山崎城の歴史・見どころ

山崎城の歴史

山崎城は、京都盆地の南西端に位置する天王山山頂に築かれた山城で、西国街道と山陽道を見下ろし、摂津から京都へ至る交通の要衝を押さえる城として重要な役割を担った。桂川・宇治川・木津川が合流する狭隘部に位置し、対岸には男山が張り出すこの地は、古くから「天下分け目」の舞台となった戦略上の要地だった。

文献上の初見は、建武5年(1338)の林直弘軍忠状で、「鳥取尾城」の名が記されている。この記録には、赤松則村の子・赤松則祐のもとで、鳥取尾城の警固に従事したことが記されている。当時は、男山に籠城する北畠顕信らに呼応する南朝勢力から京都を守るため、摂津守護赤松範資によって築かれたと考えられている。その後も南北朝時代を通じて重要な拠点として機能した。

応仁・文明の乱では、文明2年(1470)に山城守護山名是豊が西軍勢力に対抗するため、鳥取尾山に城を構えて在陣したことが史料に見える。この頃も山崎は京都西方防衛の要衝として重視され、戦乱のたびに修築や利用が繰り返された。

戦国時代に入ると、山麓には離宮八幡宮を中心とする油座が栄え、その油神人は武装集団としても動員された。大永7年(1527)には薬師寺九郎左衛門尉が山崎城を失い、これを契機として摂津の諸城も相次いで落城したことが記録されている。その後も三好元長や柳本賢治、法華一揆、一向一揆など諸勢力による争奪が続き、山崎城は京都防衛の最前線として幾度も戦場となった。

天文5年(1536)には細川晴元が京都へ入ると山崎城を重視し、天文7年(1538)には自ら現地へ赴いて修築を指揮した。普請には洛中洛外の人夫が動員され、翌天文8年(1539)に三好長慶が反旗を翻した際にも、晴元は芥川城と京都を結ぶ中継拠点として山崎城を利用した。

山崎城が最も広く知られる舞台となったのが、天正10年(1582)の山崎の戦いだった。本能寺の変の後、羽柴秀吉が備中高松城から急ぎ帰還すると、明智光秀は一時、天王山と男山を押さえて優位に立った。しかし、決戦直前に淀城勝竜寺城へ兵を退いたため、秀吉方が天王山を占領し、戦局は一気に逆転した。敗れた光秀は坂本城を目指して落ち延びる途中、小栗栖で命を落とした。

戦後、秀吉は清洲会議直後から天王山山頂に本格的な城郭を築き、これが現在残る山崎城跡となっている。山麓の宝積寺周辺には家臣団が集住し、山崎は一時、城下町として栄えた。秀吉は翌天正11年(1583)に大坂城へ移るまでこの城を本拠とし、天下統一への第一歩をここから踏み出した。その後、天正12年(1584)の『兼見卿記』には山崎城の天守を破却したことが記されており、山崎城には天守が存在したことも確認されている。

山崎城の特徴と構造

山崎城は、標高約270m、比高約260mの天王山山頂に築かれた山城で、西国街道と山陽道、さらに桂川・宇治川・木津川の三川合流地を見渡す交通の要衝を押さえる立地にある。南北朝時代以来、たびたび利用・改修された城だったが、現在残る遺構は天正10年(1582)に羽柴秀吉が築いた城郭と考えられている。

最高所に位置する主郭は北側に櫓台を備え、この付近からは瓦が採集されている。主郭南西斜面には石垣が露出しており、秀吉が築いた山崎城の実態がより明らかになってきた。京都府では、室町時代から安土桃山時代にかけて京都西方の交通を押さえた重要な城館として位置付けている。現在も井戸や空堀、虎口、石垣などの遺構が良好に残されており、戦国末期から豊臣政権成立期の城郭を現地でたどることができる。

文献には天守の存在も記されており、京都周辺に築かれた秀吉初期の城郭として高い価値を持つ。南北朝時代から戦国時代にかけて繰り返し利用された要害の上に、豊臣政権成立期の最新技術による城郭が築かれたことも、この城の大きな特徴となっている。

山崎城(天王山城)本丸と天守台
山崎城の本丸と天守台。
山崎城(天王山城)石積
山崎城(天王山城)石積
主郭南西斜面に残る石垣。
山崎城(天王山城)井戸跡
山崎城の井戸跡。
山崎城(天王山城)曲輪
山崎城の段曲輪。

山崎城の整備状況

山崎城跡は国指定史跡として保存され、天王山一帯の遊歩道や案内板が整備されている。JR山崎駅・阪急大山崎駅から登山道が整備されており、東麓の宝積寺から山頂までは徒歩約60分で到達できる。登山道上には、山崎の合戦場を一望できる「旗立松展望台」がある。山頂では主郭や空堀、井戸などの遺構を巡りながら、秀吉ゆかりの城跡を歩いて楽しめる。

参考文献:

  • 『日本城郭大系11』(新人物往来社)
  • Webサイト「山崎城跡」(京都府教育委員会)

山崎城の撮影スポット・絶景ポイント

1P3J4736山崎城の登山道途中に「旗立松展望台」があり、山崎の戦いの古戦場を見おろすことができる。また、城から少し離れるが「さくらであい館」の展望塔からも、古戦場を見おろすことができる。2020年8月、展望塔に山崎の戦いの紹介パネルが設置された。開館は9時〜16時30分まで(京都府乙訓郡大山崎町)。

山崎城(天王山城)山崎城(天王山城)の遠景を撮るなら、淀川の対岸から。でも対岸は徒歩ではちょっと厳しい距離。

山崎城の写真(城写真ARCHIVE)

