尾鷲の石丁場(石切場)を訪ねて

尾鷲の石丁場 「曽根石」という名で知られる尾鷲の石丁場(石切場)は、三重県尾鷲市にあります。その石丁場については尾鷲市教育委員会の資料(※)から詳しく知ることができます。 この石丁場から、城では、江戸城普請に伴い細川家が石を搬出しています。また、名古屋城での使用については、をれを示す史料がありませんが(2025年2月現在)、名古屋城の石垣では、この地....
2025年春の桜撮影

2025年春の桜撮影 今年の桜撮影は、九州と兵庫県を主な舞台としました。狙うのは、満開宣言が出た翌日。満開を撮るには、宣言日からの2日間が最も美しく、晴れ間を見逃さぬよう動きます。また、散り際の桜にも心ひかれ、風に舞う花びらに出会うとシャッターを切ります。大阪南港から別府港へは、最小限の荷物を積んだバイクとともに「さんふらわぁ」で渡り、早朝からの桜行脚が始....
木津川「開キ浜」の残念石

木津川「開キ浜」の残念石 藤堂高虎の残念石を求めて、木津川の「開キ浜」を訪れました。この場所は訪れるのに難易度が高い場所です。木津川の河原は広大で、また夏は背丈ほどの草が生い茂るため冬期限定、石は窪地にあるため見通しが利かず場所を知ってなければたどり着けません。木津川の東岸、開橋の南に位置します。2025年3月現在、写真はネット上では希少な1枚です。 ....
三河湾周辺の石丁場をめぐる

三河湾周辺の石丁場をめぐる 名古屋城の築城を支えた石丁場。その痕跡を自らの足で探る旅は、まるで歴史のパズルを解くような興奮がある。篠島を皮切りに、名古屋のTさんBさんのご尽力を得て、蒲郡市や西尾市の海岸線に点在する石丁場跡をめぐる機会を得た。そこには、石工たちの汗の結晶ともいえる矢穴の跡が静かに残り、かつての賑わいを物語っていた。 探索メンバーは6人....
大阪城本丸の変化と新たに置かれた石

大阪城本丸の変化と新たに置かれた石 大阪城本丸では、2024年12月から徐々に景観が変化しつつある。その中心となるのは、2025年4月に開館予定の『大阪城 豊臣石垣館』だ。公開施設の準備が進むにつれ、その工事用事務所が撤去され、金蔵の周囲がすっきりと見渡せるようになったのは、歴史好きにとっては嬉しい変化だ。 新しく現れた小さな見どころの一つが、本丸に....
小豆島の大坂城石垣石丁場跡

小豆島の大坂城石垣石丁場跡 瀬戸内海に浮かぶ小豆島。この穏やかな島の風景の中に、かつて大坂城の壮大な石垣を築くための石が切り出された場所がある。 「大坂城石垣石丁場跡(小豆島石丁場跡)」は国の指定史跡で、江戸時代初期、徳川幕府による大坂城再築の際に利用された石丁場のひとつだ。島の海岸や付近の山に残る矢穴痕が残る巨岩は、当時の石工たちが精魂を込めて作業....
篠島の石丁場を訪ねて

篠島の石丁場を訪ねて 三河湾に浮かぶ篠島(しのじま)は、知多半島の南に位置する小さな島である。古くから漁業の島として栄えてきたが、名古屋城の石丁場であったという歴史も持っている。今回、大阪のZさんがこの島にある「清正の枕石」を見に行くというので、同行することにした。 篠島の石丁場についての情報はなかなか見つからない。あちこち調べるうちに、南知....
丸亀の変遷と夜の街の今

丸亀の変遷と夜の街の今 かつて賑わいを見せていた丸亀のメインストリート、富屋町商店街。25年前は丸亀駅からダイエー(現ドン・キホーテ)へと続く動線にあり、多くの人が行き交っていた。しかし、1998年のダイエー閉店を機に人の流れが途絶え、今ではシャッター街と化している。夜に食事に出かけても、人影はまばら。駅北側にある「一鶴(丸亀本店)」には行列ができてい....
七尾城山&クルーズ 期間限定ツアー

七尾城山&クルーズ 2023年7月30日(日)から期間限定で 日本五大山城として知られる「七尾城山」と海の幸の宝庫である「七尾湾」をまとめて一日で楽しむツアーが、2023年7月30日(日)から期間限定で行われる(要予約)。~山城から海原へ~をコンセプトに、和倉温泉・能登島をバスで出発し、七尾城山(本丸)のガイド付き散策ツアー、一本杉通りや花嫁のれん館、....
日本最北端和式城郭 松前城(福山城)

シリーズ『城の歴史旅』 城ファンが一期一会で出会ってきた城や情報─。シリーズ『城の歴史旅』は、記憶に残したい見聞を強者たちが紡ぐコラムです。 [File.015] 本荘良智 シリーズ城の歴史旅:『日本最北端和式城郭 松前城(福山城)』 江戸時代末期に諸外国から海防の為、1855年西蝦夷松前藩が幕府に命じられ元々在った福山館を....