志岐城
志岐城は、天草下島北部を支配した志岐氏の拠点として築かれ、天正17年(1589)の天草合戦で落城した山城だ。丘陵上に築かれ、海と谷に囲まれた自然地形を活かし、曲輪や堀切が連なる構造を持つ。現在は城跡公園として整備され、主郭や堀切などの遺構を歩いて体感できる。このページでは志岐城の歴史と構造、見どころを紹介する。 ▼続きを読む
三雲城
三雲城は近江守護六角氏に仕えた三雲氏の居城で、長享元年(1487)の六角討伐の際には臨時の本城として用いられた。標高334mの山上に築かれ、巨石を用いた石垣や虎口を備える山城である。現在も主郭や石垣が残り、八条岩とあわせて独特の景観を見せる。このページでは三雲城の歴史と構造、見どころを豊富な写真とともに紹介する。 ▼続きを読む
菩提山城
菩提山城は、美濃国不破郡岩手の菩提山山頂(標高402m)に築かれた山城で、竹中半兵衛重治ゆかりの城として知られる。濃尾平野を見渡す要害の地にあり、戦国期には竹中氏の拠点として機能した。現在も曲輪や堀切、竪堀など山城特有の遺構が残る。このページでは菩提山城の歴史と構造、城跡の見どころを紹介する。 ▼続きを読む
水口岡山城
水口岡山城は天正13年(1585)、中村一氏によって築かれ、豊臣政権のもとで甲賀支配の拠点となった城だ。古城山の山上から山麓に広がる大規模な縄張を持ち、石垣や堀、虎口を備えた織豊系山城である。現在は曲輪や石垣、堀跡などの遺構が残り、山上からの眺望も魅力となっている。このページでは水口岡山城の歴史と構造、整備状況を豊富な写真とともに紹介する。 ▼続きを読む
霧山城
霧山城は、康永元年(1342)に北畠顕能が多気に築いた山城で、北畠氏館の詰城だ。標高約560mの尾根上に曲輪や堀切を配した要害の構えを持つ。現在も土塁や郭が良好に残り、多気盆地を見渡す景観が広がる。このページではその歴史と構造、見どころを豊富な写真とともに紹介する。 ▼続きを読む
久能山城
久能山城は、永禄11年(1568)に武田信玄が久能寺を城塞化して整備したとされる山城。駿河湾を見下ろす標高210mの山上に築かれ、伊豆方面まで見渡す監視拠点として機能した。現在は本丸跡に久能山東照宮が建ち、徳川家康の神廟や勘助井戸などが残り、駿河湾を望む景観も見どころ。このページでは久能山城の歴史や遺構、周辺の見どころを豊富な写真とともに紹介する。 ▼続きを読む
諏訪原城
諏訪原城は、永禄12年(1569)に武田信玄が遠江侵攻の前進拠点として築いた戦国期の城。牧之原台地北端に築かれ、本丸を中心に二の丸・三の丸が扇状に展開する縄張りと深い空堀、馬出し曲輪を備える武田流築城が特徴。現在も土塁や空堀などの遺構が良好に残り、台地の地形とともに城の規模を体感できる。このページでは諏訪原城の歴史や構造、見どころを豊富な写真とともに紹介する。 ▼続きを読む
掛川古城
掛川古城は、掛川城の北東にある子角山に築かれた城で、掛川城の前身とされる。山頂の削平地を本曲輪とし、東側に土塁や大堀切を配した山城の構えが特徴。現在は龍華院大猷院霊屋が建ち、土塁や堀切などの遺構が整備され見学しやすく、曲輪からは掛川城を望むこともできる。このページでは掛川古城の遺構や見どころを豊富な写真とともに紹介する。 ▼続きを読む






