記』に「浦添の城龍福寺焼き払う」と記されている。尚寧王は第二尚氏の三代尚真王の長子浦添王子家の系統に連なる人物であり、浦添との結びつきも深かった。

近代以降、浦添城は大きな試練に見舞われる。沖縄戦では日本軍の地下陣地が置かれ、前田高地をめぐる攻防戦の舞台となった。日米両軍による激戦によって地形そのものが変わるほどの被害を受け、その後も採石工事や墓地造成によって一部が破壊された。だが、昭和57年(1982)以降、本格的な発掘調査が開始され、多くの遺構と遺物が確認されたことで、その歴史的価値が改めて明らかとなった。現在は国指定史跡として保存が進められている。

浦添城の特徴と構造

浦添城は、東西約380m、南北約60〜80mにおよぶ石灰岩丘陵上に築かれた大規模な連郭式グスクだ。首里城の北約4kmという位置にあり、中部一円と牧港を見渡す立地は、軍事・交易の両面で重要な意味を持っていた。

城内では発掘調査により、城壁、石畳道、石階段、列石、平場造成、方形石組みの溜井など、多様な遺構が確認されている。南側斜面では、城壁のさらに外側から柵列と堀が発見された。沖縄県内で柵列と堀がセットで確認された初の事例であり、浦添城の防御構造を考えるうえで重要な発見となった。柵は外側へ10〜15度傾けて設置されていたとされ、防御性を意識した構造だったことがうかがえる。

また、広場造成層の最下層からは柱穴群も検出され、13世紀末頃に属する輸入陶磁器が出土した。出土遺物全体の61%余を中国陶磁器が占める点も特徴で、浦添城が東アジア交易と深く結びついていたことを示している。為朝岩周辺には石積みの痕跡も残り、往時の城郭構造の一端を見ることができる。

参考文献:

  • 『日本城郭大系1』城郭資料(新人物往来社)
  • 『グスク探訪ガイド 沖縄・奄美の歴史文化遺産〈城〉』城郭資料(有限会社ボーダーインク2002)
  • Webサイト「国指定史跡 浦添城跡 復元整備計画のご紹介」(浦添市)

浦添城と前田高地

第二次大戦時の沖縄戦。ここ浦添城(前田高地)は、日本軍の司令部が置かれた首里を見渡すことができるため、日米両軍による死闘がその一帯で繰り広げられた。前田高地は、首里防衛線を支える最後の砦の一つだった。その前田高地に浦添城と浦添ようどれが含まれている。

メル・ギブソン監督の映画『ハクソー・リッジ』(2016年)で描かれている舞台は、この前田高地だ。アメリカ軍が浦添城の北側断崖(浦添ようどれ以東の崖)をカーゴネット(縄梯子)でよじ登り、山頂で日本軍と激闘を繰り広げる実話をもとにした映画である。比高は約90mある。メル・ギブソンも製作前に浦添城を訪れている。この映画の影響もあり、訪れる人が増え、主人公デズモンド・ドスの名が付いたプロットがGoogleマップの浦添城内に出現している。

浦添城の入口の石垣と陣地壕

伊波普猷の墓からグスクへ向かう道では、石垣が分断された箇所を通る。ここは城門跡ではない。右側の石垣は戦争で破壊されたものの、当時の城壁ラインを残す部分で、左側は想定されるラインを復元したものとされる。現地案内板には、どこが推定復元で、どこが確認された遺構かがイラストマップで明記されている。

現地の古老によると、左側石垣の麓には日本軍守備隊の陣地壕跡があり、浦添城南側のシーマヌウタキと内部で繋がっているという。現在も自衛隊が内部調査のため立ち入ることがあるそうだ。

  • 浦添城の入口の石垣

    浦添城の入口の石垣

  • 日本軍守備隊の陣地壕

    日本軍守備隊の陣地壕

  • シーマヌウタキ

    シーマヌウタキ

ワカリジー付近まで浦添グスク

浦添城の殿内(上部の平坦なエリア)には展望台の東屋があるが、そこから東方向、ワカリジー(為朝岩・ニードルロック)付近までは立ち入りできない。筆者は現地の古老の案内で特別にワカリジー付近まで入る機会を得たが、城壁北側ラインは戦後の採石によって削り取られ、城の形が変わったという。ワカリジーは浦添市内でも高所に位置し、ランドマークとなっているそうだ。

