2020.10.30   /   城の歴史旅   /  

シリーズ『城の歴史旅』

城ファンが一期一会で出会ってきた城や情報─。
シリーズ『城の歴史旅』は、記憶に残したい見聞を強者たちが紡ぐコラムです。

高松城(本荘良智)
[File.007] 本荘良智

シリーズ城の歴史旅:
『四国現存天守を巡る旅 高松城』

高松城は、1590年(天正18年)生駒親正が築城、以後生駒氏4代→松平氏で明治を迎えます。城郭は3重に堀が廻らされ、 かつての城壁は瀬戸内海に接し外濠・中濠・内濠の全てに海水が引き込まれ、軍船が直接出入り出来る様になっていたそうです。堀と言うと鯉のイメージですが、ココ高松城は現在でも海水が引き込まれ、鯛・鱸・鰡等の海水魚が泳いでいます。縄張りは黒田孝高・細川忠興・小早川隆景・藤堂高虎とか云われているそうですが一体誰なのでしょうね?現在の遺構は1642年、松平頼重が12万石で入封後の物が殆どとされます(月見櫓連結の渡櫓に一部生駒氏時代の遺構が在る)。

四国現存天守最後の丸亀城へ向かう為、高知駅バスターミナルから17:40発・高速バス黒潮エクスプレス号で高松へ約2時間、この日もホテルに直行。翌朝の天気はあまり良く無くどんより曇空。取り敢えず高松城へ向かいます。宿泊先が在る瓦町から徒歩で約20分、琴平線越しに内堀と太鼓櫓台上に移築された艮櫓(現存)が見えて来ました。

高松城艮櫓(本荘良智)
高松城旭橋(本荘良智)

旭橋を渡り旭御門から入城、艮櫓も移築ながら様になっています。この艮櫓は東ノ丸北隅櫓で往時は瀬戸内海に面し海上監視櫓の一基でした。現在は県民ホール敷地内に艮櫓台石垣が現存しています。また往時は、突堤石垣が櫓台に接続していたそうです(突堤石垣は現存しません)。

高松城艮櫓台石垣(本荘良智)

旭門趾で入園料200円を払い入城、枡形を抜け真直ぐ行くと桜の馬場ですが右手へ。大きな土橋の向こうは三ノ丸、高松城は三ノ丸に御殿を置き、城主住居や政務を行う場所としていました。現在は高松松平家が維新時取り壊した御殿「披雲閣」を大正時代に往時の約半分の大きさで建て替え現在に遺っています。

高松城ど根性松(本荘良智)

余談なのですが、庭園内にひっそりと育っている松の木があります。「ど根性松」と命名された庭石の割れ目より生えて来た松の木です。私が見学した時は未だ15cm位の苗木でしたが現在も成長しているのでしょうか…。そこで松の木のお話ですが、何処の城も城内に松の木が多いのですが何故なのか?それは籠城戦で役に立つからです。葉は殺菌効力を持ちビタミン・ミネラルも豊富で食糧になり松ヤニ・皮は燃料にもなります。また散歩に来ていた82歳になるお爺さんの話しでは、戦争中子供の頃燃料不足で松ヤニ・皮を良く取りに行かされたとの事です。

庭園(三ノ丸)見学後は、勿論本丸目指し二ノ丸の出入口鉄門趾へ、その手前には堀に海水を引き込む為の水門が有ります。その辺りでは堀を泳ぐ魚達へあげる餌も販売され、その餌を撒くと黒鯛が群がって来ます。多分釣り糸を垂らせば大漁間違いなしの雰囲気でした(笑)。

高松城の水門(本荘良智)

二ノ丸を通り過ぎ、いざ本丸へ。本丸へ行くには鞘橋(廊下橋)を渡らなくてはなりませんが、私が訪れた時はちょうど天守台・復元鞘橋修復工事中で立入ができませんでした。写真は再訪し修復完了した写真です。天守台修復の際、明治の天守解体後に建てられた玉藻廟も解体され発掘調査により天守敷石も発見され現在はその敷石も展示されています。また修復の際天守台石段にステンレス製の手摺りが設置されているのがとても残念でした。しかし安全性を考えると設置も仕方ないのかと思います。

高松城(本荘良智)
高松城天守台(本荘良智)
高松城天守台(本荘良智)
高松城天守台(本荘良智)
高松城天守台(本荘良智)

さて来たルートを戻り一旦城外へ出て一番の見所の現存月見櫓・水の手御門・渡櫓の見学へ月見櫓は意外に大きく天守並みに堂々としていました。往時は水の手御門へ船も着岸していたのだろうと妄想しながら、そのまま石垣沿いに東に脚を進めると県民ホールが見えて来ます。この敷地内に艮櫓が在った東ノ丸北隅櫓台石垣が現存しています。現存ですが積み直しがされ、とても綺麗な石垣でした。

お天気は雨になり今回の四国現存天守を巡る最終目的地、丸亀城へ高松駅より予讃線に乗り向かいます。

(文・写真=本荘良智)

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