合戦東軍西軍どちら派 三成派(1021票)
家康派(528票)
戦国武将人気ランキング 1位 大谷吉継(167票)
2位 島津義弘(105票)
3位 真田幸村(101票)
4位 島左近(90票)
5位 小早川秀秋(82票)
斎藤山城守道三 さんからのご投稿(2003.01.14)

家康派 どうにも石田三成という人間全てを好きになることができないから。どう考えても彼は秀吉の栄光にしがみついてばかりで、自分の実力はほとんどなきに等しい。それなのにもかかわらず、将来“神君”と呼ばれる家康に挑んでいくその理由が分からない。それと、基本的に徳川家康という人間が大好きだから。

本多正信 あれだけの謀略の名手が、なぜ真田昌幸に向かっていったのか、そこが全く分からないから(理由になってないけど)。どうしてもう少し考えなかったのか?いくら秀忠が上田を潰そうとしていたとはいえ、それを止めてこそ本物の謀略者だと思う。上田攻めをさせたその真意を知りたい!

鹿之助 さんからのご投稿(2003.01.11)

家康派 戦国の世を終わらせ、200年にもわたる平和な時代の礎を築いたので、三成が勝利したら大変な時代になっていたことでしょう。

伊達政宗 生まれがもう少し早ければ家康にかっわて天下が取れたろうに。

盛信 さんからのご投稿(2002.12.29)

家康派 家康の采配があっての勝利だと思うし、家康だから勝てたんだと思う

津軽為信 東北の武将としては上杉攻めに加わっていない数少ない武将で、大垣城攻めで見せた謀略の数々。戦前三成に恩義のある為信の心は揺れ動いたと思うけど、戦後、三成の子や西軍の関係者を保護、登用したり、とても義の心があっていいと思う。中央から遠く離れた北の地から来た智将はすばらしい人物だ

泰麒 さんからのご投稿(2002.12.29)

家康派 忠義な忠勝様が味方したのが家康だから。でも忠勝様がどちらにも味方しなくても、家康を選んだかもしれないから。

本多忠勝 それは私が忠勝様の護衛兵だからですよ(希望)忠勝様は我が命をかけてお守りするに値する、いえそれ以上の存在ですから!

どらねこ さんからのご投稿(2002.12.29)

家康派 我が地元垂井町側に陣をはる家康殿じゃ。しかし毛利がわしの学校に陣を敷いている・・我が地元の竹中氏も東軍じゃ〜

毛利輝元 自分の学校に陣を敷いているから、行動に謎が多いから。

バルサ さんからのご投稿(2002.12.21)

家康派 戦国を生きるには強かでなければならぬ・・。天下は回り物なれば・・家康の天下もその成り行きかと・・。

本多忠勝 蜻蛉切に鹿角兜・・・強すぎです!主君のために全身全霊を以って忠勤し姿に感銘!

鯖威張る内府 さんからのご投稿(2002.12.21)

家康派 山岡壮八先生の「徳川家康」を読んで以来、家康公をうやまっております。今川家での長き(ちょうど多感な時期の)人質生活もそうですが、信長公の命令で、妻の築山殿と長男の信康殿を泣く泣く殺さねばならなかったことなど、あまたの苦労や悲劇を重ね、耐えに耐えた末、天下を治められました。

