写真:準備中
勝瑞城の周辺史跡を訪ねて
鳴門市の岡崎城、徳島城、藍の館、阿波十郎兵衛屋敷。 (勝瑞の商人 00.05.08)
勝瑞城の観光情報・アクセス
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本各地の城郭を訪ね歩いて取材・撮影を続けている。四半世紀にわたる現地経験をもとに、城のたたずまいと風土を記録してきた。撮影を通して美意識を見つめ、遺構や城下町の風景に宿る歴史の息づかいを伝えている。その作品は、書籍・テレビ・新聞など多くのメディアで紹介され、多くの人に城の美しさと文化を伝えている。
勝瑞城:城ファンたちの記憶
実際に勝瑞城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全4件)。




阿波守護として細川氏が入ったのがはじまりで、長曽部氏との有名な中富川合戦で破れるまでは日本有数の平城にして四国の中心であった。旧吉野川を利用して京洛や堺と結ばれ、三好氏の畿内戦略を容易にしただけでなく、大都会勝瑞には千宗易はじめ文化人が多数訪れたと文献や出土品が語る。
( 勝瑞の商人)
現在は見性寺のなかにあり、町が公園として整備中で、櫓のようなものが再建されているが、まさに強者どもが夢のあと。西国36カ国守護の細川氏、戦国の先駆者三好氏の居城跡。あまり知られていないが、昨年の発掘調査で山口大内館と並ぶ全国最大規模の中世城郭であることが判明。田園からの城址が郷愁をさそう。勝瑞城のほとんどは市街化してしまっているが、見性寺の掘がおもかげを残す。
( 勝瑞の商人)
小笠原長清が築いた。細川氏守護所。戦国期は三好氏の拠点のひとつ。三好長慶の弟の三好義賢(1562~62)が城主だった。長曾我部に席巻されたときの唯一の三好方の堡塁。秀吉に救われた。
( 石川造酒正)
今は古寺の見性寺がある。鐘楼が印象的。土塁と水堀跡の池が残る。
( 石川造酒正)