座喜味城の歴史・見どころ

座喜味城(ざきみぐすく)は、沖縄本島中部、現在の沖縄県読谷村にある15世紀前期に護佐丸によって築かれたグスクだ。読谷村の西寄り、標高127mの丘陵上に位置し、周囲の平坦な地形の中でひときわ高くそびえている。城からは西海岸や慶良間諸島、久米島、伊江島、伊平屋諸島まで望むことができ、古くから軍事・監視上の重要地点だった。

護佐丸は、琉球王国統一期に活躍した有力按司として知られる人物だ。尚巴志による北山攻略の際、読谷山按司として史料に登場する。北山王・攀安知が拠る今帰仁城は難攻不落とうたわれ、中山軍三千余の軍勢をもってしても正攻法では攻略できなかったという。護佐丸はこの今帰仁城の堅固な築城技術に強い影響を受け、その経験を座喜味城の築城に生かしたと考えられている。

『毛氏先祖由来記』には、中山統一後に護佐丸が山田グスクから読谷山へ移り、按司となったことが記されている。築城地となった座喜味の丘は、首里への烽火連絡にも適した場所だった。築城にあたっては、鬼界(きかい)、大島など奄美諸島からも人夫が集められたと伝わる。記録には、山田グスクの積石を運び、新たな城壁を競って築いた様子が記されており、大規模な普請だったことがうかがえる。

一方、与論島や奄美大島笠利町には「護佐丸が来るぞ(護佐丸がちゅんどー!)」と子どもを戒める言葉が残っている。築城人夫の徴用が厳しかった記憶を伝えるものとも考えられており、群雄割拠の時代に迅速な築城が求められていたことを物語る。

護佐丸は正統5年(1440)に中城城へ移り、座喜味城を離れた。しかし発掘調査では16世紀に属する中国製陶磁器も出土しており、護佐丸移転後も城が継続して使用されていたことが確認されている。出土品の主体は中国製青磁や染付で、明代の龍泉窯や景徳鎮窯の製品が多い。これらは当時の琉球が東アジア交易圏と深く結びついていたことを示している。

また、古銭や鉄製品、グスク系土器、亀焼土器、刻画石版なども出土している。なかでも刻画石版は、絹雲母片岩に刻文が施されたもので、「琉球の古代文字」として注目されたが、現在も解読には至っていない。なお、座喜味城は単一文化層であり、使用期間は比較的短期間であったと考えられている。

座喜味城は、太平洋戦争では日本軍の高射砲陣地として利用され、戦後は米軍通信基地が設置された。一の郭の拱門が取り壊されるなど大きな改変を受けたが、昭和47年(1972)の沖縄本土復帰後、国指定史跡となり、本格的な発掘調査と整備事業が始まった。平成12年(2000)には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産に登録され、現在は沖縄を代表するグスク遺跡として公開されている。

座喜味城の特徴と構造

座喜味城は、南側の二の郭と北側の一の郭が連なる連郭式のグスクである。規模は約110m×140m、総面積は約6800㎡で、15世紀のグスクとしては中規模にあたる。沖縄本島中南部のグスクの多くが石灰岩崖上に築かれるのに対し、座喜味城は国頭マージの丘陵上に築かれている点が特徴的だ。

城壁は屏風状に屈曲し、各所に丸みを帯びた曲線を描く。沖縄特有の優美な石積み景観を現在も良好に残しており、座喜味城を代表する見どころとなっている。石積みは城門周辺を除き乱積みが主体で、護佐丸が後に改修した中城城の布積みや亀甲乱れ積みとは異なる手法が見られる。

一の郭と二の郭には、それぞれ拱門と呼ばれるアーチ門が設けられている。この拱門は現存する沖縄最古級の城門とされ、前方から見ると二個のアーチ石が組み合わされた構造を持つ。さらに、表裏のアーチ石の間にクサビ石を挟む構造は、座喜味城特有のものとして知られている。二の郭の拱門は南南西、一の郭の拱門は東北東を向いている。

