山形城の歴史・見どころ

山形城の歴史

山形城の始まりは、南北朝の争乱が続く14世紀半ばまでさかのぼる。延文元年(1356)、斯波兼頼が羽州探題として山形に入り、翌延文2年(1357)から築城を開始した。初期の城郭がどのような姿をしていたのか、その規模は明らかになっていない。

兼頼の子孫はやがて最上氏を名乗り、山形を本拠として勢力を広げた。その山形城を大きく整備したのが、最上氏11代の最上義光となる。16世紀末には現在の山形県村山・最上地域を治めるに至り、山形城と城下町の整備を進めた。

義光は城郭の整備とともに商業の振興にも力を入れ、城下を通る羽州街道沿いに七日町・十日町・旅篭町などの商人町を置いた。さらに材木町・塗師町・鍛冶町などの職人町を配置し、城下町を整えていった。

その山形城をめぐる情勢が大きく動いたのが、慶長5年(1600)の慶長出羽合戦となる。上杉景勝の重臣・直江兼続が率いる軍勢が山形へ侵攻し、支城の長谷堂城を攻撃した。長谷堂城をめぐる攻防は半月に及んだが、関ヶ原で東軍が勝利したことを受けて直江勢は退却し、山形城への攻撃には至らなかった。戦後、義光は57万石の領地を認められた。

義光の死後、孫の義俊の時代には、世継ぎをめぐって家中が対立する最上騒動が起こった。元和8年(1622)、最上家は改易となり、山形城には陸奥岩城平から鳥居忠政が入封した。忠政は山形城を大規模に改修し、ほぼ現在の姿の原型を築いた。現在残る二ノ丸の堀や土塁・石垣も、この時期に整備されたものと伝えられている。以後は保科氏、松平氏、奥平氏、堀田氏、秋元氏、水野氏など譜代大名が相次いで城主となった。

藩主の交代と石高の減少が続くなか、広大な山形城の維持は次第に難しくなった。明和4年(1767)に入封した秋元凉朝の時代には荒廃した城の修復が進められ、櫓や門など広範囲に及ぶ普請が行われた。幕末には水野氏が5万石で山形城を治め、明治期に廃城となると城内の建物は取り払われた。

山形城の特徴と構造

山形城は馬見ヶ崎川の扇状地に築かれた平城で、本丸2.83ha、二ノ丸27.99ha、三ノ丸234.86haに及ぶ。本丸を二ノ丸、さらに三ノ丸が囲み、それぞれを堀と土塁で取り巻く輪郭式の縄張りを特徴とする。城下には羽州街道が通され、商人町や職人町が配置された。

現在残る二ノ丸の堀・土塁・石垣は、最上氏改易後に鳥居忠政やその後の保科正之によって改修されたものと伝えられる。石垣には馬見ヶ崎川で採掘された玉石の安山岩を用いた。城郭は土塁を主体としたが、城門には石垣が築かれている。

本丸には御殿が置かれたが天守はなく、二ノ丸には江戸時代前期まで三階櫓が存在した。二ノ丸東大手門は枡形を備え、最上氏時代の外枡形から、二ノ丸拡張に伴って内枡形へ改められた。

二ノ丸北側の土塁では、屏風状に折れ曲がる「屏風折れ土塀」の礎石が発掘調査によって確認されている。また、本丸御殿跡では平成24年度(2012)から整備を目的とした発掘調査が行われ、地下遺構や出土品などから御殿の位置や規模が推定されている。

山形城二ノ丸東大手門・大手橋
山形城二ノ丸の東側に構えられた正門。枡形を形成する櫓門や続櫓と大手橋が復原され、近世城郭として整えられた山形城の堂々とした入口を今に伝える。
山形城二ノ丸東大手門櫓
二ノ丸東大手門の枡形を構成する櫓。東大手門は櫓門や続櫓などからなり、石垣とともに重厚な門構えをつくり出している。
最上義光銅像
霞城公園内に立つ、山形城主・最上義光の騎馬像。慶長5年(1600)の長谷堂合戦で、自ら陣頭に立って指揮した姿を表現している。
山形城本丸と一文字門橋跡
本丸一文字門周辺の石垣整備後の様子。写真撮影時は橋がなく、整備された石垣と本丸を望むことができた。現在は発掘調査の成果をもとに一文字門や大手橋が復原されている。

