写真:岡 泰行
仙台城(青葉城)の歴史と見どころ
仙台城は標高約130mの山城で、慶長5年(1600)、伊達政宗によって築城された。東と南が断崖で守られた天然の要害で、伊達政宗騎馬像がある本丸に立つと仙台市内と太平洋まで一望できる。本丸北面石垣は切込接を用いた圧巻の美しさがある。麓の大手門跡両側の石垣、三の丸後に残る水堀や清水門などの門跡、中門跡、本丸跡など、城郭としての見どころは多い。建物は脇櫓が復元されているが、その脇櫓とともに現在、大手門の復元計画がある。
仙台城の歴史
“杜の都”と称される仙台市のシンボル、仙台城(別名:青葉城)。言わずとしれた、伊達政宗が築城したものである。それ以前には国人領主、国分(こくぶん・こくぶ)氏の居城、千躰(代)城(虚空蔵城とも)があったと言われている。関ヶ原合戦後、徳川家康により刈田(かった)郡を加増された政宗は、仙台城の普請をはじめる。このとき、名称も仙台に改められた。
慶長7年(1602)に一応の完成をみると、翌年、政宗は岩出山城から居城を移した。慶長16年(1611)には、スペインの探検家、セバスティアン・ビスカイノがここで政宗に謁見。慶長18年(1613)には、支倉常長とともに政宗の遣欧使節となるスペイン人宣教師、ルイス・ソテロも訪れている。
政宗の時代は青葉山の山上に本丸を置く山城だったが、元和2年(1616)の大地震で石垣が崩壊し、新たなものが組み直されている。二代藩主・忠宗のときに本丸の北麓に二の丸を造営。御殿と藩政庁がこちらに移された。正保3年(1646)にはまたも地震により石垣や本丸の櫓などが倒壊した。
寛文11年(1671)に勃発した伊達騒動(寛文事件)の影響もあり、現在まで残る高石垣が完成したのは、正徳3年(1713)ごろのことだった。なお、地震による石垣の被害はその後も続く。文化元年(1804)、落雷による火災で二の丸が全焼。約5年後に再建された。
戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の「盟主」となったが、1686(明治元)年10月(新暦)、新政府軍に降伏した。明治15年(1882)、二の丸殿舎が焼失。その後、残っていた大手門、脇櫓、巽櫓も戦災などによって失われた。
昭和28年(1953)、青葉山公園が開設。昭和32年(1957)には二の丸跡に東北大学川内キャンパスが設置され、4年後には三の丸跡に仙台郷土博物館(現・仙台市博物館)が造られた。平成15年(2003)には国史跡に指定。2038年度に向けて、大手門の復元および脇櫓の再建計画が進められている。
※仙台市博物館は改修工事のため、2024年4月(予定)まで閉館中
仙台城の構造と特徴
仙台市が平成10年(1998)から行った本丸石垣の発掘調査で、現在の高石垣の内側から2種類の石垣が発見された。第1期のものは約48度のゆるい勾配を持つ野面積みで、犬走りを持つ3段ほどの構造になっていた。
発掘された荷札木簡から、慶長12年(1607)より後に築かれたとされる第2期の石垣は勾配約60度で、第1期の石垣も利用した打ち込みハギと野面積みとで構成されていた。その後、前述のように正徳3年(1713)ごろ、現在の石垣が築かれる。
政宗の時代、本丸には書院造の大広間、大台所などの建物が建ち並び、本丸入り口の詰の門の横に西脇櫓、東脇櫓、さらに艮櫓、巽櫓などの櫓が置かれた。本丸の東側には、「清水の舞台(京都市・清水寺)」のような懸造り(かけづくり)の御殿、眺望亭「眺瀛閣(ちょうえいかく)」が曲輪から突き出るように建てられていた。
現在、本丸跡に礎石を配置した大広間遺構が平面展示されている。なお、5層の天守築造が計画されたと伝わるが、実際には作られなかった。
第2代藩主の忠宗の時代の寛永15年(1638)、幕府の許可の下、二の丸が築かれ、小広間、大書院御座間が建てられた。また、4代綱村が西屋敷を造って二の丸を拡張。対面所も建てられ、藩政機能は本丸から二の丸へと移っていった。さらに、政宗時代に茶室や庭園があった場所に三の丸も設けられ、蔵屋敷や御米蔵などが置かれた。
城内の主な建築物
明治以降、多くの建物が取り壊された。大手門、巽門などは近年まで残っていたが、太平洋戦争中に空襲などで失われた。現在、2038年の完成をめざして、大手門の復元計画が進められている。
仙台城をCGで
本丸にあった建物がCGで見られます。本丸跡には青葉城資料資料館があり、城や伊達家に関する資料が見られます。その他、Webで公開されているものとしては「仙台城跡発掘調査状況」などがある。
城外に移築されたもの
宮城県知事公館の正門として、二の丸の門が移築されている。
参考文献:
『名城を歩く21仙台城』(php研究所)、『探訪ブックス 日本の城』(小学館)、『仙台城跡—伊達政宗が築いた仙台城—』(仙台市公式サイト内)、NPO法人 仙台城ガイドボランティア会公式サイト
仙台城(青葉城)の関連史跡
「瑞鳳殿」は伊達正宗が眠る豪華絢爛たる廟所。場所は仙台市青葉区霊屋下。バス「霊屋橋瑞鳳殿入口」降車、徒歩10分。瑞鳳殿資料館では発掘の模様をビデオで見ることができる。そのほか、本丸跡からタクシー10分の距離に国宝大崎八幡神社があります。政宗の建築による社殿は伊達文化の粋を集めたもので瑞鳳殿や瑞巌寺とともに必見。あとは車で1時間弱で日本三景の一つ松島があります。そこには伊達家の菩提寺である瑞岩寺が。
