- 石田三成による水攻めに耐え、城が落ちないのは城が水に浮くからだと恐れられ「忍の浮城」と称された。三成の水攻め失敗は有名。
[たんじる (2001.9.2)]
[石川造酒正 (2000.4.4)]
- 近くの道も整備されていて、江戸時代にトリップした気分が味わえるかも?!
[吉本こずえ (2001.4.17)]
- 浮き城「忍城」の名残は本丸土塁と諏訪曲輪の一部のみ。鐘楼は改修されて残存。鐘は新鋳のもの。現品は博物館に展示。
三階櫓(ほんとうは三の丸に建っていた)は本丸跡に復興。
城沼はほとんど埋められて市役所、産業会館、学校になっている。一部が水城公園として残っている。
本丸は野球場になっていたが、博物館として整備された。入館料200円。全曲輪、城下の復元ジオラマは圧巻。
[石川造酒正 (2000.4.4)]
- 本丸跡に博物館がある。復興三重櫓があるが、本来三の丸にあったもの。
博物館から国道を挟んで北側に東照宮があり、その裏に土塁と水堀の跡がある。また南東部にある水城(すいじょう)公園はかつて堀の役目をしていた沼地を利用した公園。
[ヒラリン E-mail:hiraling@cablenet.ne.jp (2002.8.18)]
- 15世紀末に、地元の忍(おし)氏を滅ぼした成田氏により築城。以後約1世紀に渡って成田氏が城主となる。1590年の秀吉の小田原攻めに際し、石田三成らに攻められるが、小田原開城まで持ちこたえ、名城と謳われた。江戸期は阿部・松平(奥平)など譜代大名が入る。明治維新で大部分を破却。
[ヒラリン E-mail:hiraling@cablenet.ne.jp (2002.8.18)]
- 埼玉県熊谷市を本拠地とする成田氏が築いた城で、文明11年(1479)の古河公方足利成氏の書状に「忍城」とでてくるそうで、この時代には既に築城されていたと考えられています。成田氏は北条氏に属していたため、豊臣秀吉の小田原征伐の時には北条方につき、石田光成が水攻めをしました。約1週間で延長28キロにもおよぶ堤を築き、利根川と荒川の水を引き入れました。しかし、いくら水を入れても落ちないのは「城が浮いているからだ」と言われるようになり、別名「浮き城」という名前がつきました。その時の堤も今も一部残っているそうで、「石田堤」と呼ばれております。結局小田原落城後もこの城は落とせず、開場(降伏)してもらったそうです。このあと行田10万石として徳川家康の4男、松平忠吉が入場します。以降徳川の親藩や譜代の大名に引き継がれ、明治維新の時、取り壊されます。昭和63年(1988)に再建されました。
[小林 幸雄 E-mail:posaune@jweb.co.jp (2002.5.8)]
- 交通:[鉄道] JR高崎線、吹上駅下車、バス前谷経由行田車庫行「忍城」降車、徒歩すぐ。または、秩父鉄道線、行田市駅下車、徒歩15分。
[自動車] 国道125号を行田市内「市役所入口」交差点から西に300m。
[ヒラリン E-mail:hiraling@cablenet.ne.jp (2002.8.18)]
- 資料:博物館に展示と解説あり。館内でパンフレットを販売。学芸員のお兄さんが親切で、縄張り図をいただいた。
[ヒラリン E-mail:hiraling@cablenet.ne.jp (2002.8.18)]
[石川造酒正 (2000.4.4)]
- 撮影アドバイス:丸山古墳から天守を狙うと良し。三成の陣地。
[石川造酒正 (2000.4.4)]
- グルメ:「上山菓子店」駄菓子。博物館の北、東照宮前。行田名物「フライ」300円はいかが?
[ヒラリン E-mail:hiraling@cablenet.ne.jp (2002.8.18)]
- 歴史スポット:行田市にはお城以外にも、国宝の鉄剣が出土した古墳などがあります。
[吉本こずえ (2001.4.17)]
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