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三成派(1031票) 家康派(529票) |
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1位 大谷吉継(172票) 2位 島津義弘(107票) 3位 真田幸村(101票) 4位 島左近(90票) 5位 小早川秀秋(82票) |
三成派 石田三成は、長い徳川時代のせいで、過小評価されている。まず、人望がなかった、というのは大きな間違いたかが18万5千石の大名が、八万もの軍勢を集めた。多くの諸大名の支持を得なければ、これほどの軍勢は集まらない。ww次に、大群を指揮したことがないというが、三成は秀吉に使えていたとき、2万もの兵を指揮している。ww最後に、乱世は終らなかったとあるが、三成は、内政が非常に優秀だったため、その後の世界を治めていたと考えられる。ww
島左近 関ヶ原のあと、生死が分かっていないから。
三成派 正々堂々真正面から戦ったから。常時冷静沈着でクールでかっこいいから
島左近 鬼左近と称されたほど、すさまじい戦いぶりだったというから。軍略家でかっこいいから
三成派 家康も、秀吉の最期に秀頼のことを頼まれた。それを誓詞も書いて了解した。なのに秀頼を焼き殺したなんて・・・さらさら越えの佐々への対応とか、非情なトコが大嫌い。比べて三成はあんな神経質な秀吉にひたすら仕えた忠臣。世渡り下手だから敵が多かったのが無念。と思ってます。
島左近 「関ヶ原の戦い」で好きなのは大谷とか幸村とかですが、気になるのはこの人。特にその後がものすごい気になって仕方ない。
三成派 裏切り、謀略ガ当たり前にある戦国の世にあり、どこまでも秀吉の恩儀を決して忘れず己のゆくべき道を貫き通したその姿。お見事!
島左近 敵も味方も惚れる杭瀬川、関ヶ原の戦いこれだけしか史実で確認できない活躍ながらいまも私を魅了する人物。見事なり。
三成派 忠義は大切、信義も信頼も大切…。でも、相対する人物の器を図る目と時流を読む洞察力が曇ってしまったのは、天下を目の前にした焦りからか…。それでも、三成に勝たせてみたかった。その後の国づくりを見てみたかった。
島左近 打算がはじけない人物ではない、望んで破滅に向かう愚かではない。左近ほどの武勇と知略に優れたるいくさ人が心酔し、支え続けた三成とはどんな人物だったのか…。二人の関係を目の前で見てみたい。
三成派 秀吉の天下統一を支えた彼の政治能力は目を瞠るものがある。経理・兵站の調整、大名の取り成しなど、ただ力を振り翳していた福島正則・加藤清正ら猪武者達とは格が違う。上杉との和睦や九州征伐は彼がいたから功を成したのだ。また、民・兵からも慕われていたと言う。関ヶ原の合戦では、三成の配下は命を惜しむことなく敵へと向かって行った。家康が天下を治めることになるが、それ以降、明治の黎明を見るまで日本の歴史や文化は低迷することになる。三成は天下を取る為に戦を起こしたのではなく、豊臣の恩顧に報いる為挙兵したのだ。私利私欲のない、平和主義者だと文献には残されている。
島左近 三成に過ぎたるもの、と謳われているほどの武将。しかし彼はどんな状況に陥っても唯一の主の為に戦略を使い、時に諫言をしながらも最期まで三成の志に仕えた。三成は敵が多かったが、彼の意見に賛同する友や家臣も確かに存在して支え続けた。
三成派 勝者である徳川視点で物を見ていたのか、今までは西軍嫌いだったが(徳川も嫌いだったが)司馬遼太郎の関ケ原を読んで評価が一変。というか三成、地元の人だったんだ…
島左近 カッコいい
家康派 三成よりは人間がずっとまともそう。
島左近 石田三成にしろ島左近にしろ必要以上に評価されすぎ、三成が好きって言う人は今すごくww多いけど、彼の秀吉への忠誠心を過剰に称えwwすぎて、逆に三成と仲の悪い人達(家康や福ww島正則、加藤清正)を必要以上にこき下ろすwwのは見ていて不快になる。三成だって毛利のww家臣から名刀の由来のある短刀をせがんだりwwヤラシイ部分がそうとうあるし、朝鮮出兵中wwも終戦後の政権構想では三成じしんその仲間wwで固めた政権を作ろうとしていた文書もあるwwし、関ヶ原も単なる家康・三成の主導権争いwwにすぎず三成が自分が正しいとみんなに思わせwwるため、秀頼を担ぎだしただけだと思う。でwwも個人的に三成が嫌いというより、三成絶対ww主義の三成ファンが嫌いなだけだと思う。wwww