姫路城特別公開

西小天守 姫路城の特別公開の見どころ

西小天守の立地は、大天守の西側にあり二の渡櫓によって連結している。また、北はハの渡櫓によって乾小天守と連結している。その立地は、二の渡櫓とともに天守曲輪への唯一の入口を守る重要な役割を持つ、天守群の最終防衛地点といっていい。築城当時はその墨書から「ひつじさるやぐら」と呼ばれていた。「坤(ひつじさる)」とは方位で南西を意味する。築造時期は、昭和の大修理で発見された三階羽目板に「慶長十四年四月」の墨書があり、大天守と同時期に建てられたことが解っている。

姫路城西小天守の場所

西小天守
西小天守
西小天守の構造は、望楼式の三重櫓で内部は地下2階地上3階建となっている。姫路市史によると、地階部分、1階・2階部分、3階の三単位を井楼に組み上げられ、外観は1階2階部分は北に隣接するハの渡櫓の屋根をそのまま踏襲し、これにより西側から観たときの共通感を持たせ、三層の屋根のみ独立させている。

西小天守が2024年2月に初めて特別公開された。合わせて隣接する「二の渡櫓2階内部も見られ、こちらも初公開となる。本ページでは、城郭カメラマンである筆者が、公開初日と16日に二度訪れた写真を通してその見どころを探りたいと思う。

ハの渡櫓から西小天守へ(特別公開)

ハの渡櫓から西小天守に入る扉は3つあり写真はそのうちのひとつ。特別公開の順路は、西小天守2階扉から入り3階を見た後、1階まで降り、ハの渡櫓1階に接する扉から出るかたちだ。地下1階のみ非公開となっている(地下2階は天守曲輪に入る地下通路で常時公開)。
ハの渡櫓から西小天守
余談ながら、西小天守が落ちるときは、このハの渡櫓が落ちてから、という順序になる。扉は西小天守側から開け閉めできるかたちだ。

西小天守2階(特別公開)

西小天守2階(南西から北東を見る)
西小天守2階(南西から北東を見る)。西小天守は1階・2階と同面積で、内室の北側以外の三方向を武者走りが巻いている(東側幅約一間、南側・西側は幅約一間半)。乾小天守の武者走りは、北側以外の三方向を幅二間、東小天守は東側約一間、北側約1間半の武者走りが巻いている。西小天守は東小天守とほぼ同規模だ。

西小天守2階内室
西小天守2階内室。この暗さというか、自然光の濃淡が美しい。左手には武具棚が設置されているのが分かる。

西小天守の転用材
西小天守の2階扉からハの渡櫓を望む。西小天守の梁には、転用材と思われるほぞ穴が空いた木材が、ちらほら見られた。また、木材はかなり汚れていて、鳩の糞害かと思ったが汚れ方を見ているとそうではなさそうだ。見上げると梁などに職人さんの足跡も見られる。

西小天守2階の戸袋
天守曲輪では戸袋が内側に張り出すかたちで設けられているのが珍しい(天守曲輪では内庭に向かって外側に張り出す戸袋が主)。西小天守内では戸袋は、1階、2階とも曲輪内に面した東北隅にあり、1階戸袋には板戸が1枚欠損の2枚(滑車付)、2階は3枚の板戸が収納されている。背後には筋交い柱が見られる。

西小天守の屋根に出られる窓
2階東面の窓は、2本の木格子が外れ、出入りができる仕組みとなっている(写真中央の木格子窓)。ビニール障子が開いている時のみ見ることができる。見学中は勝手に外してはいけない。

姫路城西小天守に見られる覗き窓
西小天守内には覗き窓?がある。西小天守の3階の床は東側の一部が外れる仕組みで、直下の2階と階段を見ることができるらしい。梁が邪魔して視界が狭いものと思われる。

西小天守3階入母屋破風の床板
2階から見上げた3階床面。西小天守3階西側の入母屋破風は人が中に入る空間があり、その床面が見られる。東側の入母屋破風は、逆に全て屋根の傾斜となっており、その中に人が入る空間が無いことが分かる。入母屋破風は建築当初から東西で異なった仕組みで造られていると言っていい。