島左近 敵ながらあっぱれ! 主君の三成公を守って最期まで鬼神の如く奮戦す。 敵将のことなのに涙が溢れて止まりません。思わず男泣きしますね。 私は山岡先生やその他の先生方の小説の影響もあって、以前は石田三成公のことを「イクサも、ろくにしたことがなく、いつも秀吉公のそば近くにヌクヌクと仕えていた、ひ弱な官僚」というイメージを持っていたのですが、そのイメージなんかまったくの誤りで、三成公の真の姿はとても勇敢な武人だと今では信じております。 関ヶ原よりもずっと前の時点から豪勇の左近を(自分の給料の約半分を豪快に与えて)召し抱えていたということは、秀吉公の天下統一の過程で、軍事の面でも三成公は相当重要な働きをしていたと考えるのが自然です。七本槍の加藤清正公や福島正則公のことを猛将とよく人は言いますが、三成公は彼らにも勝る、イクサでの働きをしていたのでは?現に秀吉公の死後、家康公に対して最も果敢に挑んだのは、三成公! 石田家の軍隊の強さに全然自信がなかったならば、関ヶ原の挙兵すら考え付かなかったはずです。 でも、巨大化した豊臣政権では家臣団の役割分担がどうしても必要になり、武勇もすごかったが更に頭も物凄く切れた三成公を敢えて(他に勤まる家臣が見当たらない為)奉行職に、と秀吉公が任命したのでは・・・と考えます。 三成公はよく伝えられているようなイクサが苦手な官僚オンリーの人などでなく、日本で最初の、しかも物凄く高いレベルでの「文武両道」の人であったと確信しております。そのスゴイ人物(三成公)に勝ったのだから、益々もって家康公には畏敬の念を抱き続けております!

ジャック・ザ・立派? さんからのご投稿(2002.12.18)

家康派 如水が、す・き・だ・か・ら・だーーーー!!徳川家やその他の東軍大名はどうにでもなれってんだー!!

黒田孝高 家康の天下より、彼の天下が見たかった。長政ー!!なぜ貴様は家康を左手で斬らんかったんじゃー!!ついでに言うと、東軍に味方してお家取り潰しになった諸君残念だったな。諸君の敵は三成ではなく、家康だったなー!!ふははははははは!!

吉江 景資 さんからのご投稿(2002.12.16)

家康派 三成派の埋伏の毒だから。

小早川秀秋 こやつは、太閤様の一族でありながら、裏切ったろくでなしだから。上杉政虎様を見習わせたい。豊臣に栄光あれ!

片岡源五衛門 さんからのご投稿(2002.12.14)

家康派 今日は(旧暦だが)赤穂浪士の吉良邸討ち入りから300周年の記念日! 徳川が政権を握ったからこそ、参勤交代も行われ、参勤交代があったればこそ、浅野たくみのかみ(アサタク)が松の廊下で吉良上野介(キラコー)に斬り付ける事態が生じ、浪士たちの討ち入りが行われたから。 要は私が忠臣蔵のファンだから。 それにしても、ここがいくら「関ヶ原オタク」のコーナーとは言え、日本人の心・忠臣蔵の300周年記念日に全然関心ないみたいですね・・・・。 いや、大いに結構!、「関ヶ原」だけに徹底的に集中してくだされ。  「忠臣蔵は、いつもお決まりのパターンだからつまんない。 もう飽きた。」という御批判、我々も謙虚に受け止めさせていただかねばなりません。 そろそろ、「敵役」の上野介を主人公に(当然、誕生・幼少時代から)した時代劇をやらないと、赤穂市民以外のすべての日本人から忠臣蔵は見捨てられるでしょう。 また、吉良側からすれば、「闇討ち同然のテロ」に立ち向かい、本来は全く罪のないはずの主君・上野介を最後まで命を賭けて守ろうとして凶刃に倒れた、清水一学・小林平八郎など吉良家家臣のひとり一人こそ、真の忠臣達であるにもかかわらず、悲運の彼らのことは、日本人のほとんどが見向きもしない・・・・・。 やはり、このままでは忠臣蔵もいけない! と危機感を覚える今日この頃です。

