写真:岡 泰行

犬山城の歴史と見どころ

つい最近まで成瀬家の個人所有の城だった犬山城(いぬやまじょう)。国宝天守を有し、木曽川沿いに佇む姿は、実に優美だ。唐破風や華頭窓によって古武士のようにも見える容貌を持つ天守は、一度は訪れておきたい。

犬山城は、天文年間、それまであった砦を織田信長の叔父、信康が改築し入城したと言われているが諸説あり。永禄8年(1565)、織田信長が尾張を統一すると、丹羽長秀や池田恒興らが在城した。その後も城主はたびたび替わるが慶長12年(1607)、尾張に入封した徳川義直の附家老となった平岩親吉が城主となった。元和3年(1617)には親吉に代わって附家老となった成瀬正成が入城。城主としての成瀬家が明治まで続いた。明治元年(1868)には、尾張藩から独立するかたちで、犬山藩が成立している。

木曽川と犬山城の夕暮れ
木曽川と犬山城の夕暮れ

明治4年(1871)の廃藩置県後は、天守を除く建物は払い下げや解体が行われた。明治24年(1891)に発生した濃尾大地震で、天守が半壊。その修復と保存を条件に旧藩主の成瀬家に無償譲渡され、平成16年(2004)まで、全国的にも珍しい個人所有の城となっていた。その間、昭和10年(1935)に国宝に指定されている(1952年に再指定)。天守の建物を残している城は全国で12城あるが、天守が国宝指定されている城は5城あり、そのうちのひとつだ(ほか、姫路城彦根城松本城松江城)。

昭和34年(1959)の伊勢湾台風でも被害を受けたため、昭和36年(1961)から4年をかけて、解体修理が行われている。平成16年(2004)、成瀬家より財団法人犬山城白帝文庫(現在は公益財団法人)に寄贈された。

現存最古の天守

野面積みの天守台に立つ三重四階で高さ19mの天守は、現在見る姿では前記望楼型の特徴を持つが、当初は二階櫓で後年、望楼が増築されたもの。さらにその後、唐破風や高欄などが追加されている。二階櫓を建てたのが織田信康で成瀬氏入封後、望楼が造られたと言われることもあるが、残された同時代史料では確認されていない。

犬山城天守南面
犬山城天守南面

2021年3月、犬山城の天守は、現存天守の中で最も古いことが、名古屋工業大学大学院の年輪年代法という手法で分析調査によって明らかになった。昭和36年から行われた解体修理で2階までは天文6年(1537)頃、織田信長の叔父である信康によって建てられ、それより上階の3・4階部分はその約60年後に築造されたという上記の説が有力だったが、天守の目に見える全ての建材を調査した結果、天正13年(1585)からの3年間に伐採され1階から4階まで一度に建設されたことが分かったという。

いずれにせよ、唐破風や華頭窓によって古武士のようにも見える容貌が、犬山城天守の印象をより特徴づけている。

犬山城天守の魔除瓦
犬山城天守の魔除瓦。亀の甲羅に桃が乗せられたもので天守全体で8つ(唐破風に4つ、付櫓に4つ)設けられている。

犬山城天守内部
天守内部地階の様子

現在では、天守以外のほとんどでかつての遺構を見ることはできない。構造的には、城域の最北部、木曽川に面した断崖上に本丸が置かれ、そこからほぼ南に向かって大手道が形成されている。大手道の両側に杉の丸や桐の丸。樅の丸といったほぼ独立した郭が置かれ、その間に城門が多数設けられていた。犬山市教育委員会が2017(平成29)年に出した資料『犬山城の謎を解くー犬山城総合調査の成果ー』によると、城内から外へ討って出やすい攻撃型の城であったという。

犬山城の関連書籍

『国宝犬山城図録』(横山住雄 著 濃尾歴史文化研究所)、B5・72P。昭和36年(1961)の犬山城天守の修理報告書を解りやすくまとめた本と言ってよく、柱の番付や解体修理前の石垣の状況、解体途中の写真など見どころが豊富。また、古写真や絵図などもあり、各櫓や各城門の構造などを知ることができる城郭の具体像に迫る一冊。

最近では、『犬山城総合調査報告書(犬山市教育委員会)』が良い。2017年3月発行、A4・305P、3,000円。城とまちミュージアムで販売されている。また、その抜粋版ともいえる『犬山城の謎を解く〜犬山城総合調査の成果〜(犬山市教育委員会)』も良い。そのほか、『国宝犬山城図録』(横山住雄 1,000円)は駐車場前の売店で購入できる。古写真や解体修理時の写真、絵図等貴重な資料が掲載されている。

城とまちミュージアムで壮大なジオラマを

城下にある「城とまちミュージアム(犬山市文化史料館)」には、城と城下町の壮大なジオラマが展示されている。かつては総構えの城というべき、空堀が武家の町を囲っていたことがよく分かる。大手出枡形の虎口の位置や、城下町の木戸の位置などが確認できるぞ。そのほか、旧城主・成瀬家より寄贈された歴史資料や甲冑、工芸品などの展示がある。

