浦戸城は、本山氏の支城から長宗我部元親の本拠となった城。三方を海に囲まれた丘陵に詰ノ段や天守跡を構え、石垣・石塁、堀切が残る。眼下には太平洋を望む桂浜が広がり、周辺には長宗我部氏ゆかりの史跡も多い。このページでは浦戸城の歴史や遺構、見どころ、撮影スポットを豊富な写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
浦戸城の歴史・見どころ
浦戸城の歴史
浦戸城(うらどじょう)は、桂浜の背後に延びる丘陵上に築かれた城だ。高知市の文化財情報では、朝倉城を本拠としていた本山氏が16世紀初めに支城として築いたとされる。『日本城郭大系』では南北朝期までさかのぼる可能性を記すが、発掘調査報告書でも南北朝期の浦戸城について確実な史料は確認できないとしており、本山氏以前の成立については明確ではない。天文年間(1532~1555)には本山梅慶入道清茂が浦戸に城砦を構え、北西の長浜城とともに長宗我部氏と対峙した。永禄3年(1560)、浦戸城は長宗我部国親に攻められて落城し、長宗我部親貞が城監となった。
長宗我部氏の本格的な本拠となるのは元親の時代となる。元親は天正16年(1588)、現在の高知城がある大高坂山で築城を進めたが、鏡川の治水がうまくいかず、天正19年(1591)に浦戸へ移った。浦戸は北・東・南を海に囲まれ、古くからの港を擁し、上方との連絡や水軍の保有にも便利な場所だった。元親はここを本格的な拠点とし、以後約10年間、浦戸城は長宗我部氏の本城となった。発掘調査では詰ノ段周辺から石垣・石塁や多数の瓦が確認され、従来の中世山城から石垣や瓦を用いた城郭へと整備された浦戸城の姿が明らかになっている。
慶長4年(1599)に元親が没すると、子の盛親が城主となった。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで盛親が西軍に属して敗れ、長宗我部氏は土佐を除封される。城の受け渡しに際しては、一領具足らが浦戸城を占拠して抵抗する浦戸一揆が起こった。これに対し、長宗我部氏の家老・桑名弥次兵衛、宿毛甚左衛門らは、新領主への城の引き渡しを進めるため、一領具足らを欺いて浦戸城を奪還した。『日本城郭大系』では、このとき273人が殺害され、その首は浦戸城追手門にさらされたのち、塩漬けにして大坂へ送られたと記す。さらに慶長6年(1601)には、山内一豊入城を祝う相撲大会に際して残党73人が捕らえられた。
土佐へ入った山内一豊は慶長6年(1601)9月に高知城の築城を始め、慶長8年(1603)には浦戸城から高知城へ移った。これに伴い浦戸城は廃城となった。桂浜を望む丘に築かれた城は、その石垣の一部までも新たな高知城へと譲り、長宗我部氏の本拠の歴史に幕を閉じた。
浦戸城の特徴と構造
浦戸城は桂浜背後、標高40~50mほどの丘陵上に位置し、南は太平洋、東は浦戸湾口、北は浦戸港に面する。城域は約250m×300mで城の中心は丘陵東部の詰ノ段で、西方には二ノ丸が置かれ、その付近には三重堀切が残る。三方を海に囲まれながら、西側から長浜方面へ続く地形を利用した縄張りとなる。
発掘調査報告書によると、詰ノ段は東西約74m、南北約31m、面積約2,294㎡。その東北隅には一段高い天守跡があり、現在の平坦面は南北15m、東西10mの隅丸長方形を呈する。周囲の斜面には1~3段の段状部があり、天守跡東南隅からは土塁が南へ延びる。
平成5年(1993)から行われた発掘調査では、詰ノ段とその東部・東南部から複数の石垣・石塁が確認された。石垣は地山を削った基盤に大石を据え、自然石を積み上げる構造を基本とする。調査区からは軒丸瓦・軒平瓦・丸瓦・平瓦・鯱片なども出土し、石垣と瓦を備えた長宗我部氏本拠期の城郭構造を知る重要な遺構となっている。現在地表で確認できる遺構としては、天守跡、石垣・石塁、土塁、二ノ丸付近の堀切などがある。