浅野幸長 アサタクの御先祖様だから。(戦国にはあまり詳しくないのですが、幸長の兄弟から続いているのが播州赤穂浅野家でしたっけ? だとすると、幸長は直接の御先祖様じゃないですね。でもそのお父さんの弾正長政は確実に御先祖様ですが、選択肢に浅野長政の名前がなかったので幸長を選ばさせて頂きました。 元禄忠臣蔵ファンのわたくしめが、100年さかのぼって、関ヶ原ファンのみなさまのコーナーに、ずうずうしくも勝手に「討ち入り」させて頂きましてホントに申し訳ございません。 300年記念の本日だけは、ひらに御容赦くださりませぇー。 でも、秀吉・家康時代の浅野家に関しては、少しだけエピソードを知っております。弾正長政が、無謀な朝鮮出兵を非難し、秀吉のことを「狐憑き」とののしったこと。それと、徳川時代になってから豊臣家の大阪城を久々に訪れた幸長が、城内の風紀の乱れた有様を見て慨嘆し、「治部少(石田三成・関ヶ原の西軍の大将)がいたら、大阪城もこんな有様にはなってなかっただろうなぁー・・・。」と、関ヶ原では敵だった(前田利家の死の直後、加藤清正たちと襲撃もした相手の)規律正しい三成のことをしのんだということですよね。

もっち- さんからのご投稿(2002.12.14)

家康派 狸でケチで地味だから勝ち残ったのです。匹夫には分かるまいが、単なる野心とか欲深ではこんな生き方は出来ませんよ。家康さんは将器の人だよね。

伊達政宗 伊達だから。そわそわしててキケンな人だから。徳川でなく豊臣の世であれば、この人ひと暴れしたんでね-の?(他にも野心家はウヨウヨしてるし、どっちにしろ豊臣じゃもたんベな。)

蜻蛉切 さんからのご投稿(2002.12.13)

家康派 ってゆーか、家康は好きじゃないけどー。本多忠勝大スキー!!!

本多忠勝 最高・最強・ナンバー1

無心庵号深龍斎 さんからのご投稿(2002.12.10)

家康派 豊臣秀吉、前田利家亡き後、天下のための天下を治めるのに最も相応しい武将は、家康殿を措いて他はないのではないでしょうか。人望、実力において、彼を上回る人物はおらず、仮に三成殿が天下の権を握ったとしても、家康殿ほど早く、着実に天下泰平の世を実現することはできなかったでしょう。

榊原康政 貴殿は、秀忠公遅参の責任を取るかたちで、自ら水戸25万石を辞退し、旧領館林10万石に甘んじたそうですが、死に際して、何故家康公の見舞いの使者に対し、あのような態度を御取りになったのですか?辞退したこと自体を、後になってからでも評価してもらいたかったことが、存命中に叶わなかったからなのでしょうか?

小一郎秀長渕剛 さんからのご投稿(2002.12.09)

家康派 もうすぐ12/14だが、徳川の天下になったからこそ、オレの好きな「忠臣蔵」もあったから。 ただ、吉良上野介を主人公にしたドラマもあっていいと思う、いや、早急にドラマ化すべし。

吉川広家 勝敗のポイントは、やはりこの人。 南宮山部隊が家康本陣に突入していたら、秀秋も東軍を攻めていただろう。  「おおた」という人は三成をメチャクチャに酷評していて、徳川びいきのオレとしても思わず気分がわるくなった。 しかしこれは「おおた」サンが悪いのではなく、これまでの時代小説、時代劇ドラマ、歴史家たちが三成像をねじまげて描いてきたことが悪いのだと思う。 あれだけ「虎の威を借りて、秀吉在世中に敵という敵を作りまくった戦下手の横柄な官僚・三成」というイメージをメディアや本で洗脳されたら、誰だって「三成憎し」になってしまうし、おおた氏の言われる通り「関ヶ原は、三成の自己保身」という誤った結論に行き着いてしまうのは無理もなく、かく言うオレ自身も恥ずかしながら、そうだった。  もっと歴史を純粋に見よう! 「三成には人望がなかった。」という決まり文句はまさに結果論でしかない。人望もなく敵を作りまくった人間が、自分のせいで豊臣家中を真っ二つにしかねない、それによって主家を没落に追い込みかねない挙兵をするだろうか? 三成は「敗れた」こと、つまり結果ばかりによって、その人間性まで悪し様に言われているが、「敗れる」まえに、巨大な家康を向こうに回して、勇敢にも「挙兵し」ている事実が、ないがしろにされている。 三成はわが国の歴史の中でも稀有な英傑であることは誰の目にも明らかなはずである。三成を、現在の官僚になぞらえ、「無用の輩」とのたまうなど言語道断。 戦国武将の中で、現在の道徳のすたれた日本に喝を入れてくれるリーダー・総理大臣に最もふさわしいのは石田三成の他になし。 小泉さんより100倍イイと思う。 現官房長官の父親・福田赳夫が総理のとき、北朝鮮による拉致事件が集中したことが明らかになったが、この時、三成が総理だったら、日本人を1人たりとも誘拐されてしまうようなことは断固阻止していたと思う。

