合戦東軍西軍どちら派 三成派(1034票)
家康派(530票)
戦国武将人気ランキング 1位 大谷吉継(172票)
2位 島津義弘(107票)
3位 真田幸村(102票)
4位 島左近(90票)
5位 小早川秀秋(82票)
ドォーッと、混むぅ! さんからのご投稿(2002.12.22)

三成派 西軍の諸将の生きざまに胸が打たれる。アツイものを感じる!

大谷吉継 友情という言葉が無意味とされた戦国の世での、吉継の行動には、「こうごうしさ」を感じずにいられない!

人情の佐吉! さんからのご投稿(2002.12.22)

三成派 三成って、よく冷たぁーい人間みたいに描かれがちだが、ほんとは、とてもあったかい人だと思う。100歩ゆずって、冷淡だったり横柄だったりキツイ性格だったとしても、それはあくまで自身と同じような立場の武士・政治にたずさわるごく一部の為政者に対してのみの態度。日本に暮らす大多数の民衆に対しては、優しい政治をほどこさねばと、日夜、三成は心を砕いていたであろう。 戦国武将でありながら「政治家は公僕」という、おのれに厳しい姿勢をつらぬき、あるいはひょっとすると「民主主義」という概念にまで到達しかかっていたのでは?(武将でありながら!)とさえ思えるほど三成は時代をはるか先取りした、我が国屈指の偉人である。(先取りしすぎて他の多くの武将たちがついて来れなかっただけだ。) 今のすべての政治家たちは、三成を師とすべし!

毛利輝元 大阪城にとどまらずに、やはり、美濃まで出て来て欲しかった。  おのれ自身の運をさらに開く為にも・・・・。 輝元は萩に移された後、きっと、関ヶ原に向かわなかった事を非常に後悔しただろう。  先に述べた三成の件だが、「主君からもらった給料は公(おおやけ)のためなら惜しみなく使うべきである。 カネを貯め込み過ぎるのは、給料どろぼうである。」と三成が常々述べている点や、関ヶ原後に攻略された佐和山城の内部が、とても質素で、大名の城の中とは思えないほど粗末であったことからも、三成がひたすら滅私奉公の人で、私腹を肥やそうという邪心などなかったことが明らかである。 やはり、「民主主義」の観念までは持ってなかったにしても、少なくとも「為政者は公僕」という観念は持っていたと容易に想像できる。

最強竜 さんからのご投稿(2002.12.21)

三成派 秀頼を立てようと努力したから。

島津義弘 敵中突破が格好良かったから。

安田冶部少輸 さんからのご投稿(2002.12.21)

三成派 冶部殿は、義に厚く、すばらしい人柄だから。家康なんぞとはわけが違うわ、身の程を知れ狸めが、あまり図に乗ると、冶部殿と共に、我が上杉が成敗いたすぞ。

津軽為信 偉い!冶部殿の死後、その一族を保護するとは。東軍にも見所のある奴がいるものだ。結城秀康殿の石田正宗もすばらしい。己の欲望のために動く家康めとはわけが違う。

恐縮です!梨本です! さんからのご投稿(2002.12.19)

三成派 恐縮ですが、石田治部少輔三成公のファンです。ちょっと、古い流行語ですが、アムラーやナオラーに対抗して、三成公の官位名をとって、三成ファンのつどい・「じぶラー」の会を結成したいものでーす! 恐縮です!

田中吉政 今年(2002年)なにかと話題の、「田中さん」が、関ヶ原に参加していた!大スクープだ!でも、この人も近江出身で、大谷刑部公同様、三成公の友人だったんでしょ・・・。しかしやはり、寄らば大樹の陰、お家大事か・・・・。まあ、吉政公の当時の苦しい胸の内、よくわかります。賤ヶ岳の合戦の時の唐沢・・もとい、前田利家公の苦悩とよく似た心境だったと、恐縮ながら推察いたします。吉政公もやはり多くの家臣とその家族の命を預かっているわけですから。 でもそれだけに、吉政公とちょうど対照的に、大谷刑部公が友情・義を最優先されたことに「感動した!」  ライオンヘアー総理もある雑誌の中で、治部様と刑部様の有名な茶会でのエピソード(三成だけは飲んでくれた!)を歴史作家の先生と話していたしね。確か、まだ総理になる前ですが。  ま、とくかく、「田中さん」だけは、憎めないよね・・・!  恐縮でしたあー!

守護神・カーン さんからのご投稿(2002.12.19)

三成派 とにかく、内府が憎たらしい! 大阪の陣後、なんの罪もない幼い国松(秀頼の子)を無残にも処刑した非道、断じて許すまじ! 「い、いや、そ、それは戦国の世のならいで、う、右府様も浅井長政の子のま、万福丸を処刑なされたのじゃ・・・。幼い子とはいえ、せ、成長すれば親の仇を討つと言い出しかねぬのじゃ・・・。となると、豊臣恩顧のと、外様どもが国松をかつぎ出し、再び戦国の世に逆戻りぞ・・・。 そ、それゆえ、わしはの、み、身が引き裂かれる断腸の思いで、天下のあ、安寧の為、く、国松を斬ったのじゃ・・・。 わ、わかってくだされぇ・・・。」と言い訳するであろうが問答無用! ドラえもんにタイムマシンを借り、貴様を成敗しに行くから、内府よ、首を洗って待っておれ!

