桑名城の蟠龍櫓

平成15年(2003)、国土交通省水門統合管理所として桑名城の蟠龍櫓(二層櫓)が外観復元されている。破風意匠が城外側のみに施された櫓で揖斐川に面している。

水門統合管理所の解説板は、蟠龍櫓について最も詳しく紹介されている(下記)。

水門統合管理所の概要

管理所周辺は、城跡や名所旧跡・レクリエーション施設等が整備された公園として、市民や観光客の憩いの場となっています。

揖斐川改修に伴う水門の改築にあたっては、周辺環境を考慮し、陸側および川側からの眺めを阻害しないよう、堤防上部から突出した構造物をなくして景観に配慮した三つの水門、住吉水門、川口水門、三ノ丸水門が計画されました。これら三つの水門は高潮警報時に操作する防潮水門で、安全性・効率性・迅速性を考慮し集中操作できるよう統合管理所を設置しました。

管理所は、かつて桑名城の隅櫓の一つである蟠龍櫓が建っていたところに位置するため、建物の設計にあたってこの櫓の外観復元を目指すこととなりました。伊勢湾台風で当初の石垣が失われているなど、復元のための歴史資料は限られましたが、絵図等に描かれた櫓の姿や同時代の類例を参考に、往時の姿になるべく近づけるよう推定復元しました。4間×6間と比較的規模の大きい二層櫓で、元禄14年(1701)に天守が焼失して以降、桑名城と河口のまち桑名を象徴する櫓であったと伝えられています。

蟠龍櫓について

桑名城には、元禄大火後に再建された時点で51の櫓があったと記録されています。このなかでも、川口にある七里の渡に面し建てられていた蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)は、東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボルでした。河川広重の有名な浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いています。

蟠龍櫓がいつ建てられたかは定かではありませんが、現在知られているうちで最も古いとされる正保年間(1644〜48)作成の絵図にも既にその姿が描かれています。蟠龍の名が文献に初めて表れるのは、享和2年(1802)刊の「久波奈名所図会」で七里の渡付近の様子を描いた場面です。この絵では、単層入母屋造の櫓の上に「蟠龍瓦」と書かれており、櫓の形はともかく、この瓦の存在が人々に広く知られていたことを思わせます。

「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことです。龍は水を司る聖獣として中国では寺院や廟などの装飾モチーフとして広く用いられています。蟠龍櫓についても、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられます。

文化3年(1806)刊の「絵本名物時雨蛤」という書物「臥竜の瓦は当御城門乾櫓上にあり、この瓦名作にして龍影水にうつる。ゆへに、海魚住ずといへり。」とあって、桑名の名物の一つにこの瓦を挙げています。

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