写真:準備中
帰雲城の周辺史跡を訪ねて
白川郷合掌造り集落。城ではその集落の先、国道156線から360号線に入ったあたりにある萩町城跡。
[シモヤン (1998.09.29)]
[半兵衛 (1998.09.29)]
帰雲城についてもっと知りたい人はこちら→[帰雲城と内ヶ島氏の謎]
帰雲城のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
帰雲城:城ファンたちの記憶
実際に帰雲城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全5件)。

天正年間に大地震で崩れ去ったという城ですが、何でも金銀財宝が一緒に埋まっているそうな!(ただし、江戸時代の創作とのことだが…)発掘の価値あり!
( シモヤン)
天正13年(1586)の大地震の際に崩れた帰雲山の大崩壊で、麓にあった帰雲城と城下町を一気に飲み込んだそうです。この地震のマグニチュードは7.8ほどと推定されています。
( 半兵衛)
当時は金森長近が姉小路氏を討ち、飛騨地方を支配下に納めようとしていた時期であり、内ヶ島氏はそれに備えて多額の軍資金を用意していたといわれています。
( ??)
帰雲城のあった場所(といっても完全に埋まっているはずですが)は大体ここだろうといわれているところがあり、現地には立て札も立っているようですが、現在もその詳細は不明なようです。なんせ、すべて埋まっているので、詳細な記録もないと聞いています。
( ??)
寛政5年(1465)に内ヶ島為氏によって築城され、三代にわたり内ヶ島氏の居城となった帰雲城は、天正13年11月29日(1585)の暮れ、夜中に大地震がおこり、帰雲山が崩壊し、該地方で勢力を誇っていた内ヶ島氏理、主従1千余人を山頂の城と山麓の城下町を一瞬にして地底に飲み込み滅亡させた、というのが概略です。
( ??)