吉川広家 2000年の大河ドラマ、「葵・徳川三代」で、なべおさみに演じさせたのはNHKの大失敗。 いくら卑怯者のレッテルを貼られている広家とはいえ、「やかんパパ」では、浮かばれなかったなあ。一応は、毛利両川の吉川元春の子だからね。 1997年の「毛利元就」での小早川隆景役にホンジャマカの恵(めぐみ)など、NHKは毛利家を馬鹿にしているのか?

リックドム さんからのご投稿(2002.12.19)

三成派 三成様こそ拙者を戦国の世にいざなってくれたお人。三成派が家康派を大きく上回っており満足満足♪なおも反家康同盟に多数参加されたし☆関ヶ原戦勝の暁には大挙江戸になだれ込もうではないか!痛快至極。

佐竹義宣 貴殿が伏見まで三成様を届けてくれたればこそ関ヶ原の挙兵もあったのです。感謝。また家康の会津討伐が実現していれば佐竹殿が家康の首を取って下さっていたかも☆秋田に三成様のお墓があるというのは本当ですか??

御館様 さんからのご投稿(2002.12.16)

三成派 三成様は人と呼ぶに恥かしからぬ寛大な御方であらせられる。義に生き、義に死す。誠に天晴れな御方である。死すべき時は彼の如くありたいものである。太閤様を批判なされる御方もございますが、今も昔も庶民の人気一番星は、太閤様を置いて他にはございますまい。我らの希望の星は彼にござりましょう。

直江兼続 関ヶ原後も西軍の中心人物だから。

佐平次 さんからのご投稿(2002.12.15)

三成派 やはり、正義でしょう、本当は三成の心情はどうだったのかわからないがなんとなく邪心はなかったと私はおもう。

真田昌幸 表裏卑怯者と言われているが戦国の世を巧みな戦術で切り抜けたから。さらに関が原の戦いで西軍に味方したのはぐぅっとくる。

直江状 さんからのご投稿(2002.12.15)

三成派 石田様の生きかたこそ、人としての手本である。その石田様に刃向かう家康は愚か者である。今の時代、石田様の生き方が必要である。

明石全登 決戦の声優が孫堅だから。

妖刀村正 さんからのご投稿(2002.12.15)

三成派 朝鮮出兵も終わり、世が平和になったと思った矢先に関ヶ原!!家康お前何考えてんだ!!貴様は私利私欲のため上杉閣下にいちゃもんをつけ、罪も無い石田殿を陥れ、民にさらなる疲弊を与えた。貴様は死罪にあたる!!貴様が”今”の礼儀知らずを生み出したに他ならない!!東軍に味方した忘恩の輩も当然死罪になるべきだ!!こんな不条理な戦で死んだ兵士や武将が哀れでならない・・・

島左近 島左近を初めとする西軍武将(上杉、直江、大谷、宇喜多、明石、戸田、平塚、、小西、真田親子、佐竹、立花)とにかく彼らが哀れでならない。家康の勝手極まりない暴挙の犠牲になり、死んだもの、領地を削減されたもの(毛利らを除く)達の気持ちは半端なものじゃないだろう。結城秀康や松平忠輝なども家康に迫害されつづけとにかく哀れだ。彼を美しく評価する人間の気が知れない・・・

ハッピィー さんからのご投稿(2002.12.15)

三成派 忠義心厚く、夢・理想を持って行動し、義に殉じ最後まで希望を捨てず生涯を閉じた。徳川時代にその人物像を歪められたが、島左近・蒲生郷舎等多数の有能な家臣が最後までついてきたぐらい魅力的な人物だったと思う。

宇喜多秀家 全力で戦い抜き、徳川三代まで長生きし、幕府に媚びなかった。

hata さんからのご投稿(2002.12.12)

三成派 三成は秀吉の遺言を守り、秀頼を盛り立てようとした忠義ものだから。わずか佐和山数十万石の彼が関八州に250万石の憎き家康を除こうとした勇気ある武将だから。悔しいのは秀吉が一番頼みにしていた利家と家康なのに遺言をないがしろにし徳川が豊臣から簒奪したのは日本史の汚点である。もし利家が関ヶ原まで存命であって秀頼を西軍の旗頭にしていれば家康は謀反者だったはずだ。豊臣時代が長く続いていれば日本の近代化は欧米諸国と同時期で明治維新に無理に拡張政策をせずひいては第二次世界大戦の敗戦国にもならなかったはずだ。

真田幸村 関ヶ原の敗戦後、九度山に蟄居するも豊臣のため大阪の陣まで家康を追い詰めたから。

毛利輝モト冬樹 さんからのご投稿(2002.12.11)