浦戸城の整備状況
浦戸城では、平成5年(1993)の国民宿舎「桂浜荘」改築に伴い発掘調査が行われ、詰ノ段とその周辺から石垣・石塁や瓦などが確認された。調査成果を受け、「浦戸城天守跡 附 詰東部及び東南部石垣・石塁」が平成6年(1994)3月1日に高知市指定史跡となった。
現在は坂本龍馬記念館などが建つ一帯がかつての詰ノ段にあたり、開発によって城郭遺構の多くが失われている。一方、指定史跡となった天守跡と石垣のほか、二ノ丸付近の三重堀切は遊歩道で散策することができる。浦戸城の縄張りや石垣を用いた城郭構造をたどることができる。
参考文献:
- 『日本城郭大系15』(新人物往来社)
- 『浦戸城跡 国民宿舎「桂浜荘」改築工事に伴う発掘調査報告書』(高知市・財団法人高知県文化財団埋蔵文化財センター)
- 「文化財情報 史跡 浦戸城天守跡 附 詰東部及び東南部石垣・石塁」(高知市)
- 「浦戸城」(高知市)
浦戸城の撮影スポット・絶景ポイント
浦戸城を訪れたなら、城跡の眼下に広がる桂浜へもぜひ降りてみたい。なかでも日の出は、ぜひ目にしたい風景。太平洋の水平線から朝日が昇る光景には、歴史の幕開けを思わせる趣がある。日の出時刻を確認し早めに桂浜を訪れたい。


浦戸城の写真(城写真ARCHIVE)
城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、浦戸城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。
浦戸城周辺の観光スポット・史跡めぐり
桂浜と坂本龍馬銅像
浦戸城跡の眼下に広がる桂浜は、土佐を代表する景勝地。小高い丘には昭和3年(1928)に建立された坂本龍馬銅像が立ち、太平洋の彼方を見つめる。浦戸城跡とともに、この地を象徴する風景として訪ねたい。
長宗我部元親初陣の銅像
永禄3年(1560)、22歳で初陣を迎えた元親が、合戦前夜に若宮八幡宮へ陣取った姿を表した銅像。元親没後400年を記念して平成11年(1999)に建立された。地面に描かれた四国をつかみ取ろうと、左手を力強く前へ伸ばした姿が印象的。
戸ノ本古戦場跡
永禄3年(1560)、22歳の長宗我部元親が初陣を飾った古戦場。本山勢と長宗我部勢が激突し、元親は手勢を率いて奮戦したと伝わる。現在は戸ノ本団地の一角にある公園に、戦死者を葬った塚と伝えられる碑が残る。浦戸城が本山氏から長宗我部氏へ移る時代を知るうえでも重要な場所。
秦神社と長浜城跡
明治初年の廃仏毀釈で雪蹊寺が廃寺となった際、同寺に安置されていた元親の木像や戸次川合戦戦死者の霊板などを御神体として創建された神社。「秦」の名は長宗我部氏の祖先が秦姓だったことに由来する。秦神社と雪蹊寺の背後に広がる山一帯が長浜城跡で、本山氏の支城として長宗我部氏との攻防の舞台となった。
長宗我部信親墓所(雪蹊寺)
天正14年(1586)の戸次川の戦いで討死した、元親の嫡男・信親の墓所。信親の遺体は土佐へ戻されたのち浦戸の天甫寺に葬られ、長宗我部氏滅亡後に雪蹊寺へ移されたと伝わる。浦戸城とも直接つながる、長宗我部氏の歴史をたどるうえで重要な墓所。
長宗我部元親の墓
浦戸城を最後の本拠とした長宗我部元親の墓。元親は慶長4年(1599)5月、伏見の邸で61歳で没した。墓は浦戸城に近い長浜の天甫寺山南斜面にあり、高知県指定史跡となっている。浦戸城とあわせて訪ねたい長宗我部氏ゆかりの重要な史跡。
長宗我部元親愛馬の塚
