岸和田城
(千亀利城)
 

 
写真:岡 泰行
 
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  • 岸和田城は元弘4年(1334)、楠木正成の一族、和田高家が築きし城。天守閣は文政10(1827)に焼失、昭和29年(1954)に岸和田市の再建。現在は本丸・二の丸の石垣と水堀を残し復元天守が資料館。
    [ゆかs (2000.01.18)]

  • 休館日は毎週月曜、年末年始(12/29〜1/5)、お城まつり(4/1〜15)、9/15。料金は大人200円、小人100円。
    [半兵衛 (2000.01.18)]

  • 別名、千亀利(ちきり)城、猪伏山縢(ちぎり)城などと呼ばれている。現在の天守閣は3層だが、焼失した天守閣は5層。天正15年(1587)に近世の城として小出秀政が大改修を行った。慶長2年(1597)、五層の天守閣が完成。元和5年(1619)、松平康重が入封し城下町の整備を行なった。寛永17年(1640)、岡部宣勝のとき、再び大改修が行われ、伏見城の櫓と城門が移築された。このとき、総曲輪を持つ城となる。明治に本丸・二の丸の石垣と水堀を残し破却。現在、内部は郷土資料館。春は桜が美しく、毎年4月1日〜5日にお城まつりが行われる。
    [半兵衛 (2000.01.18)]

  • 1999年6月28日の豪雨で、城の石垣が崩れました。石垣修理をしていますが和泉砂岩の強度が弱いとのことで中国産と思われるピンク色花崗岩を多用しています。石垣は現在ピンク色のモザイクで、コンクリートにタイルをはりつけるような感じです。大阪府の史跡なのに、こういう修復の仕方でもいいのですね。岸和田城の石垣のなかにはコダイアマモの化石も含まれているのですが、使われなくなった石は捨てるそうです。
    [城文鳥 (2001.1.5)]

  • 岸城神社周辺の岸城町には武家屋敷の長屋門が残ると言われているが、パンフなどに掲載されている長屋門は近年、取り壊したらしく今は無い。
    [左近 (2002.09.28)]

  • 二の丸広場よりの西方の眺めが古い町並みがあって良い。岸和田は空襲にあっていないことから町並みを歩いてみてもどことなく風情がある。余談だが、この地はもともと「岸」と呼ばれていたところらしく、楠木正成一族の和田高家が築いたことから「岸」の「和田」がなまり「岸和田城」と呼ばれるようになったそうな。
    [大納言 (1999.05.02)]

  • 交通[鉄道] 南海南海線、岸和田駅下車、徒歩15分。または、蛸地蔵駅下車、徒歩5分。
    [自動車] 阪神高速湾岸線、岸和田南ICから。無料駐車場有り。
    [半兵衛 (2000.01.18)]

  • 撮影アドバイス:「五風荘」から天守を狙うと良し。時間は夕方あたり。季節は春が良い。以前は岸和田高校付近が良かったが、石垣がピンクになったのでちょっと変。
    [城文鳥 (2001.1.5)]

  • 歴史スポット武家屋敷が2軒残っています。また、近くの五風荘は戦前の紡績王の別荘で、お庭がきれいで公開されています。天性寺蛸地蔵が紀州街道に残る。岸和田の落城を救ったと伝えられる地蔵尊が安置されている。または、岸和田市野田町の古城。近場では、泉大津市松之浜2丁目に膳所城の移築城門がある。
    [城文鳥 (2001.1.5)]
    [半兵衛 (2000.01.18)]

 
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