合戦東軍西軍どちら派 三成派(1035票)
家康派(530票)
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れきしずき さんからのご投稿(2003.03.16)

三成派 三成派というより、西軍派・家康嫌いです。石田三成の思想・忠義心(だけではないとは思いますが)は充分理解できるし、清々しいものです。ただ、西軍諸将の巻き込み方の甘さ・諸将に対する倣岸さ・自己中さ加減などが、諸々の裏切りを生んだのではないでしょうか?(この点、家康が優っており、私が最高に家康を嫌いな理由です。)どなたかの投稿にあったとおり、前田利家・蒲生氏郷が中心となった西軍を是非見たかったですね。

上杉景勝 この人が東軍を追撃していたら、歴史は変わったかも。上杉・真田軍と西軍が3方から東軍を攻めていたら、毛利諸将の裏切りもなかったかも。歴史にモシはありませんが、最大のキーを握っていたのはこの人だったような気がする。

蒲生氏郷 さんからのご投稿(2003.03.13)

三成派 秀吉の恩を忘れず、時代に流されず、自分の信念を貫く姿勢は素晴らしい。

蒲生秀行 私は蒲生氏郷が好きなのですが、根本的には秀行ではなく、氏郷が生きていたらと考えてしまいます。彼が生きていたら、まず家康は楽に勝てなかった。彼は、大の家康嫌いで知られ、大の利家びいきだったから。利家が生きていれば、氏郷と組んで家康と戦っていたかも知れないし、利家亡きあとは、自らが天下を狙おうとしたかも知れないが、決して家康にはなびかなかっただろう。また利家の息子の利長を総大将に、前田家・蒲生家・浅野家・細川家らと徒党を組んで一大勢力になっていたかもしれない。言える事は、彼は決して、家康にはなびかなかっただろうと思う。そして、彼を殺したのは、氏郷の武勇を恐れた家康なのではなかろうかと私は思う。

蒲生氏郷 さんからのご投稿(2003.03.13)

三成派 彼のような主家思いの忠臣は、まさに戦国・安土桃山時代には珍しくもあるが、その男気に惚れました。

宇喜多秀家 西軍の総大将を毛利輝元ではなく、宇喜多秀家にすれば、きっと勝てたような気がします。彼は、幼少から秀吉の養子として育ち、まさに太閤恩顧の大名です。前田利家の娘である、豪姫を妻にするほど秀吉の覚えもめでたいし、北政所も、秀家にだったら協力を惜しまなかったはずです。秀家になら、福島正則や加藤清正も悪い印象はなかったと思います。彼が、自らを太閤の養子であると高々に称し、かつ、幼い秀頼君に代わり、太閤殿下の遺命に背く、五大老筆頭・徳川家康を征伐いたす!と号令していればきっと西軍の大勝利になっていたに違いありません。彼ほど、秀吉に可愛がられた養子は存在しないのですから。彼が、秀家が総大将になるべきだったと思います。そして、三成が表舞台に立たず、息子・重家に家督を譲り謙虚にしていればなおよかったと思います。

蒲生氏郷 さんからのご投稿(2003.03.13)

三成派 主家の繁栄を願い、自分を引き立ててくれた亡き太閤の恩を忠実に守り抜く姿は立派です。

福島正則 こいつは、秀吉のおかげで大名になれたくせに、三成憎し!の思いだけで、家康の思惑をも悟れず結果的に大恩ある豊臣家を滅亡に導いてしまった。いくら三成が憎いとは言えども、許される行為ではない。あの世で秀吉や秀頼、三成にこっぴどく叱られていることだろう。

歴史マニア(重症) さんからのご投稿(2003.03.09)

三成派 義に生きた石田三成を心から尊敬しているからであります。

大谷吉継 石田三成との友情を貫き通した素晴らしい武将だからです。

nWo さんからのご投稿(2003.03.04)

三成派 石田三成は家康なんかよりよっぽど戦上手で、英雄と呼ばれるにふさわしい人間に違いない!なぜなら西軍で戦ったのは、大谷軍、宇喜多軍、小西軍、石田軍ぐらいで、それに倍以上の東軍が攻撃してきたにもかかわらず、石田軍は彼らを長い間撃退し続け合戦を有利に運び続けた。また陣のしき方を見ても、三成は家康を包囲する陣形を取ったのに対し、家康はそれに包囲されるような陣形を取った!彼は三成よりも合戦に多くでて、“街道一の弓取り”とか呼ばれてんだからきっと他のいい陣の取り方をいくらでも知ってたはずだ!また一説に寄れば家康は秀頼を味方につけていたとか、それなら三成は勝っても逆臣、負けても逆臣。こんな立場に置かれながらもたった一人で家康に立ち向かい、真に豊臣を想い、守ろうとした三成こそ真の英雄に違いない!

