常山城の歴史と見どころ

書籍

山陽新聞社刊行の富阪 晃著『歴史散歩 岡山の城』、
日本文教出版株式会社刊行の藤井 駿/市川俊介著『岡山文庫19 岡山の城と城址』などの本に詳しく載っています。(吉田 豊太郎 1999.9.5)

常山城の歴史

築城時期は不明で戦国時代の初めと推定されています。「天正の備中兵乱」では毛利氏の小早川隆景によって天正3年(1575)に攻められ、当時の城主上野肥前守隆徳の奮戦も空しく城は落城し、隆徳は本丸の腹切岩の上で自害したといわれます。その妻梢の前(鶴姫)は「武士の妻が一騎も討たずに、やみやみ自害するとは口惜しい」と鎧を身に着け敵陣に切り込み、もはやこれまでと覚悟を決めると敵将の先鋒、浦兵部宗勝に三村家重代の国平の太刀を進呈して城内に引き返し、侍女ら34名と共に自害したといわれています。なお北二ノ丸にはその女軍の供養石碑が建てられています。城はその後、軍事上の重要な拠点として戸川秀安、戸川達安、伊岐真利が城主として続きましたが、慶長8年(1603)年、岡山城主池田忠継によって廃城が決定され、廃材の一部は下津井城の修理に利用されたと伝えられています。(吉田 豊太郎 1999.9.5)

常山城の関連史跡

周辺を走る国道30号線を東に進んで行くと麦飯山城跡、また県道22号線を西に進んで行くと片岡城跡があります。(吉田 豊太郎 1999.9.5)

常山城のアクセス・所在地

所在地

住所:岡山県玉野市藤木・児島郡灘崎町迫川 [MAP] 県別一覧[岡山県]

鉄道利用

JR宇野線、常山駅下車、登山口まで徒歩すぐ。山頂まで約50分。

マイカー利用

瀬戸中央自動車道、水島ICから約30分(14km)。中腹の栂尾二ノ丸に駐車場有り。

城ファンの気になるところ (3)

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    「児島富士」と呼ばれる標高307メートルの常山の山頂に位置する山城です。城郭は山頂の本丸を中心にV字型に並んだ合計十四の曲輪で構成される連郭式山城で、曲輪の一つ一つに名称があります。曲輪の名称は本丸の北方向に続く尾根上では順に北二ノ丸・北三ノ丸・天神丸・青木丸・栂尾二ノ丸・栂尾丸となっており、北東方向に続く尾根上では東二ノ丸・東三ノ丸・矢竹丸・矢竹二ノ丸・惣門二ノ丸・惣門丸となっています。また本丸の南には兵庫丸と呼ばれる曲輪もあります。

    ( 吉田 豊太郎)

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    常山城の主郭の本丸は長さ50メートル、幅37メートルとかなり広く、池の跡といわれる窪み(私は最初穴倉か井戸の跡だと思っていました)や二階建の吹きさらしの展望台があります。城跡には黒っぽい石で築かれた石垣が所々で見られ、特に本丸・兵庫丸・青木丸・栂尾丸・惣門丸の石垣が現在でも立派に残っています。

    ( 吉田 豊太郎)

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    天正3年(1575)の常山合戦で討死した女軍の墓を始め五輪塔や石仏などの歴史的遺物が多数見受けられますが、NTT無線中継所や鉄塔、建設省無線施設などが一部の曲輪内に建てられており、そのアンテナ類が麓からも見えています。この様に城跡は結構人の手が入っていますが、その分歩きやすくなっており、桜の名所として親しまれています。

    ( 吉田 豊太郎)

城の情報

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