郡上八幡城は永禄2年(1559)、遠藤盛数が八幡山に築いた城である。吉田川と小駄良川に守られた要地に位置し、稲葉氏や青山氏の改修を経て近世城郭として整えられた。現在は石垣と木造模擬天守が山上に残り、城下町を見下ろす景観が魅力だ。このページでは歴史と構造、整備の歩みを写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
郡上八幡城の歴史・見どころ
郡上八幡城の前史は、郡上を本拠とした東氏の歩みに重なる。承久2年(1220)、東胤行が山田荘の新補地頭に任じられ、その子行氏は阿千葉城を築いた。のちに東氏は篠脇城へ移り、常縁・常慶らが代々これを守って戦国期に至った。
天文9年(1540)8月、朝倉氏が郡上へ侵攻すると、東常慶は遠藤盛数らの助けによってこれを退けた。その後、東氏は赤谷山に東殿山城を築いたが、城内で遠藤胤縁が討たれる事件が起こる。これに対し、盛数は千余騎を率いて東殿山城を攻め、十日に及ぶ戦いの末に城を奪い、東氏は滅んだ。
永禄2年(1559)、遠藤盛数は八幡山に新たな城を築いた。これが郡上八幡城の始まりである。盛数は山頂の八幡社を麓へ移し、山城の形をとる城を整えたが、在城わずか四年で没した。跡を継いだ遠藤慶隆は郡上をまとめたものの、天正11年(1583)に織田信孝に味方したため、豊臣秀吉により所領を没収され、加茂郡小原へと移された。
天正16年(1588)、入部した稲葉貞通は城の構えを大きく改めた。山上を本丸として天守を築き、塁を高くして塀を巡らし、武器庫や兵糧庫を増築し、山腹の平地には居館を設けて二の丸とした。郡上八幡城はこの時、本格的な平山城としての姿を備えることになった。
慶長5年(1600)9月1日、関ヶ原の戦いに先立って「八幡城の戦い」が起こる。旧城主の遠藤慶隆は東軍方として八幡城を攻め、稲葉方と戦った末に和議が成立した。戦後、慶隆は旧領二万七千石に復し、慶長6年(1601)から慶長8年(1603)秋にかけて惣石垣や水堀、二重櫓、松の丸・桜の丸などを修めた。寛文7年(1667)には遠藤常友が城と城下町の整備を進め、城主としての待遇を受けるに至った。
その後、遠藤氏は元禄5年(1692)に転封となり、井上氏、金森氏を経て、宝暦8年(1758)に青山幸道が入部した。青山氏は以後七代にわたって治め、明治の版籍奉還を迎える。明治3年(1870)に城は取り払われたが、昭和8年(1933)に当時の八幡町長・仲上忠平の決断により、木造による模擬天守が再建された。日本最古の木造再建城として知られ、山上の姿は今も郡上の城下を見下ろしている。
郡上八幡城の特徴と構造
郡上八幡城は、吉田川と小駄良川の合流点を望む標高約350mの八幡山に築かれた平山城である。南と西を流れる二つの川を外郭の守りに取り込み、奥美濃の要地を押さえる位置にあった。
創建時の城は山城の形式で、曲輪ごとに門を設け、門や道路、突出部に櫓を置く簡素な構えだったという。これを天正16年(1588)に稲葉貞通が改修し、山上を本丸として天守を築き、塁と塀を整え、武器庫・兵糧庫を増築した。さらに山腹の平地に居館を置いて二の丸とし、平山城としての形を整えた。
慶長6年(1601)からの遠藤慶隆の修造では、惣石垣、水堀、二重櫓、松の丸、桜の丸などが加えられた。現在は石垣がよく残り、昭和8年(1933)再建の模擬天守、隅櫓、高塀、城門が山上の景観を形づくっている。
大手門跡
郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)の大手門は、現在殿町の城下町プラザのある交差点となっている。特に遺構はないが、城の表玄関なのでちらりとチェックしておこう。ちなみに交差点南西角にある「あさの旅館」(遠藤杢之助の屋敷跡)の前に大手門跡と書かれた案内板が設置されている。また、大手門跡から八幡城に登ろうと西に進むとすぐに安養寺の山門に突き当たる。その左手が小さな病院となっているがよく見ると、八幡城主御下御殿跡と書かれた標柱が立っている。またさらに進むと右手に八幡城御蔵会所跡があり、階段を上り秋葉神社へいくとそこが青山氏以降の郡上八幡城の二の郭だ。
城山公園は本丸(旧二ノ丸)
