鳥羽山城の歴史・見どころ

鳥羽山城の歴史

鳥羽山城(とばやまじょう)は天竜川と旧二俣川に三方を囲まれた鳥羽山に築かれ、対岸の二俣城と密接な関係をもった山城となる。起源は必ずしも明確ではないが、浜松市の調査では、戦略上重要な地点として室町時代には山城としての体裁を整えていったとみられている。二俣は天竜川水運と秋葉街道によって信濃・遠江北部と浜松・遠州灘を南北に結び、東西には三河と遠江東部を結ぶ交通の要衝に位置した。

鳥羽山城が二俣城との攻防で重要な役割を担ったのは天正3年(1575)となる。同年5月の長篠の戦い後、徳川家康は武田方が守る二俣城の攻略を本格化させた。『三河物語』には、家康が武田氏から二俣城を奪還するため鳥羽山に本陣を置いたことが記されている。

家康は二俣城を封鎖するため鳥羽山城をはじめ毘沙門堂砦・蜷原砦・和田ヶ島砦を築き、城兵を包囲した。二俣城では依田信守・信蕃父子らが約6か月にわたり籠城したものの、孤立と食糧の欠乏により、天正3年(1575)12月24日に開城した。

鳥羽山城は天正18年(1590)に大きく姿を変える。徳川家康が関東へ移ると、豊臣秀吉配下の堀尾吉晴が遠江西部を領有した。浜松市による調査では、鳥羽山城に残る主要な遺構の多くは、天正18年(1590)から慶長5年(1600)にかけて堀尾氏によって整備されたと考えられている。

本丸を中心に腰巻石垣と鉢巻石垣が構築され、枯山水庭園や礎石建物、大規模な大手道も設けられた。軍事的拠点として整備された二俣城に対し、鳥羽山城は領主が日常生活を送る居館としての性格をもち、迎賓館的な機能も果たしたとみられる。両城は異なる機能を分担しながら密接な関係を保って使用された。

慶長5年(1600)、関ヶ原の戦い後に堀尾氏が出雲へ転封すると、鳥羽山城もほどなく廃城となった。土づくりの中世的な山城から石垣を備えた近世的な城郭へと移行する姿と、二俣城との機能分化を伝える城跡となっている。

鳥羽山城の特徴と構造

鳥羽山城は二俣城の南約500m、天竜川と旧二俣川に囲まれた東西約1000m、南北約350~400mの独立丘陵上に立地する。二俣は天竜川水運と秋葉街道を通じる交通の要衝にあたり、城郭遺構は丘陵上の東群・中央群・西群に分布する。その中心は標高108mの鳥羽山山頂周辺に展開し、国史跡として保護対象となる主要遺構は丘陵西半約400mの西群に位置する。

西群の本丸には土塁が良好に残り、南側に大手門、北側に搦手門、東側に東門が配置される。西側の土塁には腰巻石垣と鉢巻石垣が上下2段に構築され、堀尾氏による整備と考えられている。本丸の発掘調査では枯山水庭園と礎石建物が検出され、大手の調査では最大幅9mに及ぶ大規模な道が造成されていたことも判明した。

中央群には横堀が存在するが、周辺は土取りによる改変が大きく、全体像の把握は困難となっている。東群には小規模な堀切が認められるものの、尾根上の発掘調査では遺構・遺物は確認されなかった。土塁や堀切など土づくりの構造に石垣を加え、さらに庭園や開放的な大手道を備える点に、居館として整備された鳥羽山城の特徴が表れている。

