写真:岡 泰行

出石城の歴史と見どころ

出石城の歴史と構造

出石城(いずしじょう)は、戦国時代の山城である有子山城の麓に築かれた城で、慶長9年(1604)、有子山城に龍野城主だった小出氏が入り、二代吉英(よしふさ)の代に不便な山頂の城を廃し麓に新たに城を築いた。上段から、稲荷台、本丸、山里曲輪、二ノ丸、同下曲輪、同西曲輪を段状に配置した縄張りで天守は無かった。最上段が本丸ではなく稲荷台という曲輪となっているが、これは最後の防御地点として背後の有子山と繋ぐ目的で造られた中世と近世の過渡期のかたちと言われている。本丸は藩主の住まいを中心した建造物が多く、渡り廊下で繋がれた二ノ丸には書院、櫓、多聞、鉄砲蔵などがあり、本丸と二ノ丸を合わせて初めて本丸的な要素を持っていた。その後、松平氏が入り、この時、有子山北斜面にある城が湿気に弱いため、三ノ丸を加えて本丸の機能を三ノ丸に移した。その後は、仙石氏と続き明治維新を迎え建物は取り壊された。昭和42(1967)、出石町観光協会が再建を呼びかけ、出石城復元委員会が発足、翌年に本丸西隅櫓、東隅櫓が再建されている。

辰鼓楼

辰鼓楼(出石城)大手前通りにひときわ目立つ時計台がある。辰鼓楼(しんころう)という。今や出石を代表する風景となっているが、出石城の城としての建築物ではない。その台座である石垣は水堀に面し高さ約5m、出石城大手門跡の櫓台を基礎としている。辰鼓楼は廃藩置県の前に出石藩と現地の有力者によって建てられたもので、建材は出石城の廃材を利用しているという。2021年6月、豊岡のNPOが調査を行った結果、明治14年(1881)9月8日にその時計が動き出したことが判明した。国の重要文化財である札幌の時計台の27日後で時計台としては最古ではないらしい。

出石城の関連建築

臨戦時に出石城の一角として機能する櫓を備えた見性寺や経王寺が城下にある。寺には但馬竹田城下の寺のように挟間が少々見られる。

  • 出石家老屋敷(内町通り)
    出石家老屋敷(内町通り)
  • 経王寺・藩主松平家の菩提寺・望楼形鐘楼
    経王寺・藩主松平家の菩提寺・望楼形鐘楼
  • 見性寺・望楼形鐘楼
    見性寺・望楼形鐘楼
  • 出石城下の足軽長屋
    出石城下の足軽長屋

背後に山城

出石城の背後の山は、有子山城跡で合わせて訪れておきたい山城だ。稲荷曲輪の東側隅から尾根伝いに登る。山頂には壮大な石垣があり城下を望む絶景が待っている。

パンフレットと書籍

観光案内所で縄張図が掲載された「此隅山城」「有子山城」「出石城」パンフが配布されている。書籍では、『ひょうごの城紀行』神戸新聞社発行が良い。背後の有子山城との関連や、出石城の縄張りなど詳しく載っている。兵庫県下の書店で手に入ることが多い。

出石城の撮影方法

出石城本丸西隅櫓と有子山出石城の西側にある、西の丸有料駐車場から、本丸西隅櫓を有子山の木々とともに捉えると、有子山を抱えた山麓の城といったイメージが強調されるぞ。

出石城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る出石城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

出石城の関連史跡

出石城下町の見どころ

「町立史料館」がイチオシ。町屋を保存し資料館としているが、なかなか風情があって良い。迷路のように増築された町屋で、中央に吹き抜けを設けるこの地方独特の造りなのだとか。もともとは生糸屋さんで、京都のとなりに位置することから丹後縮緬などで営んでいたとか。家康、秀吉の書状や、鎧兜などが展示されている。キリシタン灯籠も。また、沢庵和尚で有名な城下の宗鏡寺には実は山名氏、小出氏、仙石氏のお墓が。幕末ものでは、桂小五郎が隠れ住んだ場所に石碑が建っている(場所は上記Googleマップ参照)。

  • 桂小五郎居住跡(出石)

    桂小五郎居住跡(出石)

