二本松城は、応永21年(1414)に畠山満泰が築き、のちに丹羽氏の居城となった平山城。白旗ヶ峯を中心に丘陵と谷を取り込む馬蹄形城郭で、本丸石垣や三の丸高石垣、復元された箕輪門などが見どころ。このページでは二本松城の歴史や構造、遺構、アクセスなどを写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
二本松城の歴史・見どころ
二本松城の歴史
二本松城は、応永21年(1414)、畠山満泰が白旗ヶ峯に居を移したことに始まるとされる。畠山氏は足利尊氏の時代に奥州へ下向した一族で、安達郡西部を勢力下に置いた。南北朝期の争乱では吉良氏との抗争によって一時本領を失ったが、のちに回復。室町時代に入り奥州の政治情勢が複雑化するなか、満泰は奥州街道を見下ろす白旗ヶ峯に二本松城を築き、以後、畠山氏が代々の居城とした。
天正13年(1585)、畠山義継は伊達政宗に降伏したものの、政宗の父・輝宗を連れ去ろうとした粟ノ須の変で、輝宗とともに討たれた。翌天正14年(1586)、政宗の攻撃を受けた二本松城は開城し、畠山氏による支配は終わる。伊達氏は片倉景綱、ついで伊達成実を城主として置いた。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置によって二本松は蒲生氏郷の支配下となり、蒲生郷成らが城代を務めた。同年には検地奉行の石田三成、浅野長政らが二本松城に滞在し、翌天正19年(1591)には豊臣秀次、徳川家康も二本松城に入った。慶長3年(1598)に上杉景勝が会津若松城へ入ると、二本松城は上杉氏の支城となり、関ヶ原の戦い後は再び蒲生氏領となった。
寛永4年(1627)には松下重綱が二本松領5万石を与えられ、寛永5年(1628)には加藤明利が入城した。二本松市教育委員会の発掘調査では、この寛永4年(1627)から寛永20年(1643)にかけて、中世城館から近世城郭へと大規模な改修が行われたことが判明している。
寛永20年(1643)、白河小峰城主の丹羽光重が10万700石で入封すると二本松藩が成立した。光重は城内の石垣を修築するとともに城下町を整備し、以後、丹羽氏11代の居城として明治維新を迎えた。慶応4年(1868)の戊辰戦争では二本松城も戦場となり、7月29日に新政府軍の攻撃を受けて落城。城兵不足のなか少年たちも出陣し、のちに「二本松少年隊」と呼ばれる悲劇を残した。
二本松城の特徴と構造
二本松城は、阿武隈山系の裾野、標高345mの白旗ヶ峯を中心とする平山城で、比高は約120m。南・西・北を丘陵に囲まれ、東側が開く地形を利用して築かれている。細長い谷間を取り巻く山々の稜線に沿って曲輪や城門を配し、谷の入口を土塁と堀で固め、丘陵と谷を一体として城域に取り込んだ「馬蹄形城郭」と呼ばれる縄張りを特徴とする。
城内には山頂部の本丸をはじめ、西城・東城や三の丸などが展開する。発掘調査によって本丸石垣の根石が全周に残ることが確認され、本丸の形状が明らかとなったほか、慶長期の穴太積石垣や、加藤氏時代に本丸を拡張した痕跡も確認された。三の丸には高さ9.9~13mの高石垣が残り、発掘調査によって寛永初期に築かれたことが判明している。
搦手門跡では二時期の門跡が検出され、古い段階の掘立柱門と、加藤氏時代に整備された礎石立門が重なる。さらに城内には日影の井戸、とっくり井戸、石組水路などが残り、丹羽氏時代には安達太良山麓から約18kmに及ぶ二合田用水も引かれた。中世以来の地形を生かした縄張りに、蒲生・加藤・丹羽氏らによる改修が重ねられており、中世城館から近世城郭への変遷を遺構からたどることができる。




二本松城の整備状況