西小天守2階(南東から北西を見る)
西小天守2階から3階への木階段(南東から北西を見る)。階段左手の手前から奥に伸びる梁が最上階の壁ラインだ。階段下の床は見学用に保護板が敷かれている。

西小天守3階(特別公開)

西小天守3階(最上階)西面
西小天守3階(最上階)西面。正面に入母屋破風内部が見られる。上部の2つの窓は格子窓で、障子と土戸がある。そのすぐ下に見られる2本の長押は、下の方が、板戸をはめられる鴨居が付いており入母屋破風と部屋を仕切ることができるようになっている(現在、西小天守内にその板戸は無い)。また、床板は破損しそうな状態であることから、2階で一部、この3階最上階は全面で見学用の床板が敷かれている。また、この小天守には釘隠しは使われていない。

西小天守3階(最上階)南面
西小天守3階(最上階)南面。他の小天守同様、最上階は竿縁天井が設けられている。その下には、書院造の蟻壁(ありかべ)がある。左右の格子窓は、花頭窓となっている。乾小天守の花頭窓は格子が入っておらず、より敵に面するであろうこの西小天守には格子が入っているということかと思われる。また、三層目の外壁には瓦片が塗り込まれ防御力が高められていることが、昭和の大修理時に解った。その記録写真は姫路市の姫路城管理事務所Webサイトで閲覧できる。

西小天守の花頭窓
2024年撮影の西小天守の花頭窓。18年前と比べ黒漆が禿げている。

西小天守の花頭窓(2005年撮影)
2005年撮影の西小天守の花頭窓。修復後間もないため黒漆が美しい。本来の姿を知っておこう。

西小天守3階(最上階)北面
西小天守3階(最上階)北面。与力窓の煙り出しと格子窓がある。壁が広い面積を占めているのは、その裏側に、隣接するハの渡櫓の屋根小屋組があるためだ。

西小天守最上階から見る乾小天守
先の北面の窓からは、乾小天守の最上階が見られる。乾小天守の花頭窓には格子が入っていないことを確認しておくと良い。

西小天守3階(最上階)東面
西小天守3階(最上階)東面(大天守方面)。特筆すべきは、与力窓の煙り出しがひとつあるのみで、あとは壁。壁の向こうには、ニの渡櫓の屋根があるためと思いがちだが、そうではなく、先の西面同様に入母屋破風があり、その内部が塞がれているかたちだ。これは、ここから容易に屋根づたいに大天守に行けると思わせないようにするためではないかと思われる。要するに最上階で大天守が見えず行き止まり感が強い。だとすれば、西小天守を降りて別ルートを攻め直させる効果もある。天守曲輪の中で防御意識の高い西小天守には、そういった思惑があるかのように思えた。

大天守から見た西小天守
大天守から見た西小天守最上階。入母屋破風には窓が無く、煙り出しの窓がひとつあるのみだ。鬼瓦に見られる家紋は「剣酢漿」。二層目の入母屋破風には「五三の桐」が使われている。また、唐破風(写真左手)の瓦の向きが大天守などと異なっている。

西小天守の鯱
西小天守の西側の鯱は、尾ひれが一部欠損していた。2024年2月撮影。18年前の修復直後は欠損していない。

西小天守1階(特別公開)

西小天守1階
西小天守1階。二の渡櫓(写真奥)、ハの渡櫓への出入口がある。2階への階段は東側の武者走りに設置されている。左右に渡している梁の下には肘木を添えて、重さを支えている。

西小天守の柱の加工
西小天守、1階東南隅の石落としに見られる柱の加工。写真のように切り込まれた柱が左右に見られた。昭和の大修理工事図面を確認すると、この加工は意図的で3階入母屋破風や他の渡櫓でも、使われていることが分かった。東南隅の石落としに加え、南西隅の石落としの柱の一部でも確認ができた。この加工が目に見えるところに出ているのは、西小天守だけなので見ておくと良い。古建築の調査に携わる建築家の山崎真由美さんのご教示によると、本来、出っ張りに竹を掛けて壁を造る目的がある。