  • 出石史料館(町屋)

    出石史料館(町屋)

  • 酒蔵(出石酒蔵)

    酒蔵(出石酒蔵)

  • おりゅう灯籠(船着場灯籠)

    おりゅう灯籠(船着場灯籠)

出石城のおすすめ旅グルメ

出石は関西屈指のそば処

出石そば「出石そば」は、出石焼の小皿に持った皿そばで、何枚も食べる(おおよそ1人前5皿)。江戸中期に信州上田藩から来た仙石氏によってもたらされた。城下には約50軒が軒を連ねる関西屈指の蕎麦処。行く度にいろいろな店を探索するのも面白い。戦国好きとしては「官兵衛」という店名が気になって訪れたところ、黒田官兵衛の末裔の方がされているそう。

出石城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

少し古いが城下町に最も近い「ビジネスホテル松福」か、綺麗さと温泉を求めてビジネスホテル「出石グランドホテル」。宿泊処の少ない出石だが、JR豊岡駅に足を伸ばすとビジネスホテルが数件ある。

出石城のアクセス・所在地

所在地

住所:兵庫県豊岡市出石町内町 [MAP] 県別一覧[兵庫県]

アクセス

鉄道利用

JR山陰本線、豊岡駅下車、出石行きバス30分終点「出石」降車、徒歩5分。

マイカー利用

北近畿豊岡自動車道、八鹿氷ノ山ICから約30分(16.6km)、県道9号、県道6号、国道312号、県道2号を北上する。 大阪方面からは舞鶴若狭自動車道、福知山ICから約1時間(47.2km)、国道9号線、国道426号線利用で北上する。 有料駐車場は「大手前有料駐車場」「庁舎南有料駐車場」「西の丸有料駐車場」の3カ所でいずれも城から近い。

城ファンの気になるところ (5)

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    出石城は慶長九年(一六○四年)に小出吉英によって山頂の城を廃して築かれたもので一国一城制による但馬唯一のお城です。平山城に分類され梯郭式といわれるように有子山の麓に上から稲荷郭、本丸、二の丸、二の丸下の郭、三の丸と梯子を立てかけたように城を築いています。また東には山里郭を設けて有事に備え、三の丸の周囲には山から掘り切りで水を引き内堀をめぐらせ、北に大手門、東西にもそれぞれ東門、西門を設け天守閣は築きませんでしたが隅やぐらや多門を設けて要害としました。城主は小出氏が九代(百年)松平氏一代(六年)仙石氏七代(百六十年余)と続き明治の版籍奉還まで二百七十年間五万八千石の本城としてまた但馬第一の雄藩としてその威容を誇りました。最上段の稲荷郭には城の鎮守として稲荷神社を祠り本丸、二の丸には宏壮な御殿を建てて渡り廊で連続させていました。また本丸には仙石氏の藩祖仙石権兵衛秀久を祠る感応殿や昭和四十三年に復元した東西隅やぐらがあり往時の面影を偲ばせてくれます(出石町観光協会 現地案内板より)。

    ( 吉田 豊太郎)

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    京都にも近いせいか、城下町の町屋は、朱塗りの壁や格子が目立ちます。明治9年の大火で町の2/3に焼失したせいか、古い町並みと新しい家々が同居。観光案内のパンフレット表紙にある、「久屋」のお宅では、城内で使われていた当時の時計などがあるとか。

    ( 半兵衛)

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    本丸跡には木造復興の櫓が二基。石垣は本丸より上にある稲荷曲輪のものが最も高い。背後の山城は、山名氏時代の有子山城。この山腹に、麓の出石城を囲うように竪堀が2本めぐらされている。今は埋め立てられて無いが、内堀はこの竪堀につながっていたそうです。

    ( 半兵衛)

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    出石城の山里曲輪の石垣整備工事が、平成29年3月25日まで(予定)行われている。出石城の顔である東隅櫓と西隅櫓付近は、工事エリアではないため、訪城には特に支障はない。

    ( shirofan)

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    辰鼓楼には、オランダ製の機械式大時計が設置されていたそうな。現在は入れ替えられているのだとか。

    ( 忠恕)

城の情報

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