写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン
相良城の歴史と見どころ
田沼意次の一代、わずか7年で廃城になった近世城郭。天明8年(1788)に壊され堀も埋められ農地になったそうな。よって、遺構は超少ない。
相良城跡で相良藩初代藩主で江戸幕府の老中だった田沼意次の銅像が令和3年(2021)5月29日に建立された。
相良城の周辺史跡を訪ねて
般若寺(相良町大沢)に陣太鼓や杉戸絵が残るそうな。また、田中城近くの大慶寺(藤枝市藤枝)に、相良城にあった御殿が移築現存しているらしい。相良城解体の際に700両で払い下げられたものだとか。
相良城の周辺おすすめ名物料理
「壽亭」そば屋。相良町役場・相良町史料館から東へ徒歩すぐ。味は東京そば。
相良城のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
相良城:城ファンたちの記憶
実際に相良城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全4件)。

老中田沼意次の相良城は記録にあるように完全に取り壊されたのであるが、当時の「お城取り壊し」というのは、城の瓦一枚に至るまで、徹底的に取り壊してその資材を江戸に搬送したといわれている。当時のその様子は、数多くの牛車や今でいうリヤカーなどが延々と連なり東海道を行ったという。さらに、伝説では、当然、田沼意次の私財もすべて取り抑えられたというが、その際、小判一枚見つからなかったといわれている。鬼女新田と呼ばれている田沼城の北西地区の、どこかの社に隠し財宝が眠っているという伝説もあるとも聞く。
( 意次ファン)
2001年3月に、舟着き場と見られる堀をせき止めた木杭の遺構が出土したらしい。
( 半兵衛)
船着場として利用した「仙台河岸(せんだいがし)」と呼ばれるエリアは、かつては、城内と外海を結ぶ軍事上の役目を秘め備えた船着場で、当時は千石船が横付けできたそうです。それを示す案内板と石垣があります。東へ徒歩5分程度。路地とまではいかないですが狭い路を進み、幅2mほどの川にかかる小さい橋の付近にあるため、あらかじめ史料館等で場所を確認してから行くといいです。
( 晴信)
相良町役場・相良町史料館が本丸跡、小学校が二の丸跡、高校が三の丸跡。相良町史料館横に石碑があります。また、二の丸跡の相良小学校入り口の土塁にある松は、かつて二の丸にあった当時のものだそうです。
( 晴信)