発掘調査では、一の郭内から殿舎跡と考えられる二棟の石組建物遺構も確認された。石灰岩切石を方形に並べ、その内部を石灰岩礫で埋める構造で、沖縄の14〜16世紀グスク建築に共通する特徴を示している。最大規模の建物は桁行16m、梁間14.5mに及び、座喜味城の中核施設だったと考えられている。また、二の郭では拱門から一の郭へ続く石敷き道も発見されている。

座喜味城二の郭の城壁とアーチ門
座喜味城は、一の郭と二の郭から成る。写真はその入り口にあたる。
座喜味城二の郭の罠・誘導路
二の郭には、行き止まりとなる誘導路がある。
座喜味城
美しくカーブ描く城壁とアーチ門。遠く海も見渡せ座喜味城を代表する風景だ。
座喜味城一の郭アーチ門
くさび石がはめられたカーブを描くアーチ門。
座喜味城一の郭
一の郭には、幅16m・奥行14mの殿舎跡と考えられる建物の礎石がある。

座喜味城の整備状況

座喜味城は昭和47年(1972)の沖縄本土復帰後に国指定史跡となり、翌昭和48年(1973)から沖縄県初となる本格的な史跡環境整備事業が始まった。発掘調査は昭和54年(1979)まで継続して行われ、戦争や米軍接収によって損なわれた遺構の調査と復元が進められた。現在見られる一の郭への階段や拱門も、発掘成果をもとに復元されたものだ。

現在は世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として保存公開されている。城跡入口には、歴史民俗資料館と美術館を統合・リニューアルし2018年にオープンした「世界遺産 座喜味城跡ユンタンザミュージアム」が整備され、護佐丸や座喜味城の築城技術、発掘調査で出土した中国陶磁器などを展示している。石積み構造を学べる体験展示もあり、城跡散策とあわせて座喜味城への理解を深められる施設となっている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系1』(新人物往来社)
  • 『グスク探訪ガイド 沖縄・奄美の歴史文化遺産〈城〉』(ボーダーインク2002)
  • Webサイト「世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアム」

座喜味城周辺の観光スポット・史跡めぐり

世界遺産 座喜味城跡ユンタンザミュージアム

座喜味城跡の入口近くに建つ総合博物館で、読谷村の歴史・民俗・自然を紹介している。平成30年(2018)に、歴史民俗資料館と美術館を統合・リニューアルして開館した施設で、座喜味城を見学する際のガイダンス施設としての役割も担っている。

館内では、護佐丸や座喜味城の築城技術、発掘調査で出土した中国陶磁器や刻画石版などを展示しているほか、城壁構造を学べる体験展示も設けられている。読谷村の歴史や文化をあわせて知ることができ、座喜味城散策の前後に立ち寄ると理解が深まる。

高倉

沖縄の伝統的な穀物倉庫である「高倉」は、主食となる粟(あわ)や米、麦などを湿気や害虫、ネズミから守るために作られた高床式の倉庫。資料館のそばに移築・復元されている。この地方の農家建築の特徴として見ておくと良いだろう。

座喜味城周辺グルメ・名物料理

「黒糖工場」沖縄と言えば黒糖。のどに甘みが残らないと言われ黒糖工場のものは評判が良い。場所は城と同じ読谷村字座喜味。工場見学とともに出来たての黒糖が味わえる。

座喜味城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:沖縄県中頭郡読谷村字座喜味708-6 [地図を見る]

県別一覧:[沖縄県の城]

電話098-958-3141(読谷村文化振興課)

アクセス

那覇バスターミナルから、沖縄バス29番 読谷線(喜名経由75分)「座喜味」降車、徒歩10分。 または、沖縄バス28番 読谷線(楚辺)「高志保入口」降車、徒歩20分。※バスの1日の本数を事前にチェックしておくと良い。

マイカー利用

那覇空港から一般道で約55分(32.2km)、または沖縄自動車道、沖縄北ICから約27分(21.6km)。いずれも「座喜味城跡ユンタンザミュージアム」を目指す。南側無料駐車場(51台)を利用。8:30〜18:00(18:00に施錠)。

地図

座喜味城周辺ホテル・宿泊情報

「ホテル日航アリビラ」など。場所は沖縄県中頭郡読谷村字儀間。