浦添城の整備状況

浦添城跡では、浦添市教育委員会によって平成8年(1996)から復元整備事業が進められている。整備は四期に分けて実施されており、発掘調査成果をもとに、学識経験者による整備委員会の審議や文化庁・沖縄県教育庁の指導を受けながら進められている。

第1期では、英祖王と尚寧王の王陵として知られる「浦添ようどれ」を中心とした北側区域の整備が行われ、平成17年(2005)に完了した。第2期では南側区域を対象とし、発掘成果を踏まえた城壁復元や石畳道の整備、さらに東端に立つ岩「ワカリジー」の保全工事などが実施されている。

整備計画では、第3期としてグスク北側の城壁復元、第4期として沖縄戦関連遺構やシーマヌウタキと呼ばれる拝所を巡る園路整備などが位置付けられている。現在、城跡の大部分は浦添大公園として整備され、歴史遺産と都市公園が一体となった空間として公開されている。

首里城まで続いていた石畳道が発掘整備されている

首里城までの石畳道が発掘整備されている 浦添城の尚寧王が首里城までの道として整備した石畳道が、浦添城東側で発掘整備され公開されている。幅約3.1mの道で、石の表面には滑り止め用の溝が刻まれたものも確認されている。石の中で色が濃いものが当時の石とされる。道は現在も安波茶橋周辺など市街地の一部に残り、往時の交通路の面影を伝えている。

浦添城のおすすめ散策コース(順路)

浦添城の散策ルート

「浦添グスク・ようどれ館」で理解を深めて後、「浦添ようどれ」、「浦添城」という順に足を運ぶと良い。

ルートは行き帰りで変えると良く、行きは上記の通り「浦添ようどれ」を先に。帰りは次のルートを。浦添城の殿(とぅん・祭場)から、南へいくと一段下がったところがあり(城門跡)、浦添城前の碑がある。付近に城壁(石垣)が一部露出している。さらに下り、首里への道である石畳道をちらりと見て、山沿いの小道を北へゆくと、途中、平成26年度に発掘された石垣や、シーマヌウタキがある。

浦添城周辺の観光スポット・史跡めぐり

浦添ようどれ

浦添城西側の崖下に「浦添ようどれ」という王稜がある。英祖王と尚寧王が葬られている墓だ。第二次大戦で壊滅的な状態となったが、平成17年に復元された。ようどれに至る道や門跡、石垣が実に城らしい構造、是非訪れてほしい。

この付近は沖縄戦で艦砲射撃と爆弾投下にさらされたため、浦添ようどれが完膚なきまでに破壊された。そんな中、石獅子がその形を残している。ようどれに設置されたいた二基の石獅子のうち、一基が当時のものとされ、置かれている(石獅子は戦火で一部が欠けている)。なお、ようどれには、事前に「浦添グスク・ようどれ館」に訪れてほしい。英祖王稜の内部が原寸大で復元されていてその内部に入ることできるのだが、これが実に圧巻。

  • 浦添城ようどれ

    浦添城ようどれ

  • 英祖王稜と尚寧王稜(浦添ようどれ)

    英祖王稜と尚寧王稜

  • 英祖王稜の内部(浦添グスク・ようどれ館)

    英祖王稜の内部(浦添グスク・ようどれ館)

 

伊祖の高御墓

伊祖の高御墓英祖王の父祖、恵祖世主(いじゅゆぬぬし)の墓として知られる伊祖の高御墓(いそのたかうはか)がちょっと発見が難しいが浦添丘陵の北側斜面にある。展望広場から北側へ浦添丘陵を降りて公園内を西に進むと左側の斜面にある。地上約20mの高さにあるため、木製の階段が見学用に付けられている。浦添貝塚のすぐ北側。

浦添城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:沖縄県浦添市仲間2 [地図を見る]

県別一覧:[沖縄県の城]

電話:098-873-0700(浦添大公園)

マイカー利用

那覇空港からレンタカー、那覇ICから西原IC、約25分。「浦添グスク・ようどれ館」を目指す。無料駐車場有り。

地図