三成派 西軍の武将たちの方が、東軍の武将たちよりもさわやかなイメージがあるではありませんか。

九鬼嘉隆 海賊の大将で、相当凄味がありそうです。どなたかが、信長の孫の秀信(元・三法師)を、関ヶ原関連のドラマで登場させるべし、とおっしゃられていましたが(私も賛成)、九鬼嘉隆も是非、登場させてほしい。  子供たちにも人気が出てヒーローになると思う。 伊勢の方でも戦っていたんだから。

サヨナラは12月のララバイ さんからのご投稿(2002.12.11)

三成派 東軍は「利」だが、西軍は「義」だから。

吉川広家 いまだに吉川晃司ファン(ふ、ふ、古いっ!)で彼の遠いご先祖様かもしれないから。 「笑っていいとも」のあのコーナーに晃司が出たとしてもタモリや爆問には「広家」という名前、ヒントなしでは出てこねえだろうなあ・・・。

近藤勇(トミーズ雅) さんからのご投稿(2002.12.11)

三成派 もしも三成方が勝っていたら日本は今どうなっていただろう?!といろいろ想像をめぐらすことができるじゃんか! 歴史はロマンですよ、ロ・マ・ン!!

島左近 私は博多っ子なのですが、関ヶ原から何年も経って、黒田家の家臣たちが「左近は凄かった、怖かったぁ〜!!」という内容の話をしたとのこと。「こ〜れぞま〜こ〜との黒田武士」でさえも身震いさせるほどのオトコはすごいんだろうな!

フィラデルフィアン さんからのご投稿(2002.12.10)

三成派 みつなりがかっていればtradeちゅうしんのmonetary economyが17th centuryにcompleteしていたようなきがします。いえやすがかってしまったのでagricultureちゅうしんのsocietyができてしまいこのことがにほんのはってんをおくらせてしまいましたね。いえやすはぐんじんとしてはexcellentでしたがstatesmanではありませんね。

島左近 みつなりがいえやすとたたかうことができたのはかれのgovernanceがあったからですね。

胡麻色の髪の乙女 さんからのご投稿(2002.12.09)

三成派 小学低学年のときTBSの'81正月特番「関ヶ原」を見て以来、三成の方に同情しております。三成=加藤剛、家康=森繁久弥ほか豪華名優をずらりとそろえたドラマです。 まだ見たことがない若い人たちは、レンタルビデオで是非見て欲しいですね。「家康派」の人たちだって、脚色だとわかりつつも、三成に感情移入して思わず「徳光和夫さん状態」になる=号泣してしまうこと請け合いです。特に、古橋村の洞窟に三成を匿った与次郎大夫(今福将男)が、「わしの様な者に、『義』だなんて・・・・もったいない・・・」とすすり泣くシーンや、家康が最後に「これからは我が徳川家、三成のような家臣に恵まれればよいが・・・。  義・忠義の家臣にのう・・・。」と本多正信(三国連太郎)に語りかけるシーンなど。 TVで芸能人が、「どっちが早く涙を流すか」競争をしているのをみたことがありますが、今述べたシーン(他にも名シーンあると思う)を思い浮かべればその競争に絶対勝てるでしょう。

上杉景勝 同じくその「関ヶ原」で三沢慎吾という、あまり知名度のない役者さんが演じていたが、東軍が小山軍議後、西へ反転した情報を、直江兼継(細川俊之)からもたらされた時のやり取りが超かっこいい。 兼継:「(家康軍を)追って出とうはござりまするが、背後の伊達が!」     景勝:「ぬぬぅ・・・伊達かぁ・・!」の、「伊達かぁ・!」の部分は、超かっちょいい。 ちなみに、伊達政宗は登場しなかったのでちょっと残念。

せっせ成政 さんからのご投稿(2002.12.09)

三成派 判官びいきというか、泣かせてくれるほうが好きだから。

織田秀信 これまで、関ヶ原を扱った時代劇はたくさんTVで放送されましたが、関ヶ原前哨戦の、東軍による岐阜城猛攻にさらされた、なんといっても総見公のお孫さんという結構重要な役どころのはずにもかかわらず、この人(当時ハタチくらいか?)は、まったく出てこない。  山崎合戦後の清洲会議で秀吉に抱えられていた幼児が、関ヶ原とその後をどう生きたか、今後の時代物ドラマで少しは扱ってもいいのでは?(金吾中納言とほぼ同い年くらいか?)

YOYO さんからのご投稿(2002.12.08)

三成派 外国人の俺からみると、やり方や個人能力はともかく三成は理想と信念のともで、関ヶ原で家康と対決したと思います。それに対して、家康はただの欲張り屋さんに過ぎないと思います。

島津義弘 史上未聞の脱出劇を演じた島津系に敬礼!!!多分世界史に載せてあるすべての戦いにおいてもその脱出劇は一番すごいでしょう。P.s.小早川はくずです!!!

上様、ネタ投稿を