闘将大権現 さんからのご投稿(2002.12.09)

家康派 家康が勝ち、めぐりめぐって今の日本、そしてここに生きる自分自身が、現にあるから。

宮本武蔵 来年の大河ドラマの主人公。 関ヶ原のときはまだ16〜17歳だったと思うが、ホントに宇喜多軍の中にいたのだろうか?  それと、12/8付、おおたサンへ 私も家康を尊敬しておりますが、三成も立派だと思いますよ。 家康が戦国の世に終止符を打ち、太平の世を築いた日本史上最大の功労者であるにもかかわらず「陰険な狸爺」呼ばわりされ、大多数の日本人にいまいち評判が悪いのはなぜか・・・。 それは、太閤死後、互いに知恵を振り絞った凄まじい駆け引きの末、覇を賭けて争った相手・石田三成に対する日本人の評価があまりにも低すぎるという遺憾な現状があるからです。 日本史上最大の雌雄を賭けた決戦が、「キツネとタヌキの化かしあい」程度に矮小化されてはなりません。 三成が勇将であることは紛れもない事実。三成があたりまえに立派に評価されてこそ、家康も多くの日本人から正しい評価を受けると思うのですが・・・。

おおた さんからのご投稿(2002.12.08)

家康派 覇王の家

鳥居元忠 家康の人質時代からの友であり真の忠臣。三成の軽挙の為により命を落とした。(大谷吉継なども三成の犠牲者と言えようが、こちらは愚将に従っただけにさらに憐れであり、西軍にありながら同情する。)

RYU さんからのご投稿(2002.12.07)

家康派 人質から人質へと、がまん強く生き、頭も良く、三成の軍も、裏切りもあるほど、家康は、すばらしい人だから。

伊達政宗 かっこいいから。

RYU さんからのご投稿(2002.12.06)

家康派 家康は、ひとじちでもめげず、がまんずよく、頭をよくつかい、戦でもほとんどに勝ち、最後には、天下統一したから。

伊達政宗

コバヤ さんからのご投稿(2002.12.05)

家康派 やっぱり小早川が、裏切ったからじゃなくて家康の方が、強かった。

小早川秀秋

モーニングむすび さんからのご投稿(2002.12.05)

家康派 人間的には治部殿の方が好きなのですが、(怜悧な文治派官僚・・というイメージは江戸期にかなり誇張されてつくられています。治部殿こそ真の意味で猛将ではあるみゃーかのう!)もしも治部殿が勝っていたらば現在の彦根・長浜の琵琶湖東岸に、首都にはならずとも最低、人口150万を超える大都市ができていたと存じまする。 また、湖東のみならず、琵琶湖の南岸、西岸あたりにも70〜80万人口クラスの都市ができておったと存ずる。 さすれば、もうこの平成時代は無論のこと、昭和40〜50年頃の時点で、「近畿の水がめ」たる日本一の湖・琵琶湖が工業・生活用水などの大規模たる汚染により、死滅しておったと存じたてまつりまする。 したがって、環境問題の点で、治部殿が悲運、やむをえなかったのかもしれませぬ。(安土、坂本に城を構えた信長、光秀の非業の死も無関係とは思えませぬ。・・・滋賀県の人、ごめんなさいね。)

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