写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
明智長山城の歴史と見どころ
地元、可児市発行の「戦乱の世に消えた明智城」A3二つ折りパンフレット。見所がまとめられている。
明智長山城の撮影スポットと絶景
明智長山城の写真集
城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、明智長山城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。明智長山城とあわせて訪ねたい史跡
「天龍寺」明智家菩提寺伝えられ、明智一族の墓や光秀の位牌(光秀の位牌では日本一の大きさで184cm)がある。または、落城のとき戦死した明智七武将を葬った塚である七ツ塚。お城ではJR恵那駅乗換、明智鉄道沿線の岩村城、明知城(白鷹城)など。
明智長山城の観光情報とアクセス
明智長山城:城ファンの知見と記録
明智長山城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全4件)。
明智長山城での発見を記録に残しませんか?
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年より日本各地の城郭を訪ね歩き、取材と撮影を続けている。「先人たちの知恵とおしゃれ心」をテーマに、四半世紀にわたり城のたたずまいと土地の風土を記録してきた。撮影を通して城郭に宿る美意識を見つめ、遺構や城下町の風景に残る歴史の息づかいを伝えている。作品は書籍、テレビ、新聞など多くのメディアで紹介され、城の美しさと文化を広く発信している。







令和2年6月13日、明智城本丸跡に高さ約2m30cmの明智光秀のブロンズ像が造られたそう。
明智光秀は11歳で城主となり、29歳のとき、明智長山城が落城したらしい。
別名を長山城、または明智城と言い、明智光秀の居城であったと伝えられる中世の平山城です。明智城は、恵那市明智町城山とここ可児市瀬田長山の2つあり、どちらが明智光秀出生の城なのかそれを決定的に裏付ける資料はありません。
康永元年(1342)、明智次郎長山下野守 頼兼により築かれた城。215年後の弘治2年(1556)に斎藤義龍の攻撃を受け落城し、この時、光秀は明智城から逃れたと明智軍記にあるが証明するものは無い。別名は長山城と言うが、標高170mほどの山が長くつらなっていることからその由来。本丸跡や、曲輪・土塁などの遺構が残っている。