2021.10.08   /   城の歴史旅   /  

シリーズ『城の歴史旅』

城ファンが一期一会で出会ってきた城や情報─。
シリーズ『城の歴史旅』は、記憶に残したい見聞を強者たちが紡ぐコラムです。

[File.014] 本荘良智

シリーズ城の歴史旅:
『日本三大山城を歩く・大和高取城 Part5』最終回

いよいよ大手門趾を前に高取城中枢域に入ります。石垣に囲まれた枡形、かなり強固に出来ている様だ。往時は石垣の上に多門や櫓が乗り圧迫感は倍増したに違いない。枡形を抜けると細長い大手郭、その先右手にまたもや門址で十三間多門、枡形になり二の丸への入口となる。

高取城大手門趾(本荘良智)
(大手門趾)

高取城の十三間多門枡形趾(本荘良智)
(十三間多門枡形趾)

右手は二の丸、建物は無いがかなりの面積を持っている。本丸方向には太鼓櫓と新御櫓の石垣と両サイドには通路が見える。左側は低い石垣で造った食い違い通路、右側は本丸搦手と繋がる通路。正規のルートは左側、食い違い石垣を過ぎると直ぐ右に十五間多門趾が在る。石段の高さは低く、枡形では無く直接本丸下郭に入る。右手にはコの字方に太鼓櫓台と新御櫓台の石垣が佇む、正面には搦手口となる石段。この石段を降りると七つ井戸へのルートと二の丸へのルートへ繋がる。

高取城の十三間多門枡形を抜けると右手が二の丸(本荘良智)
(十三間多門枡形を抜けると右手が二の丸)

高取城、奥に太鼓櫓台と左側に食い違いの低い石垣(本荘良智)
(奥に太鼓櫓台と左側に食い違いの低い石垣)

そこで七つ井戸へ行ってみる。城には絶対無くてはならない水源だが、城内各所に沢山在る井戸。高取城の場合、地下水脈からの井戸では無く殆どが雨水や湧水を溜める方式をとっているそうだ。この七つ井戸はどうなのかは解らないが、急な傾斜地に壇上の石垣が組まれその段に井戸が点在。名称由来の様に七つ在るのかは確認していない。傾斜の下方から望むと上には段状の石垣と新御櫓台が見え監視体制は十分に出来ている様だ。

高取城本丸下郭の搦手(本荘良智)
(本丸下郭の搦手)

高取城七つ井戸の一つ(本荘良智)
(七つ井戸の一つ)

高取城七つ井戸下方から上を望む(本荘良智)
(七つ井戸下方から上を望む)

本丸下郭に戻り右側はもう本丸、天守台と石垣が見える。往時は堂々たる天守の姿があったのだろう。一段高い本丸腰郭へ石段を上がると右手に城址碑が在るので本丸石垣をバックに一枚撮影すのを忘れずに!そして振り返ると太鼓櫓と新御櫓台の石垣が目に入る。個人的にはこの構図が好きで何枚も撮影してしまう。写真は桜の季節物を一枚。

奥に高取城天守台(本荘良智)
(奥に見えるのは天守台)

高取城址碑(本荘良智)
(城址碑は天守台近くにある)

振り返って見ると高取城左側新御櫓台、右側太鼓櫓台(本荘良智)
(城址碑から振り返って見ると左側新御櫓台、右側太鼓櫓台)

さて本丸に突入、虎口は何回も曲げ枡形を二つくっ付けた様なクランク状になり、流石の誰も通させない造りの本丸虎口。本丸は東西に長細い形で南側は1m巾の石垣が70cm程立ち上がっている。南西角には小天守、北西角には大天守。天守台は穴蔵式の通路が3m程付いている。今となっては樹木が生茂り鬱蒼としているが往時、城下から臨む山上には白漆喰の天守や櫓が29棟建て並べられ、「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と歌われた程、美しかったのだろう。

高取城天守台と本丸石垣(本荘良智)
(天守台と本丸石垣)

高取城本丸虎口(本荘良智)
(本丸虎口)

高取城本丸内、天守台上より左側虎口。右手西側立ち上がった石垣(本荘良智)
(本丸内、天守台上より左側虎口。右手西側立ち上がった石垣)

5回に渡り紹介した高取城、如何でしたでしょうか。また個人的な事ですが2016年の初回登城時、以前からSNSで城友達だった地元T.Nさんが下山時間を見計らい麓迄会いに来てくださったと言うサプライズが有り、それ以来リアル城友となり色々な城址へご一緒させて頂く事となった思い出深い城址となりました。

(文・写真=本荘良智)

シリーズ『城の歴史旅』

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