写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン
弁天岬台場の歴史と見どころ
外国船襲来に備えて安政3年(1856)、幕府の手によって10万両の予算で造られた台場。不等編六角形の台場で、実際に使用されたのは函館戦争時。新撰組が降伏した最後の地となった。現在、遺構はなく、標柱と解説板が立っている。
弁天岬台場のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
弁天岬台場:城ファンたちの記憶
実際に弁天岬台場を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全1件)。

公園内には「新選組最後の地碑」もありました。
( 北のまほろば)