2021.03.09   /   城の歴史旅   /  

シリーズ『城の歴史旅』

城ファンが一期一会で出会ってきた城や情報─。
シリーズ『城の歴史旅』は、記憶に残したい見聞を強者たちが紡ぐコラムです。

大和高取城(本荘良智)
[File.010] 本荘良智

シリーズ城の歴史旅:
『日本三大山城を歩く・大和高取城 Part1』

高取城は2016年、2019年と2回ほど訪れています。2016年は前日に高野山を訪れ、その日の宿を橿原市に取り、翌日登城しました。

登城ルートは城下町・高取町上土佐にある夢想館に車を駐車し城下町の雰囲気を味わいながら大手筋を徒歩で登城しました。日本三大山城と言われるだけあり、標高583m 比高差450m 距離約4km は運動不足の私にとっては正に登山!なかなか足にくる規模の山城で、結構しんどいかもしれません。

城下町は、南北朝時代に越智邦澄が築城し、後に本多利久が改修、その際に城下町も整備されました。また、この明日香地方土佐は、6世紀〜7世紀に四国土佐から出稼ぎの様なかたちで来ていた、土佐の人達が故郷に帰れず土着した事から着いた名で高取の旧名だそうです。

大和高取城(本荘良智)城下町
大和高取城(本荘良智)旧高取藩筆頭家老屋敷長屋門

さて、城下町の中を通る土佐街道を南に進みます。途中藩政時代の旧高取藩筆頭家老屋敷長屋門を左手に見て、しばらくすると綺麗に整備された砂防公園が現れます。

大和高取城の遺構ではない(本荘良智)
大和高取城(本荘良智)移築櫓

一見石が積まれており、おっ!と思うのですがまだ早い、これは城の石垣では有りません。しかしこの砂防公園北側に在る民家の敷地に土蔵が見えますが、この土蔵は高取城火薬櫓を移築した物だと云われているのでお見逃しなく。ただしあくまでも一般民家なので遠目での見学が好ましいですね。

大和高取城(本荘良智)登城路

更に進むと、黒門跡が在ります。現在は何もありませんが、往時は20人位の兵が守る一の門でした。そこから鬱蒼とする山道が見えます。

大和高取城(本荘良智)登城路

舗装された道路はここまでで、右手へ行くと宗泉寺とまります。立藩当時、初代藩主植村家政は山上に住う事に不便を感じ現在の宗泉寺が在る地に御殿を構築しました。その後、四代藩主家敬が御殿を城下・下小嶋に移し跡地に植村家菩提寺として創建します。境内には歴代藩主の墓碑が弔なわれています。お時間が有れば是非寄って見てください。

大和高取城(本荘良智)石碑
大和高取城(本荘良智)途上路

ここから険しい大手道の始まりです。因みに大手門に辿り着く迄に、黒門・二の門・三の門・矢場門・松の門・宇陀門・千早門を入れ7つの門を通らないと行けません!何と強固な守りでしょう。

大和高取城(本荘良智)猿石
大和高取城(本荘良智)

次は、二の門の手前に猿石(石造)が置いてある分岐点が有ります。右手に進むと二の門、左手に進むと明日香村へ通ずる城域北端の岡口門趾へ行けます。岡口門跡へは緩い下り坂を約300m進むと石垣で固められた堀切が現れます。石垣は苔むして往時のまま遺されています。

(文・写真=本荘良智)

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