仙台藩祖 伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿
初代藩主伊達政宗、2代忠宗、3代綱宗の霊屋、政宗死去の際に殉死した家臣の墓、発掘調査による出土品などを収蔵する資料館などが設置されている。建物は戦災などで焼失したため、現在のものは戦後に復元・復興されたもの。
住所:仙台市青葉区霊屋下(おたました)23-2
観覧料金:570円
開館時間:
2月1日〜11月30日 9:00~16:50(最終入館16:30)
12月1日〜 1月31日 9:00~16:20(最終入館16:00)
無料駐車場あり
るーぷる仙台(仙台市内の循環バス)バス停あり
近隣の主要な城
仙台城(青葉城)のおすすめ旅グルメ
ずんだ餅
和風喫茶というか。私はそこの「ずんだ餅」が好きです。まあ、この食べ物は仙台名産なので市内ならどこでも食べられます。でも日が持たないので持って帰れません。現地で食べましょう。売店の横あたりです(西山忠博 98.01.18)
仙台牛タン焼き
太平洋戦争後、仙台市に進駐してきた米軍が使わなかった牛肉のタンとテールを利用するために考案されたのが、牛タン焼きの始まりとされる。人気の牛タン定食は、牛タンとテールスープ、麦飯が基本のスタイル。
仙台牛
兵庫県から来た黒毛和牛をベースとして誕生したブランド牛。基準をクリアした5等級の物だけが名乗れる。
マーボー焼そば
中華料理店のまかないから生まれた、仙台市民のソウルフード。
仙台城(青葉城)の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
ビジネスホテル、シティホテルとも観光地なので結構近くにあります。
仙台城(青葉城)のアクセス・所在地
所在地
住所:宮城県仙台市青葉区川内1 [MAP] 県別一覧[宮城県]
電話:022-222-0218(青葉城 本丸会館)
開館時間
※城内散策自由
青葉城資料展示館
料金:700円(おとな)
4~10月 9:00〜16:20(受付終了15:50)
11〜3月 9:00〜15:40(受付終了15:10)
年中無休
アクセス
鉄道利用
JR東北新幹線、JR秋田新幹線、JR東北本線、JR常磐線、JR仙石線、JR仙山線、いずれも仙台駅下車、西口からバスプール9番から青葉城址循環バス20分「青葉城址」降車。
地下鉄
仙台市営地下鉄仙台駅から東西線八木山動物公園方面行5分。「国際センター駅」下車。徒歩20分。
バス
仙台駅西口バスターミナル16番乗り場、るーぷる仙台(仙台市内の循環バス)乗車26分。臨時停留所「仙台城跡」(青葉城本丸会館駐車場内)下車。
マイカー利用
東北自動車道、宮城ICより約20分。有料駐車場(150台)有り。青葉城本丸会館 平日 8:30〜17:30(季節により変動あり) 普通車 最初の1時間500円。以降、30分ごとに200円
言わずと知れた伊達氏の居城(別名、青葉城)、天守閣はなく石垣のみの現存です。他に櫓も少々残っています。平山城。仙台市街が一望できる場所に建っています。それでも後ろは山、眼下は深い渓谷と防御上も完璧。伊達政宗のすぐれた築城術がうかがえます。
( 西山忠博)さんより
仙台城にもともと天守はなかったのでがっかりされるかも知れませんが、石垣が見所の一つ。車で一気に本丸まで上ってしまうと本丸部分の石垣しか見れませんが、三の丸にある仙台市博物館の裏手から歩いて登ると本丸の切り込みハギ積みとは違う、野面積みの石垣も見ることができます。どちらも同じ時期に積まれたものなのですが、石垣の傾斜に合わせて積み方を変えているようです。本丸の切り込みハギなどはなかなか規模が大きくて立派。ただ最近は孕みが大きくかなり危険な状態で、そろそろ積み直しの工事が始まっているかも知れません。
( 地蔵)さんより
1998年9月現在、石垣の改修工事中です。石垣の工事が完了(平成13年予定)したら艮(うしとら)櫓の復元工事に着手するようです。
( 渡邉 敬)さんより
現在、石垣修復工事を行っていますが修復工事が終了した後、艮櫓の復元を行います。復元の中心となっている仙台商工会議所では、艮櫓復元の後、本丸御殿の一部と大手門を復元する計画です。
( 太田秀春)さんより
仙台城の資料館下の売店で売っている「政宗くん」というキャラクター商品がお気に入りです。でも随分前に行ったからまだ売っているかなあ。青銅製の伊達家の家紋入りの朱肉入れもかっこいいですよ。
( 政宗くん)さんより
仙台城は伊達政宗が17世紀に築いた城で、東北地方初めての総石垣づくりの城です。政宗が、織豊系の城を知る機会にもなりました。また、発掘調査で二度にも及ぶ大規模な修復工事も、行われたとも考えられます。東北屈指の名城です。
( たろう)さんより
瑞鳳殿は本殿と政宗公御木像の修復工事を行っている。期間は2022年10月31日〜2023年3月30日まで。
( shirofan)さんより