長谷堂城の歴史・見どころ

長谷堂城の歴史

長谷堂城(はせどうじょう)は、山形盆地と米沢盆地を結ぶ小白府街道や狐越街道の要所に築かれ、最上氏の山形城を守る前衛基地となった山城。文禄3年(1594)には志村伊豆守光安が城主を務め、置賜の上杉氏に対する重要な拠点となった。

慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦に際して、東北では直江兼続を大将とする上杉軍が山形へ侵攻した。米沢方面、庄内方面から攻め込む上杉軍に対し、山形城南側の最終防衛線となったのが長谷堂城だった。城を守る最上軍は志村伊豆守光安を中心に上杉軍の猛攻に抵抗し、長谷堂城を守り抜いた。関ヶ原で西軍が敗れると上杉軍も撤退し、長谷堂城は山形城の前衛としての役割を果たした。

この戦いののち、最上義光は出羽国のうち現在の置賜地方を除く山形県の大部分と秋田県由利郡を領し、57万石となった。また、志村光安は長谷堂城での功績により3万石の東禅寺城主となり、その後には坂紀伊守が長谷堂城へ移った。最上氏が改易されると、元和9年(1623)に長谷堂城は廃城となった。

長谷堂城の特徴と構造

長谷堂城は山形盆地と米沢盆地を結ぶ小白府街道や狐越街道の要所に位置し、標高210m、比高110mの独立丘陵全体を利用した山城。城の周囲は約1kmに及び、山麓には集落が広がる。大手は西寿司口と呼ばれ、そこから山上へ一筋の道が通じる。

山頂部は平坦となり、山腹から山上にかけて曲輪が配置されている。現在も丘陵には土塁や曲輪などの遺構が数多く残り、長谷堂城が丘陵全体を城域としていたことを確認できる。山頂広場からは山形市街のほか、長谷堂合戦の戦場や直江兼続が陣取った菅沢付近を望むことができ、山形城南側の防衛拠点となった長谷堂城の立地を現地で把握しやすい。

長谷堂城の整備状況

長谷堂城跡は現在、独立丘陵全体を生かした公園として整備されている。城跡には土塁や曲輪などの遺構が数多く残り、山頂部は広場として利用されている。また、山の北麓にある長谷堂城の堀跡
は公園として整備されている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系3』(新人物往来社)
  • Webサイト「長谷堂城跡」(山形市)

長谷堂城周辺の観光スポット・史跡めぐり

直江山城守本陣跡

慶長5年(1600)の長谷堂合戦で、上杉軍の総大将・直江兼続が本陣を構えた場所。当時は雲澤院という寺があり、ここから間近に望む長谷堂城を攻める上杉軍の指揮を執ったと考えられている。近くには、当時使用したと伝わる岩井戸も残る。長谷堂城とあわせて訪ねたい、合戦の上杉方をたどる歴史スポット(山形県山形市菅沢)。

加藤掃部左衛門の碑

長谷堂合戦で最上方として戦った加藤掃部左衛門(加藤清次)を伝える碑。長谷堂城の戦いで最上軍の先鋒として奮戦し討死した。長谷堂城周辺に残る合戦ゆかりの史跡のひとつ(山形県山形市百目鬼)。

上山城

慶長5年(1600)の長谷堂合戦と同じ関ヶ原出羽合戦では、上杉軍が上山方面にも侵攻し、上山勢がこれを迎え撃った。上山城は最上氏の最南端の城塞にあたり、長谷堂城から南へ約10kmに位置する。現在は城跡に模擬天守(上山城郷土資料館)が建ち、上山の歴史や文化を紹介している。長谷堂城とあわせて、最上氏と上杉氏の攻防をたどりたい。

長谷堂城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:山形県山形市長谷堂 [地図を見る]

県別一覧:[山形県の城]

電話:023-641-1212(山形市まちづくり政策部公園緑地課)

アクセス

鉄道利用

JR山形駅下車、山形交通バス長谷堂行「長谷堂前」下車、徒歩約6分。

マイカー利用

東北中央道、山形上山ICから16分(6.7km)、無料駐車場有り(30台)。

地図