犬山城の撮影方法

木曽川の河原に降りて、足下のチャートと呼ばれる赤い岩と、川、そして犬山城天守を一緒に写真に収めると良いぞ。このチャート、約2億3000万年前のものが化石になったもの。そう、犬山城の石垣がなんとなく赤いのもなるほど納得。または、犬山城の西にある成田山大聖寺から。伊木山城跡をバックにした天守が撮れる。天守最上階に上がって、木曽川とライン大橋などの遠望も押さえたい(投稿者:shirofan)。

ライン大橋を渡り対岸の岐阜県各務原市鵜沼から朝夕、月夜の晩など見ると絶景です。また、河原から狙うのも良しですが、天守東側に太陽のあたる、午前中が良いでしょう。前日に雨など降ると川の色が悪いので要注意。冬になると、天守付近の木々が一部落葉して、天守の全景が見えたりします(投稿者:Y.Akatsuka)。

犬山城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る犬山城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

犬山城の関連史跡

犬山城下町

犬山城の南に広がる城下町は、中心部に町人の住宅地があり、そのまわりを武家屋敷が置かれ、さらに木戸や土塁が設けられた「総構え」の構造になっていた。明治以降に堀が埋められ、武家屋敷などもほとんど取り壊されたが、街並みはよく残っており、当時のよすがを充分に感じられる。

旧磯部家住宅

江戸末期から明治にかけての建物が残る、城下町を代表する現存町家。元々は呉服商だった。犬山市がまちづくりの拠点とすべく買収し、比較的新しかった部分も明治期の建物のに合わせる形で復元。2006(平成18)年から公開されている。

犬山城は移築城門が多い

城下町めぐりのついでに回ろう!
いずれも詳しい場所は上記Googleマップ参照)。

移築城門

  • 瑞泉寺山門(旧内田門) 愛知県犬山市犬山瑞泉寺7 ※犬山城から徒歩圏内
  • 常満寺山門(松の丸裏門)愛知県犬山市犬山西古券281 ※犬山城から徒歩圏内・かつては本瓦葺だった(現在は桟瓦葺)
  • 徳林寺の中門(黒門)愛知県丹羽郡大口町余野2-201 大口町指定文化財
  • 専修院東門(矢来門)愛知県丹羽郡扶桑町柏森字乙西屋敷62 扶桑町指定文化財
  • 浄蓮寺山門(伝松の丸表門)愛知県一宮市千秋町穂積塚本郷内22 一宮市指定文化財
  • 運善寺山門(無記名の門)愛知県一宮市浅井町大日比野南流1841 一宮市指定文化財

移築櫓

  • 森家土蔵(宗門櫓)愛知県江南市前飛保 ※見学不可

 

内田門外堀跡

如庵有楽苑(閉館中)と新郷瀬川の間に、犬山城の外堀、「内田門外堀」の名残がある。元々は空堀だったが、城の地盤が固いチャート(堆積岩)のため、染み出た水が東側の空堀に貯まったらしい。余談ながら新郷瀬川は堀ではなく、明治期に入鹿池の放水路として造成されたものだ(愛知県犬山市犬山堀ノ内5-3)。

旧奥村家住宅

余坂村の庄屋の屋敷だった。中庭の奥にある蔵が櫓の移築と伝わる。現在はフレンチ「奥村邸」となっている。邸内にある井戸、「銀明水」は織田信長がのどを潤したという伝説がある(愛知県犬山市犬山東古券395)。

そのほか

犬山城から木曽川を渡り北へ約3kmの場所にある中山道鵜沼宿には、大垣城の鉄門(くろがねもん)が移築されている(岐阜県各務原市鵜沼西町1丁目551)。

周辺には名鉄グループの観光地がある(明治村・リトルワールド・モンキーパークなど)。対岸の鵜沼城跡(登城不可)、犬山城の前身である木下城跡や伊木山城跡。有名どころでは、小牧山城名古屋城岐阜城といったところか。

犬山城のおすすめ旅グルメ

串物

古くからでんがくや五平餅など「串物」が名物だった犬山市。串物の町、犬山をアピールするため、市内の串物の店が自慢の串を競い合う「串キング決定戦」が開催されている。そのほか、でんがくやだんごといった和物から、ハンバーグ、カプレーゼ、バターケーキなどの洋物まで、いろんな串がそろうので、城攻めのついでにいろいろ食べ歩こう。

松野屋

明治時代から続く老舗のでんがく専門店「松野屋」。定番の豆腐のほか、いもや肉などもある。定食には菜飯、吸い物、香の物がつく。駐車場あり。

犬山ぐーまる

「犬山ぐーまる」は、城下町のメインストリート沿いにある、城下町でいちばん大きいフードコート。飛騨牛ローストビーフ丼や名古屋みそかつ丼、鶏ちゃん焼定食などの郷土料理をはじめ、豊富なメニューがそろう。