鳥羽山城大手門跡
本丸の正門となる大手門跡。外枡形を構え、周囲には大きめの石材を用いた石垣が残る。西脇の石垣基部には排水用の暗渠も確認できる。
鳥羽山城本丸跡
鳥羽山城の本丸跡。周囲に土塁や石垣を巡らせ、大手門・搦手門・東門の3か所に出入口を設ける。発掘調査では枯山水庭園や礎石建物も確認された。
鳥羽山城枯山水庭園跡
昭和49・50年(1974・75)の発掘調査で確認された枯山水庭園跡。石組と築山で水の流れを表現した庭園で、鳥羽山城が迎賓機能を備えた居館として整備されたことを伝える特徴的な遺構。
鳥羽山城東門跡
本丸東側に開く外枡形の東門跡。大手門や搦手門より小規模で、石垣基部には排水用の暗渠が残る。規模や位置から通用門として使われたと考えられている。
鳥羽山城本丸石垣(腰巻石垣)
本丸土塁の裾を固める腰巻石垣。鳥羽山城に残る石垣の一つで、堀尾氏による整備と考えられている。

鳥羽山城の整備状況

鳥羽山城跡は平成26年(2014)に浜松市史跡に指定され、その後、二俣城跡とあわせて平成30年(2018)に「二俣城跡及び鳥羽山城跡」として国史跡に指定された。

浜松市教育委員会は平成21年度(2009)から地形測量や発掘調査をはじめ、文献・絵図などの史資料調査、歴史地理学的調査などの総合調査を実施し、両城の構造や年代、相互関係の解明を進めてきた。現在は鳥羽山公園として公開されている。城跡では草木の繁茂、危険木の増加、竹林の拡大に対応して樹木や竹林の伐採・剪定を実施し、来訪者の安全と遺構の保全を図るとともに、草木に隠れていた遺構を見やすくする植生整備が進められている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系9』(新人物往来社)
  • 『浜松市文化財情報』(浜松市文化財課)
  • Webサイト「二俣城跡及び鳥羽山城跡」(浜松市)
  • Webサイト「しずおか文化財ナビ 二俣城跡及び鳥羽山城跡」(静岡県)

鳥羽山城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット

『二俣城・鳥羽山城の調査』A4・16P・初版1,500部・2018年4月6日浜松市発行など。

鳥羽山城の撮影スポット・絶景ポイント

鳥羽山城は主要な遺構が南向きに展開し、晴天時には本丸と青空を広く取り入れた撮影がしやすい。大手門も南向きで、日中は光を受けた遺構を狙いやすい。本丸周囲には石垣が残り、本丸通用門、搦手門、腰曲輪などを歩いて巡ることができる。主要部は比較的まとまっているため、城内全域の撮影にもそれほど時間を要しないだろう。

鳥羽山城の写真(城写真ARCHIVE)

城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、鳥羽山城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。

鳥羽山城周辺の観光スポット・史跡めぐり

あわせて巡りたい二俣城

鳥羽山城の北約500mに位置する山城。天正3年(1575)、武田方が守る二俣城を徳川家康が攻めた際、鳥羽山城には徳川方の本陣が置かれた。のちに堀尾氏によって両城が整備され、軍事的拠点の二俣城と居館の鳥羽山城が機能を分けながら一体的に使用された。

筏問屋 旧田代家住宅

天竜川舟運に関わる受け継ぎ問屋を営み、北鹿嶋村の名主や渡船場の船越頭も務めた田代家の住宅。安政6年(1859)築の主屋は、天竜川畔に建つ木造2階建の大型民家で、舟運による繁栄を今に伝える。平成27年(2015)に国の登録有形文化財となり、敷地内と主屋内部の一部が公開されている(静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島489-1)。

鳥羽山城周辺グルメ・名物料理

天竜川の鮎

二俣城を訪れたなら、天竜川の鮎も味わってみたい。二俣町の「寿司割烹 竹染」では、夏になると天竜川で捕った天然の鮎を使った料理を楽しめる。天竜川を天然の要害とした二俣城を歩いたあと、その川の恵みを味わうのも二俣ならではの楽しみ。完全予約制のため、事前に確認して訪れたい。

鳥羽山城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣 [地図を見る]

県別一覧:[静岡県の城]

電話:053-542-3660(浜松市市民部文化財課)

アクセス

鉄道利用

天竜浜名湖鉄道「二俣本町駅」下車、徒歩約15分。

マイカー利用

新東名高速道路、浜松北ICから、北へ8分(3.9km)鳥羽山公園駐車場(無料・20台)有り。

地図