二本松城跡では平成2年(1990)から継続的な発掘調査が行われ、本丸では平成5年(1993)~平成7年(1995)に石垣の修築・復元を実施。平成19年(2007)には国史跡に指定された。東日本大震災や令和4年(2022)の福島県沖地震では本丸・三の丸石垣に変位や地割れなどが生じ、調査に基づく災害復旧が進められている。令和6年(2024)には藩校「敬学館」跡と内大手地区5,878.22㎡が国史跡に追加指定され、史跡範囲は174,244.62㎡となった。追加指定地は当面、多目的広場・駐車場として利用し、将来的には駐車場を指定地外へ移して史跡として整備する方針となっている。
参考資料:
- 『日本城郭大系3』(新人物往来社)
- Webサイト「二本松城跡」(二本松市教育委員会)
二本松城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
にほんまつ城報館
二本松城跡の歴史や城郭構造、発掘調査の成果などを紹介するガイダンス施設。二本松城跡から出土した遺物や資料の展示を通して、中世から近世へと姿を変えた二本松城の歴史を学ぶことができる。城跡を歩く前に立ち寄れば、縄張りや遺構への理解を深められる。
二本松城の撮影スポット・絶景ポイント
二本松城の写真(城写真ARCHIVE)
城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、二本松城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。
二本松城周辺の観光スポット・史跡めぐり
安達ケ原ふるさと村
二本松の歴史や文化にふれられる施設。園内には江戸時代の武家の住居を再築した武家屋敷などがあり、当時の暮らしや建物の姿を見学できる。二本松城とあわせて訪ねたい歴史スポット。
二本松城周辺グルメ・名物料理
二本松駅近くの老舗の食事処「やなぎや食堂」で昔ながらの味を楽しむのもよし、少し足を延ばして蕎麦専門店「蕎麦音」で、この地方の蕎麦を味わうのもおすすめ。
二本松城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:福島県二本松市郭内 [地図を見る]
県別一覧:[福島県の城]
電話:0243-23-1111(二本松市役所観光課)
- 二本松城(霞ヶ城)(公式ページ)(二本松市)
アクセス
鉄道利用
JR東北本線「二本松駅」下車、徒歩約20分。
※坂が多いためタクシーでなるべく高いところまで登り、そこから徒歩で下りてくるのが良い。
マイカー利用
東北自動車道「二本松IC」から約5分。無料駐車場有り(500台)。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
二本松城:城ファンの知見と記録
二本松城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全4件)。
二本松城でのひとときを、そっと記録に残す







箕輪門も立派ですが、いちばん印象に残ったのは本丸の石垣とその下にある大石垣です。山上まで登って目の前に石垣が現れると、その規模に圧倒されます。本丸跡からの眺めもよく、搦手門跡なども残っているので、時間を取って城内を歩くと見応えがあります。
記録:堀跡巡兵衛 2024
二本松駅から徒歩で向かい、箕輪門から本丸まで登りました。本丸は山上にあるため、城内に入ってからもかなり歩き、箕輪門から先は軽い登山という感じです。歩くのが大変な場合は本丸近くまで車で行けるので、無理をせず車やタクシーを利用するのがおすすめです。
記録:空蝉日和 2022
毎年10月1日〜11月23日には全国的に有名な菊人形が展示されるそうです。
記録:長利智祐 1998
丹羽光重が築きしお城。白虎隊と並んで幕末の悲劇とされる少年隊で有名。国道4号線の旧道で二本松市内から、ちょっと山の上のほうに向かうとあります。ドライブインでもらった地図によると、箕輪門と櫓が再建されています。天守台は石垣が再建されてました。平山城でさすがに天守台からは眼下に二本松市街がよく見えます。城ってのはやっぱり交通の要衝に建てるんだな、と妙な感心。ただそれ以外にはなにもなし(笑)。
記録:長利智祐 1998