清洲城の観光情報(愛知県)

所在地:愛知県清須市朝日城屋敷1番地1

清洲城

写真:岡 泰行

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開館開館

清洲城(模擬天守閣)は、9:00〜16:30(入館16:15)で休館日は月曜日・年末年始。清洲城は川と線路を挟んで公園2ヶ所に土塁や復元石垣や土塁、銅像がある。その公園は24時間入園可能。

アクセスアクセス

[鉄道] JR東海道本線、清洲駅下車、または、名鉄新清洲駅下車、ともに徒歩15分。
[自動車] 東名阪自動車道、清洲東インターより5分。無料駐車場(37台)有り。

資料資料

模擬天守閣や芸能文化館。

投稿者:ゆかs(00.07.07)

撮影アドバイス撮影アドバイス

清洲城はその規模から、お城めぐりの通過点になりがち。だとすれば午前中に訪れたなら模擬天守を東側の広場から、午後だと川を挟んだ石垣遺構や橋の上からどうぞ。なお付近の高いところから見下ろせる場所はないが、大阪から名古屋方面の新幹線に乗車しながら窓際から狙うとちょっと違った角度からの写真が望めるぞ。がしかし、かなりのスピードなので撮影は無理かも。

投稿者:半兵衛(00.05.27)

グルメグルメ

清洲は酒蔵だってご存知ですか?清洲桜製の地酒「信長鬼殺し」はローソンで売っています。食事は駅付近に喫茶店がほんの数軒。旅風情は味わえない…。

投稿者:優佳s(00.02.09)

宿泊宿泊

清洲町内には無し。尾張人として勧められる最高のホテルは名古屋観光ホテル。そんなに高くは無かったですよ。また、名古屋界隈まで出るとビジネスホテルなど多数あり。

投稿者:ゆかs(00.07.07)

歴史スポット近郊歴史スポット

清洲城の鯱関連する歴史スポットといえば2つ。「総見院」には、本能寺の変直後に出土した信長の遺品「焼兜」。また少し距離がありますが、岐阜城に近い「崇福寺(岐阜県長良福光)」には、清洲城の鯱と伝わるものが展示されています。余談ながらこの崇福寺には、土岐頼芸の鷹の水墨画、武田信玄・織田信長のなどの書状、稲葉良通(一鉄)寄贈の鐘、信長愛用の櫓時計なども。または、3km南下すれば秀吉誕生の地と伝わる中村公園。

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観光チェックリスト投稿情報 〜みんなはこんなところをチェックしています〜

見るべきポイントは「模擬天守」「復元された石垣」「本丸土塁」「信長銅像」「濃姫銅像」の5つ。

投稿者:半兵衛(10.05.27)

清洲城模擬天守閣内の資料展示は、平成22年3月にリニューアルされたそうだ。

投稿者:半兵衛(10.04.02)

織田信長、その父信秀の城として有名。清洲城は、1405(応永12)年に尾張の守護、斯波義重が築いたのが、そのはじまり。斯波義敏のときの内紛で織田氏が入城、それからしばらくして、一族の織田信秀が居城した。信秀が古渡城に本拠を移すと、かわって織田信友が入る。1555(弘治元)年になり、信長は叔父信光と謀り、守護代織田信友を殺害。信長は清洲城を奪回すると、ここ清洲城を本拠地とする。それから約10年後、信長はこの城から桶狭間の戦いに出陣していった。

投稿者:半兵衛(10.05.27)

信長が倒れるのは、1582(天正10)年の本能寺の変。その家督相続を決める会議が、この清洲城で開かれた。世に言う「清洲会議」の舞台である。秀吉の推した三法師が家督を継ぎ安土城へ。そして清洲城には、その補佐役の織田信雄が入城することになる。しかし、信雄は小牧・長久手の戦い以降、秀吉によって追われることになり、その後の清洲城主は福島正則・松平忠吉・徳川義直へと代わっていく。1607(慶長12)年、徳川義直は名古屋城を新しく築き、清洲城は200年あまりの命を終えた。廃材や石垣などは名古屋城に転用されたと言われているが、中でも名古屋城の清洲櫓は、清洲城の天守を移築したものと言い伝えられている。

投稿者:半兵衛(10.05.27)

東海道本線より南側の清洲公園には、26才の信長の銅像があり、北側の清洲古城跡公園には、「復元された石垣」と「清洲古城跡」石碑と「右大臣織田信長公古城跡」の石碑がある。後者の石碑がある場所が本丸土塁跡と言われている。

投稿者:半兵衛(10.05.27)

現在、本丸土塁の一部のみ残り、開発の犠牲で大部分は存在しない。平成2年に復興天守が建てられ、内部は資料館になっている。また、平成9年には近郊から石垣が出土し、その技術の変貌が明らかになりつつある。岐阜県の崇福寺には清洲城のものと言われている鯱が、ひっそりと残っている。

投稿者:半兵衛(10.05.27)

本丸のほぼ中央を新幹線が開通して以来、悲しいかな開発の犠牲に。遺構は本丸土塁の一部と河川工事で出土した石垣。現在の復興天守は、当時はこんな建物だろうと想像で建てられている。場所は一応本丸のあったところらしいが、定かでない。最上階の回廊は、「当時の市長が眺めがいいからつけては?」の一言で付けたと地元の方が言う。ほんと〜?

投稿者:半兵衛(10.05.27)

愛知県清洲町に建つこのお城、現存の復興天守は、古城跡とは別の場所につくられたもので鉄筋コンクリート造。清洲本籍の者としてはなにか自慢したいのですが情けない城です。何でも赤字が凄いとか聞いてます。せいぜい東小学校の女子パレードくらいですかね。それでも清洲町では故郷清洲運動を推進してます。

投稿者:にゃんこ先生(00.01.12)

清洲は昔は尾張の首府だったんですよ。それが「清洲越し」で首府が名古屋に移って以来清洲はさびれるばかりでした。当時の唄は「思いがけない名古屋が出来て、花の清洲は野となろう」と歌われました。こうして「東海の巨鎮」といわれた清洲城も廃城にいたりました。後にも大洪水が起こり何もかも無くなったといいます。

投稿者:ゆかs(00.01.15)

新生活清須市のシンボルであります。新幹線の運転手が運行の目印にしてるそうです。清洲城が見えたら東京から370キロ地点だったっけ?

投稿者:PRADA(09.03.29)

五条川に映える天守閣の勇姿が印象的である。清洲ふるさとの館には清洲城でしか買えない信長モノがある。私は清洲出身である。意地にかけてこの城を有名にしたい。

投稿者:小田泰史(03.07.03)

毎年10月10日は時代行列の日。

投稿者:ゆかs(00.07.07)

城と五條川の対岸にある土産物屋には名物の清洲桜の鬼ごろし酒がある。また、売り物の信長の銅像もある。

投稿者:にゃん先生(99.11.04)

夜はライトアップされている。新幹線から見ると線路のすぐ横に建っているのでその明るさにびっくりするぞ。

投稿者:半兵衛(97.05.30)

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