合戦東軍西軍どちら派 三成派(1049票)
家康派(535票)
戦国武将人気ランキング 1位 大谷吉継(175票)
2位 島津義弘(113票)
3位 真田幸村(102票)
4位 島左近(92票)
5位 小早川秀秋(82票)
kent さんからのご投稿(2006.07.15)

三成派 狸は、嫌ですな。

直江兼続 「愛」ですな。

真田大八 さんからのご投稿(2006.07.08)

三成派 関ヶ原の合戦も大坂の陣も狸は汚い手ばかり使い勝っている。三成や幸村のように堂々と戦わないから。

大谷吉継 勝馬の尻にまたがり戦った多くの歴戦武将のなか、唯一友情におうじた人だから。

摂津守 さんからのご投稿(2006.07.07)

三成派 うんこたれだから

真田昌幸 謀略、戦略にかけては右に出るもの無しにて候。

豊臣秀吉 さんからのご投稿(2006.07.03)

三成派 家康が、豊臣を裏切り、天下一統をなしとげたから。

真田昌幸 徳川秀忠の大軍を息子の、幸村と、少ない軍で、勝利し、関ヶ原の合戦に間に合わせなかったから。

香澄 さんからのご投稿(2006.07.03)

三成派 いえやすがきらい

上杉景勝

藤枝 梅吉 さんからのご投稿(2006.07.01)

三成派 戦国時代が好な奴なら弱い方に付くのが道理だろう どっちが好きとかより自分より、強い物に勝手こそ面白さ、魅力がある

蒲生郷舎 石田家臣、左近ほど有名でないが、武略があり舞兵庫、大場土佐と並ぶ良き侍大将だからである

六文銭 さんからのご投稿(2006.06.22)

三成派 家康嫌い也

平塚為広 吉継は忠義の武将、為広これまた忠義の武将也関が原にて打死したのはあまり知られていないなり

ガラシア さんからのご投稿(2006.06.06)

三成派 せっかく秀吉が天下統一できたのに、また乱さないでよ〜。

小西行長 キリシタン大名だったから領民に優しかったんだよ。

匿名 さんからのご投稿(2006.05.30)

三成派 家康が好きになれない。敗軍が好き。

島左近 大好き!!!!

二十一回孟子 さんからのご投稿(2006.05.28)

三成派 本家は、400年以上山口人。←つまり関が原以前より。本人、大阪生まれの山口育ち。アンチ徳川。アンチ巨人。当然でしょう。江戸の幕府なんぞぶっつぶしたれ!ええぢゃないか!三成大好き。よっ!傾城者。エロ狸ジジイなんぞに利用された豊臣武断派は、アホぢゃ。

真田昌幸 徳川派の方々が好きな武将で井伊の赤揃えをやたら宣言しておられるが?本家は、こちらでは?

ちゅう さんからのご投稿(2006.05.21)

三成派 大儀でしょう〜

島津義弘 私が薩摩隼人だからです。

回天の継承 さんからのご投稿(2006.05.19)

三成派 信長、秀吉に続く商業主義、国際主義、封建解体の正統な後継者。戦国の三傑は、歴史を逆行させた反動家康を除くべきである。信長・秀吉・三成が三傑。信長の直接的な後継者は理論的にいって三成になる。両者に現実の接点は少ない。「破壊」担当と「建設」担当の違いはあるが、両者はお互いに認め合う筈の歴史回天の師弟。「信長好き」で三成を認めない人は、信長の歴史貢献の意味を理解できていない人である。

吉川広家 最たる裏切り者だが、本家の存続を思ってのこと。しかし戦後の処理から見ると全くの失敗。結果的に亡家の臣。輝元も無策無能。維新の働きがうそのようなダメ一族。

真田幸村 さんからのご投稿(2006.05.19)

三成派 浪漫

無し

長月 さんからのご投稿(2006.05.18)

