写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン

弁天岬台場の歴史と見どころ

外国船襲来に備えて安政3年(1856)、幕府の手によって10万両の予算で造られた台場。不等編六角形の台場で、実際に使用されたのは函館戦争時。新撰組が降伏した最後の地となった。現在、遺構はなく、標柱と解説板が立っている。

弁天岬台場のアクセス・所在地

所在地

住所:北海道函館市弁天町20 [MAP] 県別一覧[北海道]

鉄道利用

函館市電、函館どつく前駅下車、徒歩1分。

函館どつく前駅のすぐ南側の公園に、弁天岬台場跡の解説板、公園から出て北へいくと「弁天台場跡」の標柱がある。

【監修者プロフィール】 岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。

弁天岬台場:城ファンたちの記憶

実際に弁天岬台場を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全1件)。

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    公園内には「新選組最後の地碑」もありました。

    北のまほろば)

城の情報

心に残る弁天岬台場の思い出は?