屋島城(やしまのき)は、天智天皇6年(667)、唐・新羅の侵攻に備えて築かれた古代山城。瀬戸内海の要所・屋島の断崖を生かし、城壁は全長約7kmに及んだと考えられる。現在は発掘された城門や城壁、懸門などを見学できる。このページでは屋島城の歴史や構造、見どころ、アクセスを紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
屋島城の歴史・見どころ
屋島城の歴史
屋島城(やしまのき)は、天智天皇6年(667)に築かれた古代山城。天智天皇2年(663)8月、日本は百済を再興するため朝鮮半島へ救援軍を派遣したが、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した。これを契機として、唐・新羅の侵攻に備え、対馬から太宰府周辺、瀬戸内海沿岸に朝鮮式山城が築かれた。『日本書紀』天智天皇6年(667)11月条には、倭国高安城、讃吉国山田郡屋嶋城、対馬国金田城を築いたことが記され、屋島城もこの防衛体制の一角を担った。
築城地となった屋島は当時、瀬戸内海に浮かぶ島で、備讃瀬戸の東限に位置していた。畿内へ通じる海上ルートの要所にあたり、唐・新羅の大船団に備えるうえで重要な位置を占めていた。城壁は山上を全長約7kmにわたって巡っていたと考えられ、その大部分には断崖絶壁を利用し、人工的な城壁は全体の約1割にとどまる。
その後、屋島城の具体的な姿は長く明らかにならず、浦生地区の石塁などが遺構として知られる程度だった。大きな転機となったのが平成10年(1998)2月、南嶺山上部に近い西南斜面での石積み発見だった。南嶺北斜面・南斜面の土塁や東斜面で確認された地形との関係から、山上部付近の斜面に古代山城の外郭線が断続的に巡ることが判明した。平成11年度(1999年)から継続的な発掘調査が進められ、城門や城壁、内甕城などが確認され、朝鮮半島の築城技術を取り入れた屋島城の構造が明らかになっていった。
浦生地区でも平成21年度(2009年)から発掘調査が行われ、7世紀後半頃の須恵器が出土したことで、従来から知られていた石塁が屋島城を構成する施設と明確になった。『日本書紀』に名を残しながら長く実像のつかめなかった屋島城は、発掘調査によってその城域と防御施設の姿が具体的に確認されつつある。
屋島城の特徴と構造
屋島城は、高松市北東部の瀬戸内海へ突き出す屋島に築かれた古代山城。屋島は南嶺と北嶺からなり、最高所となる南嶺は標高292m、北嶺は標高286mを測る。城壁は山上を全長約7kmにわたって巡っていたと考えられるが、遺構は南嶺のみで確認されている。断崖絶壁を城壁として利用し、人工的な城壁は全体の約1割程度とされ、自然地形を最大限に生かした構造を特徴とする。
城門地区では、高さ約2.5mの段差を設けた懸門が確認されている。城壁は自然地形に沿って蛇行し、前面を石積み、背面を盛土として構築され、確認された部分では高さ6mに及ぶ。門の内側には岩盤と小規模な土塁を利用した内甕城が設けられ、侵入路を城壁北側へ限定する構造をとる。階段状の門道には両側に石積みの壁があり、壁沿いでは柱穴2基も確認されている。
北嶺と南嶺の間の西側にある浦生地区では、標高約100mに山上とは別の城壁が築かれ、雉城のほか、城門や水門と推定される箇所も確認されている。このほか南嶺各所に城壁が残り、倉庫などの建物跡、貯水池や水門の候補地も確認されている。
屋島城の整備状況
屋島は昭和9年(1934)11月10日、相引川以北の島全体が国の史跡および天然記念物に指定された。屋島城では平成11年度(1999年度)から継続的な発掘調査が行われ、城門地区や浦生地区を中心に遺構の確認が進められてきた。
城門地区では平成19年度(2007年度)から城門と城壁の修理・復元整備に着手し、落石の回収、石垣の解体、試験的な城壁復元などを経て城壁を復元した。高松市の提示資料では、復元された城門・城壁を自由に見学できるとしている。浦生地区についても発掘調査が進められ、城壁や雉城などの遺構が確認されている。
参考文献:
- 『日本城郭大系15』(新人物往来社)
- 「屋島城」(高松市)
屋島城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
現地には城門や城壁、発掘調査の成果を解説する案内板が設置され、屋島城の発見から発掘調査、城門・城壁の保存整備まで理解を深めることができる。城門へ向かう入口にはパンフレットを備えたボックスも設置されている。
屋島城の撮影スポット・絶景ポイント
駐車場から屋嶋城城門への道すがら、那須与一扇の的など、源平屋島合戦の史跡を望むビュースポットがある。
屋島城の写真(城写真ARCHIVE)
城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、屋島城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。
屋島城周辺の観光スポット・史跡めぐり
源平合戦の舞台 屋島の戦い
寿永4年(1185)、源義経率いる源氏と平家が戦った屋島の戦い。その舞台となった屋島東麓の檀ノ浦周辺には、安徳天皇の行宮跡と伝わる安徳天皇社、佐藤継信の墓、菊王丸の墓など、合戦ゆかりの史跡が点在する。古代山城が築かれてから約500年後、屋島が再び歴史の舞台となったことをたどれる。
屋島城周辺グルメ・名物料理
屋島山上にある「れいがん茶屋」。令和3年(2021)のリニューアルでは、座席から景色を眺められるよう店内の床を高くし、大きな窓の向こうに広がる瀬戸内海を楽しめる空間となった。屋島城や屋島寺を巡ったあとの昼食や休憩にも立ち寄りやすく、うどんやカレーなどの食事メニューも揃う。
屋島城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:香川県高松市屋島東町屋島山上
県別一覧:[香川県の城]
電話:087-839-2660(高松市文化財課)
- 屋島城(公式ページ)(高松市)
アクセス
鉄道利用
JR高徳線、屋島駅、または、琴電屋島駅からシャトルバス「屋島山上」降車。
マイカー利用
高松自動車道、高松東ICから、約15分(7.6km)、屋島ドライブウェイで中腹まで登ることができる。有料駐車場有り。駐車場から徒歩約15分で城跡。駐車場からは、案内板が充実していない。駐車場の南東角あたりに駐め、血の池方面への遊歩道を進む。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
屋島城:城ファンの知見と記録
屋島城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全1件)。







屋嶋城と書いて「やしまのき」と読みます。今は陸続きとなってますが、屋島はもともと島でした。日本書紀にも書かれていた古代山城で幻の城でしたが、2002年に城門遺構が発見され、2007年から整備工事が始まりました。
記録:讃岐自慢 2008