西小天守の釿(ちょうな)痕が見られる古い床材
釿(ちょうな)痕が見られる古い床材。木釘ではなく、鉄釘が使用されていた。

西小天守で見られる昭和の大修理時のメモ
昭和の大修理時のものと思われる書き込み「65」「ル十一」「1,35」「ヌ十一」などのメモ書きが見られた。

昭和の大修理時のものと思われる印
昭和の大修理時のものと思われる印があり、「水」と読める。また、この付近に「瓦」の文字があったが、用途はさっぱり分からない。

「下」を示す記号
柱材には昭和の大修理時のものと思われる「下」と示すと思われる記号が随所で見られた。

梁などに見られる○印
○も随所で見られたが、何を示すものかは解らない。昭和の大修理時、解体直前に付けられたなんらかのサインかと思われる。例えばこの材は再利用だとか法則性が見い出すことができれば面白いのだが。

見学者の古い落書き
「昭和七年一月〜」など、日付が複数あるので、昭和初期まで自由に入れた頃の見学者の古い落書きかと思われる。昭和の大修理までは漆喰壁もその全面に結構な落書きがなされていたことが記録写真に残っている(現在見られる漆喰壁は昭和の大修理時に塗り直されたもの)。

階段に設置された引戸
階段に設置された引き戸を見上げたところ。工人の足跡が付いている。

階段引戸に見られる錠前
西小天守3階の階段は開き戸がついており、2階階段には引き戸となっていた。引き戸には小さな小さな錠前がぶら下がっていた。

西小天守の木階段
西小天守1階武者走りに設けられた2階への階段。梁が階段の幅に削られているが、これは階段を後付けした痕跡かと思われる。

西小天守1階から見た水曲輪
西小天守1階から西を望む。水曲輪が眼下にあり天守曲輪へのルートを攻撃できる重要な位置にあることがよく分かる。

水五門と水四門の虎口
西小天守1階から見おろす天守曲輪の正門とも言うべき、水五門と水四門の虎口風景(天守曲輪の入口)。この1枚が撮れるだけでも今回の特別公開はありがたい。ところで写真右下に注目願いたい。水四門前の石畳や石階段が織りなす紋様が、現代的なデザインに見えて面白い。余談ながら、水四門の石畳は門前と門内で向きが変えられて敷かれている。

西小天守1階石落から水四門
西小天守の石落としから見た水四門。ここはその狭さから、石を落とすというより、鉄砲による射撃が妥当な左右に広いアングルだ。

西小天守から水六門虎口
西小天守から水六門の虎口を見おろしたアングル。この狭い空間がなんともいえない迷路感がある。右手はニの渡櫓。ちょうど見えている木格子の窓は、角度的に直下の水六門前は狙えない。一方、正面は大天守の地階扉部分にあたり、その漆喰格子窓から水六門(写真手前)を狙うことができる。また、左手に見える台所櫓2階の格子窓は、大天守地階入口を目指す敵兵を撃つポジションにある。また、水六門虎口(手間のスペース)と現代の波板屋根のスリッパに履き替えるスペース(写真左手)は、土塀たった1枚で仕切られているのがよく解る。

西小天守から二の渡櫓入口
斜交いが行き交い(斜交いは右側だけ壁の中に通されている)、二の渡櫓の入口があり、武具掛けがあり、用具掛けがあり、石落としがありと、なんとも情報量の多いコーナー。なお、二の渡櫓の入口には、頑丈な扉ではなく、かつては片引戸が入っていた。

西小天守 地下1階(非公開)

西小天守地下1階入口
西小天守地下1階は、非公開だが、ハの渡櫓にその入口がある(写真中央)。内部は天守曲輪の内側塁壁というべきか、その石垣に囲まれて少し狭く、西小天守内では独立した部屋だ。図面によると1室で東面に木格子窓がひとつだけ設けられている。

西小天守 地下2階(一般公開)

西小天守地下2階
西小天守地下2階。ここは水六門をくぐってすぐの風景で、天守群に入るために通る常時公開エリア。奥の扉はハの渡櫓地下2階の厠(トイレ)へ、右の扉はハの渡櫓地下1階、写真には写っていないがさらに右へ進むと大天守地階と続く。次ページでは、西小天守と合わせて公開された「二の渡櫓」を紹介する。

(文・写真=岡 泰行)

参考文献:
『姫路市史 第14巻 別編姫路城』(姫路市)
『日本名城集成 姫路城』(小学館)

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