げんこつ飴

地元では、成瀬正成が陣中食として考案したと伝わるお菓子。黒糖をねってきなこをまぶしたもの。高田屋製菓、厳骨庵、藤澤製菓の3軒がある。

犬山城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

ビジネスホテルや民宿もあるが、せっかくなら、天然温泉の犬山温泉白帝の湯でお城めぐりの疲れを癒したい。また、2021年7月に名鉄犬山駅前に「ホテルミュースタイル犬山エクスペリエンス」が開業、ロビーは犬山城下町がデザインされているらしい。

犬山城のアクセス・所在地

所在地

住所:愛知県犬山市大字犬山字北古券65-2 [MAP] 県別一覧[愛知県]

電話:0568-61-1711(国宝犬山城)

開館時間

犬山城天守は9:00〜17:00(入場は16:30まで)※12月29日〜31日は定休日

アクセス

鉄道利用

名鉄、犬山遊園駅から徒歩で15分、犬山駅から徒歩20分。

マイカー利用

名神高速、小牧・名古屋高速・小牧北、中央道・小牧東、東海北陸道・岐阜各務原の各ICから約25分。

城ファンの気になるところ (16)

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    天文6年(1537年)に現在の天守(小規模な天守で風情がある)が建てられ、織田信長の叔父に当たる織田信康が入城。秀吉も一瞬だけ入城。その後、めまぐるしく城主がかわり、元和4年(1618年)成瀬正成が城主となり、以後成瀬家の子孫が入城。

    ( 名古屋観光おすすめ隊)

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    「犬山城ってきれいねぇ〜」「なんなら持って帰る?」「成瀬の殿様に言っといてあげるわ!」地元の方は、なんとも面白い。ちなみに幕末まで続き、平成16年3月までこの城の所有者である成瀬さんのお住まいは、城山の中腹にある。

    ( 名古屋観光おすすめ隊)

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    何よりも天守最上階からの眺めを堪能してほしい。木曽川方面が特に眺めがよい。天守最上階には写真をご覧になって分かるように、ひざぐらいまでの高さの手すりしか付いていない(当時のもの!?)。通常、天守と言えばフェンスが張ってあったりと安全だがここは、違う。さすが国宝。さすが個人所有。風の強い日はご用心を。

    ( 名古屋観光おすすめ隊)

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    長浜城と同じく、二階部分の大屋根に櫓を乗せた形態の天守。織豊時代の城であることが分かる。

    ( 名古屋観光おすすめ隊)

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    城のすぐ横には木曽川が流れてる。なんと、この辺の木曽川は地質学上世界で有数の土地で、河原には赤い(鉄分を含んでいる)岩が露出しており(下りれます)その地層が恐竜以前の地層らしい。よって犬山城の石垣も赤い。

    ( shirofan)

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    現存最古の城で別名、白帝城として親しまれています。

    ( Y.Akatsuka)

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    天守台入り口が地下一階二階となっており内部から地上一階の土台、管柱の継ぎ目を見ることができる。ほとんどの天守の内壁は真壁造りだが、犬山城ほど筋違を露出しているのは珍しいと思う。

    ( 城山神々)

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    成瀬時代に加えられたという望楼部と既存入母屋部との構造上、材質上の違いを注意深く観察したところ、私には見抜けないことが判明した。せっかくの現存天守(しかも国宝!)なのだから、天守入口のハンプのテント、最上階内部の赤ジュウタンはいただけません。

    ( 城山神々)

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    天守閣の一番上からのながめもいいのですが、そのすぐ下の階…、なんていうのでしょうか、そこのつきだした四方の小さな空間からの木曽川の風景がなんとも溜まりません。俳句でも詠みたくなります。

    ( r.miyake)

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    現在の犬山城が以前、兼山にあったと祖父から聞いております。また、兼山以前は、可児市久々利にあったそうです。

    ( 荒井 節)

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    我が国唯一の個人城主 成瀬正肥氏(初代成瀬正成の子孫)から平成16年4月1日より所有者が「財団法人 犬山城白帝文庫」として新しく発足され貴重な文化財と共に同文庫に移譲された。

    ( 近藤 泰功)

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    城下でのバイトをしていて何時も自慢が出来る昔ながらの天守の石垣、急勾配な階段、武者隠し、石落とし、最上階の望楼、そこからの景観などです。

    ( 近藤 泰功)

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    犬山城の階段の傾斜角は、平面図を適当に図ると次のようになっていた。天守入口の地下2階から地下1階の傾斜が最もきつい。現存天守で最大角は丸岡城で傾斜角約65度。

    3階〜4階:約54.6度
    2階〜3階:約45度
    1階〜2階:約56度
    地下1階〜1階:約47度
    地2階〜地下1階:約59度

    ( shirofan)

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    古いタンスのにおいのお城

    ( じーちゃん)

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    昭和36年(1961)の解体修理では、犬山城天守の石落としは、外観上の装飾で実用的になっていなかったとのこと。

    ( みつ)

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    2021年9月、文献などから大手門があったとされる場所で、犬山城の外堀の一部が見つかった。外堀は空堀で、幅は約17.5m、深さは約6.5mの規模だそう。

    ( 城好きの匿名希望)

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