青山氏以降の本丸は、現在城山公園となっており、土霊水とよばれる井戸と、山内一豊と千代の銅像がある。城はそれまで山頂の天守があるところが本丸だったが、青山氏以降は、山麓の殿町の中心に屋敷を設け旧二ノ丸を本丸とし、山頂を桜の丸、松の丸と称したらしい。本丸といえばついつい天守のあるところと思いがちだが、時代によってここ郡上八幡城は、山麓が本丸と変わるから覚えておこう。余談ながら土霊水井戸の現地解説板には、本丸としたのは稲葉氏以降と記載があるが、現地観光協会と日本城郭大系によると青山氏以降で、きっと稲葉氏時代は二ノ丸でその頃から井戸があったということだろう。
郡上八幡城の整備状況
明治3年(1870)に石垣を残して取り払われ、昭和8年(1933)に天守台跡へ模擬天守・隅櫓・高塀が再建された。現在の山上景観は、この再建によって整えられたものが基礎になっている。
昭和30年(1955)8月30日には八幡城跡の石垣が岐阜県指定史跡となった。昭和57年(1982)には石垣改修が始まり、昭和62年(1987)から昭和63年(1988)にかけて城郭の大改修が行われている。昭和62年(1987)9月10日には模擬天守が八幡町重要文化財に指定され、平成2年(1990)から平成3年(1991)には高塀・隅櫓の改修、門扉取付工事も実施された。令和4年(2022)には耐震補強工事が施され、令和5年(2023)4月29日にリニューアルオープンした。
- 『日本城郭大系9』(新人物往来社)
- Webサイト「郡上八幡の歴史」(一般財団法人郡上八幡産業振興公社)
郡上八幡城の撮影スポット・絶景ポイント
紅葉が美しい城
郡上八幡城は、約100本のもみじなど落葉広葉樹が多く、紅葉に映える城だ。毎年、11月の上旬から中旬にかけて、ライトアップが行われる。この時期が紅葉のタイミングにぴったり。「郡上八幡城もみじまつり」(毎年11月)では、ライトアップされた郡上八幡城が夜間特別開城されるぞ。眼下に広がる紅葉と夜景がきれいかも。
雲海の撮影場所
近年、地元のカメラマン、内田勝美氏・福田弘二氏によってその風景が一躍有名になった。郡上八幡城の東、国道256号線の道路上から城を少し見下ろすかたちで、城が綺麗に見えるポイントが2カ所ほどある。この国道256号線は峠道で、駐車スペースが殆どなく、カーブがきつく下手に路駐するとカーブを曲がってすぐ駐まっている車と衝突する恐れがあるため、少し離れた直線の道路上に駐めるか、車道脇にたまに車1台分のスペースがあるので、そこに駐めるしかない。撮影場所は木々の切れ目を考えると2〜3人ほどが三脚を並べることができる。昼間など事前にどこに車が駐められるか確認しておく必要があるぞ。吉田川と周囲の山々から発生する朝霧を捉えることになる。雲海に浮かぶ城というより、朝霧がほどよく天守のまわりにかかるのを待つといった感じかもしれない。その距離からレンズは300mm〜400mm(35mm換算)が良い。詳しい場所は上記Googleマップを参照されたし。
郡上八幡城の写真集
城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、郡上八幡城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。郡上八幡城周辺の観光スポット・史跡めぐり
郡上の古い町並み
古い町並みは職人町へ。北へ突き当たった長敬寺は、遠藤慶隆の墓がある。また城下町の北の総門があった。そのほか、せっかくだから「宗祇水(名水百選)」と寛文年間に用水として造れた「いがわこみち」は見ておこう。実に風情がある。
付近の山城
郡上八幡城に登城した方はその案内板で知ることが多いが、城の南側の山が東殿山城と赤谷山城。郡上の歴史に深く関係する山城だ。麓の愛宕神社の奥から登山道が延びている。また、城下町を挟んで西側の山は尾壺山城で、山麓口曲輪が大乗寺だ。
郡上八幡城周辺グルメ・名物料理
川魚アジメドジョウ
郡上八幡といえば、川魚で有名だ。「郷土料理 郡上の味 大八」では、主人は鮎釣りの名人というから、夏には鮎、秋には自然薯など、郡上の郷土料理が味わえる。2年に一度しか捕れない川魚「アジメドジョウ」の天ぷらは絶品。例えば2002年など、偶数年のみ味わえるぞ。
郡上鮎