山形城の整備状況

山形城跡は昭和61年(1986)に国史跡に指定され、本丸と二ノ丸を中心とする約35.9haが霞城公園として整備されている。山形市は昭和54年(1979)から公園整備を進め、二ノ丸東大手門は江戸時代中期の資料をもとに平成3年(1991)に復原された。本丸御殿跡では平成24年度(2012年度)から、整備に向けた発掘調査が行われてきた。

現在は令和15年(2033)の事業完了を目標として、本丸堀・土塁の復原や北側エリアの整備が進められている。今後は本丸西堀・土塁の復原、本丸御殿跡の平面表示やVR等を活用した整備、本丸北不明門周辺の発掘成果に基づく復原、二ノ丸北土塁の園路整備などが計画されている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系3』(新人物往来社)
  • Webサイト「霞城公園(国指定史跡山形城跡)について」「国指定史跡 山形城」(山形市)

山形城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット

最上義光歴史館

最上義光歴史館は、山形城二ノ丸東大手門前にある、最上義光と最上氏の歴史を伝える資料館。義光所用の「三十八間金覆輪筋兜」をはじめ、甲冑や太刀、長谷堂合戦図屏風(複製)、山形城にまつわる資料などを展示している。山形城を築いた最上氏の歩みと義光の生涯を知るためにも、城めぐりとあわせて訪れたい(山形県山形市大手町1-53)。

山形城の撮影スポット・絶景ポイント

山形城を代表する二ノ丸東大手門と本丸一文字門は、いずれも東向き。正面から狙うなら光が回る午前中がおすすめで、大手橋や石垣とともに門構えを収めたい。とくに本丸一文字門は、門と橋を組み合わせることで、山形城らしい堂々とした構図をつくることができる。

山形城の写真(城写真ARCHIVE)

城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、山形城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。

山形城周辺の観光スポット・史跡めぐり

歌懸稻荷神社に残る土塁

山形城三ノ丸土塁歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)の裏手には、山形城三ノ丸の土塁と堀跡が残る。市街地化によって三ノ丸の堀や土塁の多くが失われたなか、往時の姿を伝える貴重な遺構で、土塁は高さ最大約8m。霞城公園から離れた現在の市街地まで城域が広がっていたことを実感できる(山形県山形市十日町1丁目1-26)。

山形城周辺グルメ・名物料理

山形そば

山形を訪れたら味わいたいのが、香り豊かでコシの強いそば。なかでも村山地方に伝わる「板そば」は、大きな木箱に盛り付けて供される山形らしい一品。山形市内には老舗のそば店も多く、山形城めぐりとあわせて楽しみたい。

芋煮

山形の秋を代表する郷土料理が芋煮。山形市を含む村山地方では、里芋と牛肉を醤油味で煮込むのが特徴で、河川敷などで大鍋を囲む「芋煮会」の文化とともに親しまれてきた。山形の食文化を知るうえでも、一度は味わっておきたい郷土の味。

山形城周辺ホテル・宿泊情報

山形城を高所から眺めるなら、山形駅西口ワシントンホテルも選択肢のひとつ。高層階からは霞城公園を見渡すことができ、本丸・二ノ丸を中心とした広大な城址を俯瞰できる。地上から城内を歩いたあとに眺めれば、山形城の規模や縄張りをあらためて実感できる眺望だ。

山形城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:山形県山形市霞城町1 [地図を見る]

県別一覧:[山形県の城]

電話:023-641-1212(山形市公園緑地課)

開園情報

開園時間:5:00~22:00(4月1日~10月31日)、5:30~22:00(11月1日~3月31日)
休園日:年中無休
入園料:無料

アクセス

鉄道利用

JR山形新幹線・奥羽本線・仙山線・左沢線「山形駅」下車、東口から二ノ丸東大手門まで徒歩約15分、西口から南門まで徒歩約10分。

マイカー利用

山形自動車道「山形蔵王IC」から約15~20分。無料駐車場有り(230台)。車両の出入りは北門のみ。

地図