西の丸三重櫓 彦根城の見どころ
西の丸三重櫓は北之取付多聞と東之取付多聞が連結している。この三棟は現存建築物で国の重要文化財だ。彦根城を北側の山崎口から攻めた場合、攻め手にとって最初の大きな障壁となるのが、人質郭との間にある西の丸大堀切だ。その頭上からは、三重の櫓と続櫓がにらみを利かす。西の丸三重櫓は小谷城天守を移築したという言い伝えもあるが、建築技法により築城時に新築されたと確認されている。
西の丸大堀切。
西の丸三重櫓の続く多聞櫓内部。防御を考え右手の壁(城外側)のみ、人の身長ほどの高さまで土壁を厚くしている。
西の丸三重櫓2階内部。
西の丸三重櫓3階の墨書番付。
西の丸三重櫓最上階。
西の丸三重櫓から見えているのは西の丸の出曲輪となる人質郭でその櫓門。手前は堀切。
西の丸三重櫓と天守のほかに、かつては北麓の山崎曲輪にも三重櫓があった。しかしこの櫓は、明治期に取り壊されている。直継時代の家老、木俣守勝は、山崎曲輪に屋敷があったが西の丸三重櫓も預かっており、政務などのため月に20日ほどここに詰めていたという。
(文=mario 写真=岡 泰行)