写真:準備中
平島館の歴史と見どころ
那賀川町立歴史民俗資料館。
[阿波公方 (2000.05.09)]
平島館の散策コース
AM9:00~PM4:30(入館はPM4:30まで)。月曜、年末年始(12月28日~1月4日)休館。大人200円、小人100円。
平島館の周辺史跡を訪ねて
館の遺稿は県内の小松島市の地蔵寺、阿南市吉祥寺に移築されている。なお那賀川町内の西光寺に足利10代14代将軍はじめ歴代公方の墓石が残る。地蔵寺はJR南小松島駅下車、徒歩数分。
[阿波公方 (2000.05.09)]
平島館のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
平島館:城ファンたちの記憶
実際に平島館を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全3件)。

第十代将軍足利義植が細川氏に頼り、阿波に落ちたのが始まり。やがて義冬の代に上洛をこころみたが失敗、やむなく阿波平島に移り住む。その後長曽我部氏や蜂須賀氏と時代が変わっても残り、270年続いた。その間、館内にあった晒龍閣に島津華山等を招き、阿波南方に文化サロンが形成された。しかし残念ながら公方は京に帰り、館の遺稿は県内の小松島市の地蔵寺、阿南市吉祥寺に移築されている。なお那賀川町内の西光寺に足利10代14代将軍はじめ歴代公方の墓石が残る。
( 阿波公方)
歴史民族資料館が館の中心地。館は100m四方の広大な敷地だったと言われているが、地図を見ると付近の地名が当時の名残りをとどめています。「お屋敷跡」「お花畠」「馬場跡」「御門前」など。
( 半兵衛)
こんなところに公方様がおわしたとは、広大な平野の田園風景のなかにぽつんとある。墓碑以外にないこの地に御所があったとは考え深いものがある。資料館でこれらの全貌がうかがえる。
( 阿波公方)