小早川秀秋 ひょっとしたら、こいつが動かなければ三成が勝ったんじゃないのか。家康はこいつの裏切りが無ければ敗走に追い込まれたんじゃないんだろうか?そう考えると家康は決して“街道一の弓取り”ではなく、部下の助けと運良く生き残ってきた狸親父にしかすぎない。残るのは汚さと民政だけでコイツは戦上手でもなんでも無い、運良く天下を取った、ただの狸親父にすぎないだろう。

黄蘭 さんからのご投稿(2003.02.26)

三成派 がんばってたたっかたから!

小早川秀秋 なんでうらぎったの?負けそうだったから?

若武者 さんからのご投稿(2003.02.26)

三成派 秀吉様がおなくなりになったあと、家康の自分かってにはほどがある。

前田利長 あの前田利家の子でありながらなぜ家康に?

由利 さんからのご投稿(2003.02.25)

三成派 三成様は根も優しいし、とっても忠実だし、この時代にしては珍しく(?)偉くなりたい願望強くないし。逆に家康は、天下人になるためなら、なんでもするみたいな…?結局、色々あった関ヶ原だけど…裏切られたり、計られたりで、三成公は可哀相スギ!!家康はズル賢くて、私は好かぬ。

大谷吉継 三成様の親友だから♪♪お茶のお話は感激デス!!

島津義弘 さんからのご投稿(2003.02.22)

三成派 徳川家康は自分が天下を取るために戦ったが、石田三成は自分ではなく、豊臣秀吉の遺児の豊臣秀頼の天下にするため各国の武将に戦って欲しいと頼んだ石田三成が正しい!!!

島左近 あれだけの知略があるのならなぜ卑怯な徳川家康に勝てない?????

NOVAうさぎ さんからのご投稿(2003.02.16)

三成派 家康も三成もともに豊臣家のためと言っているが、家康はまったくそう思わない。逆に三成は本気で豊臣家の安泰を願っている気がするから。

小早川秀秋 結局東軍が勝ったのは小早川の裏切りが最大の要因だと思う。

直江 兼続 さんからのご投稿(2003.02.14)

三成派 家康は卑怯で好きになれないから。

直江兼続 日本の諸葛孔明だから

西条喜行強鷹 さんからのご投稿(2003.02.12)

三成派 豊臣氏が好きだから

毛利輝元

ブービー さんからのご投稿(2003.02.09)

三成派 家康は卑怯だだが、三成は正義を貫いている

長宗我部盛親 なんとなく

孔明 さんからのご投稿(2003.02.06)

三成派 ほんとに豊臣秀頼を盛り立ててくれそうだから

大谷吉継 石田三成との、友誼を守ったから

工藤ちゃん さんからのご投稿(2003.02.02)

三成派 江戸幕府のせいで、日本の発展が270年も遅れてしまったから。三成だったら、もっと日本をスゴイ発展へ導いたかもしれないから。

吉川広家 この大切な戦いで、日本の未来も考えずおのれの保身のために仲間を売るとは、とんでもない奴だ!小人の集まりでできた東軍に、偉人の集まりの西軍(一部を除いて)が破れてしまったのは悲劇としか言いようが無いだろう。

西沢但馬守宗就 さんからのご投稿(2003.01.31)

三成派 治部殿は、正義のために挙兵したのじゃ。義を重んじるそれがしは、三成派につきますぞ。

佐竹義宣 家康に一番近い大名で、よく西軍についた。

いし さんからのご投稿(2003.01.22)

三成派 下の続き。地元にばかり甘く、全体を見ようとしない政治家がもてはやされる中で三成のように甘くはないが公平であった政治家が今の世には求められていると思う。首相:石田三成外相:勝海舟財務(大蔵)&経済:上杉鷹山文科:吉田松陰建設国土開発:田沼意次厚生労働:明智光秀という世を見てみたい。

島津義弘 中立を保とうとした島津家にあって勝手に二千の手勢を率いて出兵。もしも彼が島津の堂々たる代表として大軍を率いていれば・・・

いし さんからのご投稿(2003.01.22)

三成派 ところでよく言われるのが秀頼の出馬があれば・・・ですが多少疑問があります。そもそも三成は多くの諸将を場合によっては騙し同然に陣営に引き入れたほどの政治手腕の持ち主です。いかに主君とはいえ秀頼一人を引き出せなかったのは不思議です。ところが、西軍派と言われていた淀殿が東軍派だったとしたら?三成が秀頼を関ヶ原に引きずり出せなかったのもそこに問題があると思うのですが・・・

津軽為信 三成の子ども達を匿い、その血は津軽家に流れたから。また、為信公自身も南部の圧政から津軽を救った英雄とも言える人物である。

直江山城守兼続 さんからのご投稿(2003.01.20)

三成派 石冶少殿の申せし信念たるや、まさに太閤殿下の御恩顧に応える唯一のもの也!!我が主と共に憎き内府を討つ!!

黒田孝高 あの御仁はなにを企んでおる?な、何!?それはまことか!?

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