写真:岡 泰行
明知城(白鷹城)の歴史と見どころ
縄張図をGET
日本大正村横の観光案内所、または、明知陣屋跡の旧三宅家で、明知城のA4カラーの縄張図をGETできる。
明知城(白鷹城)の散策コース
明知城の登城ルート
明知城(別名:白鷹城)を攻めるには、日本大正村の無料駐車場に駐めて西側に残る明智陣屋跡(水堀・大手門跡)を経由し徒歩で登城するか、もしくは明知城西側の駐車スペース(4台程度)に駐めて登城する。
日本大正村の駐車場からは(または鉄道利用の場合)、大正村と呼ばれる明智のレトロな町並みを歩きながら、麓の明智陣屋跡を経由し、南側から、旧三宅家、明智光秀公学問所と天神神社を経て、明知城へ登り、反時計回りにめぐると良い(明智陣屋から明知城へのルートは、北側からと南側からの2ルートあるが、南側の方が道が分かりやすい。Googleマップ参照)。
明知城は散策自由。冬は雪国になる訳ではないが、年に1、2度は積もるそうだ。
明知城(白鷹城)の撮影方法
特に明知城の二の丸には、もみじが多く、新緑と紅葉の時期が美しい。2019年度に木々の伐採や草刈りなど整備され、各曲輪が見やすくなっている。
また、南西に直線距離750mの位置に、落合砦(千畳敷砦)があり、その出丸から明知城の遠景を撮ることができる。
明知城(白鷹城)の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る明知城(白鷹城)の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。明知城(白鷹城)の関連史跡
明知城の支城、千畳敷砦(千畳敷公園)に、光秀公産湯の井戸という古井戸跡、大正村役場の北約200mにある龍護寺に明智光秀のお墓があり高野山の墓と同じくヒビが入っています。「願いが割れる」のでヒビが入るのだとか説明がありました。遠山の金さん(景元)を含めた遠山氏11代の墓もあります。龍護寺より西にある八王子神社には光秀の手植えと伝わる木があります。また、城下町は「日本大正村」とか言って、大正時代の町並みや博物館等、結構楽しませてくれます。時間があったらぶらぶらしてみるといいかもしれません。お城では岩村城、明智長山城など。
[かず (1997.12.08)]
[又兵衛 (1997.12.08)]
明知城(白鷹城)のおすすめ旅グルメ
日本大正村の「お食事処かわかみ」へどうぞ。
明知城(白鷹城)の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
割烹旅館「笹乃家」、中馬街道沿いにある「さつき旅館」の付近にはこの2件のみ。
明知城(白鷹城)のアクセス・所在地
所在地
住所:岐阜県恵那市明智町城山 [MAP] 県別一覧[岐阜県]
アクセス
鉄道利用
JR中央本線、恵那駅乗換、明智鉄道、明智駅下車、徒歩約20分。
マイカー利用
中央自動車道、瑞浪ICから、東へ21km(29分)。明智陣屋を経由して登城するなら、日本大正村の無料駐車場へ。または、明知城の東側にある駐車スペース(4台程度)を目指す。東側の方が曲輪のすぐ下にあるため登城は楽だ。
城ファンの気になるところ (5)

光秀の学問所もあります。でもなんだか新しい建物。
( かず)さんより
明知城は、ここ恵那市明智町城山と可児市瀬田長山の2つあり、どちらが明智光秀出生の城なのかそれを決定的に裏付ける資料は無い。この城は宝治元年(1247)、遠山氏の始祖、景重の築城。もとの町名を「明知」といったが光秀出生の土地をうたうようになってから現在の「明智」に改名したという話があります。遠山の金さんの遠山家の城。
( 又兵衛)さんより
明知城は標高528m、別名は白鷹城といい、本丸跡、二の丸跡、出丸跡があります。中でも「猿落し」という絶壁が数箇所にあります(猿でも落ちてしまうそうだ。標高はないけど、堅固かも)。麓には陣屋跡も。
( かず)さんより
明知城跡の立て札には「武田勝頼はこの明知城を落とした事で城攻めに自信を持った為、数年後の長篠の戦いにおいて大敗を喫したのだった」とあった。どうも胡散臭くありませんか?
( かず)さんより
毎年5月3日に「光秀まつり」が行われます。光秀の武者行列が町内を練り歩くそうです。明智太鼓も。
( 又兵衛)さんより