元親が豊臣秀吉から拝領したと伝わる愛馬「内記黒」の墓。『土佐物語』には、天正14年(1586)の戸次川の戦いで窮地に陥った元親のもとへ内記黒が駆け戻り、元親はこれに乗って敵中を脱したという逸話が残る。武将と愛馬の結びつきを伝える史跡として興味深い。
兵士の塚
慶長5年(1600)12月の浦戸一揆で戦死した長宗我部氏の家臣を祀ると伝わる塚。もとは約100m離れた天甫寺付近に祀られていたが、大切に供養してきた経緯から、ゆかりのある現在地へ移された。移転の際には発掘を行わず、御霊魂を供養したうえで新たな墳墓として復元された。浦戸一揆と長宗我部氏の終焉を今に伝える場所として訪ねたい。
一領具足供養の碑
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦い後に長宗我部氏が土佐を離れることになると、一領具足らは浦戸城の明け渡しを拒んで抵抗した。討たれた273人の首は塩漬けにして大坂へ送られ、胴体はこの地に葬られたと伝わる。浦戸城最後の歴史を現地でたどるうえで欠かせない史跡。
浦戸砲台場跡(浦戸城台場)
桂浜周辺に残る幕末の海防遺跡。浦戸城が築かれた浦戸湾口は、幕末にも海上防衛の要地となった。中世・近世城郭とは時代も構造も異なるが、海から土佐へ入る要衝として浦戸が担った役割を知るうえで、浦戸城とあわせて訪ねたい場所。
浦戸城周辺グルメ・名物料理
土佐タタキ道場
浦戸城から足を延ばして味わいたいのが「土佐タタキ道場」の鰹のタタキ。店名の通り、鰹を自分で藁焼きにして味わえるのが特徴で、勢いよく立ち上がる炎で表面を一気に焼き上げる。藁の香りと脂ののった鰹との相性もよく、焼きたてならではの風味が楽しめる。味付けは鰹の旨みを引き立てる塩タタキ。訪れた際には、鰹のタタキ定食をぜひ味わってみたい。
浦戸城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:高知県高知市浦戸830-25
県別一覧:[高知県の城]
電話:088-803-4319(高知市文化観光スポーツ部)
- 浦戸城(公式ページ)(高知市)
アクセス
鉄道利用
JR土讃線、高知駅下車、「高知駅BT(バスターミナル)」からとさでん交通バス「龍馬記念館前」降車すぐ。
マイカー利用
高知自動車道、高知ICから南へ約23分(14km)。「高知県立坂本龍馬記念館」を目指す。無料駐車場有り(42台)。または、桂浜公園駐車場を利用する(474台)。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
浦戸城:城ファンの知見と記録
浦戸城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全3件)。
浦戸城でのひとときを、そっと記録に残す







桂浜や坂本龍馬記念館の観光ついでに立ち寄りました。主郭周辺は記念館などの整備で改変が進んでいるものの、西側の遊歩道を山中へ少し下りていくと雰囲気が一変します。ここに現れるのが、浦戸城跡で最大のハイライトともいえる「三重堀切(連続堀切)」です。陸続きである西側の尾根伝いに、侵入者を阻むための深い堀が連続して穿たれています。木々の隙間から見下ろすと北側の斜面へ竪堀状に落ちていくような立体感も。
記録:雨天出陣 2023
「浦戸城天守跡石垣」「浦戸城址」と石碑は2本あり、前者は駐車場脇、後者は、県道35号線を桂浜まで行く下り坂途中にある。
記録:shirofan 2018
坂本龍馬記念館駐車場が、浦戸城の詰の段にあたり、すぐ目の前の小山が天守台。小道があり頂上まで登ることができる。駐車場脇には、城跡碑と石垣展示があり、坂本龍馬記念館の裏手には井戸跡と多少の石垣が整備されている。
記録:shirofan 2015