もうひとつ忘れてはならないのが鮎。郡上八幡の鮎を「郡上鮎」と言い、「清流めぐり利き鮎大会(全国52河川がエントリー)」でグランプリに輝いた。背びれに赤いオレンジ色の部分があるのが特徴。証拠郡上鮎取扱認定店で食べることができる。
また、郡上八幡では、鹿肉、猪肉、熊肉と食すことができるが、名物という訳ではなく、近年、鹿と猪が増えて困っているのだそうだ。2008年も地元人曰く「今年は城の裏で12匹も捕れたよ」とか。
郡上八幡城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659 [MAP] 県別一覧[岐阜県]
電話:0575-67-1819(郡上八幡産業振興公社)
開館時間
おおむね9:00~17:00 だが季節により開館時間が異なる。
アクセス
鉄道利用
長良川鉄道、郡上八幡駅下車、まめバスまたは岐阜バス「城下町プラザ」降車、徒歩18分。
マイカー利用
東海北陸自動車道、郡上八幡ICを下りたら全ての信号(4つ)を右折すると城下町へ入る。郡上八幡ICより約5分で城下町プラザのある大手門跡の交差点へ、そこから約5分、車道を上り城へ。山頂に無料駐車場20台有り。ちなみに駐車場は空堀跡。余談だが山頂へ続く車道は、天守復興後に設けられた道路。つまり天守の復興は資材を人力で山に担いで上げたらしい。
郡上八幡城周辺ホテル・宿泊情報
城に一番近く、大手門跡にある「あさの旅館 」など。郡上八幡に関する書籍も置いてある。ちなみにこの場所は、遠藤杢之助の屋敷跡らしい。
郡上八幡城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
郡上八幡城関連の書籍
『新 八幡城ものがたり』平成22年郡上市発行。城の遺構については詳しく語られていないが郡上八幡城をとりまく歴史を知ることができる一冊(周囲の山城の分布図あり)。その前身の平成3年八幡町発行の『八幡城ものがたり』の方が、歴史上関係する周囲の城について詳しい。また日本城郭大系9には、郡上八幡城の縄張図が掲載されている。
郡上八幡城:城ファンの知見と記録
郡上八幡城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全4件)。
郡上八幡城での発見を記録に残しませんか?
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年より日本各地の城郭を訪ね歩き、取材と撮影を続けている。「先人たちの知恵とおしゃれ心」をテーマに、四半世紀にわたり城のたたずまいと土地の風土を記録してきた。撮影を通して城郭に宿る美意識を見つめ、遺構や城下町の風景に残る歴史の息づかいを伝えている。作品は書籍、テレビ、新聞など多くのメディアで紹介され、城の美しさと文化を広く発信している。







木造の再建城としては日本最古とありますが、作りがお粗末で床にあっては歩くたびにぎしぎし、きしむ音がします。数多く城めぐりをしていますが作りが江戸時代に作られた城とは別物です。床板幅が細く薄い、柱が細い、梁が細い、壁が薄い、天守天井の板目がばらばら等、大名の威信をかけて作った城とは比べ物になりません。限られた予算で作ったから仕方ないと言えばそれまでです。残念ながら城大工の技術も見えません、一度ご自分の目で床、柱、壁を江戸時代に作られた城と見比べて下さい。
昭和8年に再建され、木造の再建城(模擬)としては日本最古。ギシギシする音に趣がある。また天守閣から眺める城下町は格別。城下全体が『魚』の形に見えるのが大きな特徴。秋の紅葉シーズンには、フジテレビ「めざましTV」でも生中継された、最高の紅葉がお出迎え。もみじ赤と城壁の白のコントラストが最高。夜のもみじ庭園ライトアップも外せない。秋(11月)の来城は超おすすめです。
1559年、遠藤盛数が八幡山に城を築き、12代340年続いた東氏を滅ぼし、郡上一円を領したのが始まり。その後、5家19代にわたり版籍奉還まで郡上を治めた。また、平成18年のNHK大河ドラマ主人公・千代の父親が、この初代城主・遠藤盛数と言われている。(司馬遼太郎作の功名が辻では近江出身となっている)
天守閣が18年ぶり改装し展示、青山氏甲冑や代々城主の家紋や旗印など新公開された。