三成派 関ヶ原は東軍・西軍の両方とも大好きです。けれど、最初に読んだ歴史小説が司馬先生の「関ヶ原」で、石田三成の頑ななまでの一途さにホレた(←がきっかけで関ヶ原の戦いへの興味が高まった)せいか、やっぱり西軍に肩入れしてしまいます。wwけれど、家康も善悪を超越した、とても深みのある人物なので大好きですよ。

黒田長政 好きな武将が多すぎて選ぶのに困ってしまいましたが、最近急速に好きになってきているこの人で。
彼の徹底して現実主義なところに、一種のすがすがしさを感じます。ww大津城で捕らわれた三成に長政が羽織を着せかける話がありますが、敵対した(しかも敗北)した相手を侮辱することなく、武将として礼儀を尽くす長政の態度に好感を持ちました。

はるはな さんからのご投稿(2006.05.17)

三成派 何か家康って憎たらしいんですよ!何故かは分からないのですが・・・

無し

恒 さんからのご投稿(2006.05.14)

三成派 秀吉の天下統一を支えた彼の政治能力は目を瞠るものがある。経理・兵站の調整、大名の取り成しなど、ただ力を振り翳していた福島正則・加藤清正ら猪武者達とは格が違う。上杉との和睦や九州征伐は彼がいたから功を成したのだ。また、民・兵からも慕われていたと言う。関ヶ原の合戦では、三成の配下は命を惜しむことなく敵へと向かって行った。家康が天下を治めることになるが、それ以降、明治の黎明を見るまで日本の歴史や文化は低迷することになる。三成は天下を取る為に戦を起こしたのではなく、豊臣の恩顧に報いる為挙兵したのだ。私利私欲のない、平和主義者だと文献には残されている。

島左近 三成に過ぎたるもの、と謳われているほどの武将。しかし彼はどんな状況に陥っても唯一の主の為に戦略を使い、時に諫言をしながらも最期まで三成の志に仕えた。三成は敵が多かったが、彼の意見に賛同する友や家臣も確かに存在して支え続けた。

光 さんからのご投稿(2006.05.13)

三成派 三成の有名なエピソード、それらはどれも三成が好人物だと示してるから。(中には後世の創作があるかもしれないけど)やっぱりそんな人に勝って欲しかったな……。

島津義弘 撤退する時の捨てがまりはかっこよい!逃げるのに前進していくんだから!ww

紀之介さま大好き さんからのご投稿(2006.05.13)

三成派 四百年後のわれわれの心をこのようにかき立てる”歴史偉業”の一方の実質的司令官ですぞ。しかも、家康狸さんの十二分の一の収入でしかない。これぞ、戦国のミラクル、日本史の奇跡、ハートも頭脳も、度胸もルックスも超一流に決まってるじゃありませんか。江戸時代、二百六十年かけて、ネガティブキャンペーンを続け、だめ男のレッテルをはろうと、洗脳まがいの情報操作をして来た”たぬちゃん”の郎党たちの努力は、水泡に帰したのでした。幕府も滅んだし、治部殿、刑部殿、備前中納言殿、あなた方の勝ちも同然ですぞ。

大谷吉継 決戦の直前まで、北陸で前田利長を赤子扱い、手玉にとって、本国に引き上げさせる、大奮闘。とんぼ返りで”関が原”に強行スケジュールで駆けつけ、ほとんど、休憩なしのまま戦いに臨み、一度は、”小早川裏切り金吾”を敗走させる。このような名将は、歴史上何人いるでしょうか。いないって?一人いるのですな、紀之介様あなたで〜す。

9歳の上杉景勝 さんからのご投稿(2006.05.12)

三成派 家康に天下を取らせるのが面白くないから

島津義弘 たった千の兵で中央突破しようとしたから

PAL さんからのご投稿(2006.05.11)

三成派 量子力学的にいうと、西軍の勝っている別の宇宙も存在しているんだ。われわれは、枝分かれしたもう一方の未来の住人だけど、あっちのの方が魅力的だよね。何せ、黄金の”安土桃山時代”が当分続いているわけだから。

吉川広家 彼の罪は重い。個人的感情を政治に持ち込んじゃいかんよ。天国では、隆景叔父さんに叱られているだろーな。

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