城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、山崎城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。

山崎城周辺の観光スポット・史跡めぐり

山崎の地は、京都と大坂を結ぶ要所で、天王山に登れば、まるで広大な京都盆地からじょうろの先のようにすぼんで大坂に抜ける重要な場所であることが分かる。河川は宇治川、木津川、桂川が合流し、鉄道はJR在来線、新幹線、阪急電鉄、京阪電鉄とこの地で束ねられたように近い場所を走る。名神高速道路も大山崎JCTがあり現代でもその重要性は変わらない。ちなみに名神高速道路は山崎合戦の石碑があるあたりの真下をトンネルで抜けている。

余談ながらそのトンネルは「天王山トンネル」といって、その昔、「名神は必ず天王山で混む」といわれた渋滞の名所でもあったが、1998年に新たにトンネルが2本追加され、昔ほどは渋滞しなくなった。また、サントリーの山崎蒸溜所もあり、関西人には城好きでなくても「天王山」「山崎」という地名はよく知られている。

宝積寺(ほうしゃくじ)

宝積寺の三重の塔この山崎の地で、秀吉と明智光秀の山崎の合戦があった。山崎城はその要となった山城。「天下分け目の天王山」という重大な局面を表す言葉は、この山の名前に由来する。その山崎の合戦で、秀吉の本陣が置かれたのが、山の麓にある宝積寺といわれ、山崎城に取り込まれるかたちだったらしい。 この宝積寺には、ひときわ目を引く桃山様式の三重の塔がある。秀吉が天下を取った後、その御礼にと「三重の塔(重要文化財)」を建立したと伝わっていて「秀吉の一夜の塔」といわれているのだとか。天王山十七烈士の墓そのほか、秀吉が腰掛けたとされる出生石も境内に。三重塔の傍には「殉国十七士墓」の石碑があるが、これは、幕末の「蛤御門の変」の時に、長州藩に加わった志士がこの宝積寺に敗走し自決したその墓があることを指す石碑で、現在、その墓は天王山の中腹にある。

山崎合戦之地石碑と旗立松

山崎合戦之地石碑宝積寺から山崎城本丸跡に至る登山道で、山崎合戦之地石碑と旗立松がある。酒解神社の大きな鳥居の前だから見落とすことはないだろう。この場所から、大阪方面、京都方面と眺望が良く、合戦地を眺めることができる。付近には「秀吉の道」と題した絵もあって思わず長居してしてしまうかもしれないが、さらに登って、本丸までどうぞ。

千利休の茶室

妙喜庵JR山崎駅前に、妙喜庵(みょうきあん)という寺院がある。ここに茶室「待庵(たいあん)」がある。千利休が作った唯一の現存茶室で日本最古の茶室ともいわれ国宝に指定されている。山崎の合戦の後、秀吉が大坂城を築くまでの間、ここ山崎城を本拠としたが、このとき茶室が作られ、後に妙喜庵に移築されたものらしい。妙喜庵を見学するには、1ヶ月以上前に往復はがきで申し込む必要がある。また、千利休ゆかりの茶室待庵が「大山崎町歴史資料館」と「さかい利晶の杜」で復元されているので、見ておくと良い。

国宝茶席三名席

現存する国宝の茶室は3つでそのうち1つがここ山崎にある。

  • 待庵(みょうきあん)妙喜庵
    千利休が建てたものでここ山崎にある。1ヶ月以上前に往復はがきによる事前申込で見学可能。
  • 密庵(みったん)大徳寺龍光院
    小堀遠州の作で、一説にはもとは大坂の黒田屋敷の茶室で、黒田長政が如水の菩提を弔うために建立した京都の龍光院に移築されたらしい。見学不可。
  • 如庵(じょあん)有楽苑
    織田有楽斎が建てた茶室で現在は犬山城下の有楽苑にある。月に一度、特別公開がある。

明智光秀本陣跡 指定地

山崎の合戦の時、明智光秀の本陣「御坊塚」と推定される場所が、ここ山崎城と勝竜寺城の間に2カ所ある。「恵解山古墳(京都府長岡京市勝竜寺30)」と「境野一号墳(京都府乙訓郡大山崎町下植野宮脇1-107)」だ。どちらかは定かになっていない。前者の恵解山古墳は、発掘整備が進められており、全景を見渡すためか、歩道橋の上に山崎の合戦についての解説板がある。後者の境野一号墳は、付近が住宅街といった風景でその一角が墓地になっており道路上に解説板があるぞ。

近郊の城

近郊の城は、勝竜寺城淀城・淀古城が近い。

山崎城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王山 [地図を見る]

県別一覧:[京都府の城]

アクセス

鉄道利用

JR東海道本線(JR京都線)、山崎駅下車、徒歩10分で宝積寺(ほうしゃくじ)。そこから登山約40分。ハイキング装備でどうぞ。登山口は上記Googleマップ参照のこと。

マイカー利用

名神高速道路、大山崎ICから南へ4.2km(約10分)、宝積寺の駐車場を利用する。宝積寺からは、登山約40分で本丸跡。登山道途中で、山崎合戦之地石碑や旗立松、十七烈士の墓、酒解神社(神輿庫は重要文化財)がある。

地図

山崎城周辺ホテル・宿泊情報

ホテルデュー大山崎京都〜大阪間で泊まることがあまり無いかもしれないが、JR山崎駅前にビジネスホテル「ホテルデュー大山崎」がある。平成27年2月に全館リニューアルされた。日替わりランチや軽食も。