日野江城

住所:長崎県南島原市北有馬町戊 / 長崎県 / 城ファンチェック: 6

写真:岡 泰行

交通アクセス交通アクセス

鉄道利用

島原鉄道、北有馬駅下車、徒歩20分。またはタクシーで10分。

マイカー利用

駐車スペースは路上に少々。

近郊グルメ近郊グルメ

「喜作」肥前名護屋から取り寄せのイカの刺身とフグがうまい。島原の郷土料理「具雑煮」定食(1,300円)も。具雑煮は原城での篭城食と言われ、本来は雑草など食べられるものはなんでも入っていたらしい。これも出汁がきいておいしい。
[林田公範 (1999.11.04)]

長崎県の観光おすすめ長崎県の観光おすすめ

沖田畷古戦場跡

天正12年(1584)、龍造寺隆信 vs 有馬晴信・島津家久の合戦がありこれを「沖田畷の戦い」という。発端は、龍造寺氏に反旗を翻した有馬晴信の征伐で、晴信が島津氏に救援を要請、島津氏の武将川上忠堅に龍造寺隆信は討ち取られた。大阪の四條畷など、「畷(なわて)」とついている地名は、湿地帯に細く伸びた道を指すので、当時、森岳城(島原城)付近はそういった地形で、沖田畷古戦場は、交通の要衝だったのだろう。沖田畷古戦場跡には、龍造寺隆信の供養塔が建っている。

 

有馬晴信謫居の跡

日野江城からかなり遠いが、山梨県甲州市大和町初鹿野に「有馬晴信謫居の跡」がある。晴信は秀吉のもと九州平定に参加、朝鮮の役にも従軍した。関ヶ原では徳川方となったが、岡本大八事件があり、甲斐に流され死罪となった。切支丹のため切腹はできず、家臣により斬首された。晴信の娘は、有賀家へ嫁ぎ、その謫居跡を守ってきたらしい。その後、晴信の子孫、丸岡藩の有馬家は、命日に有賀家へ献上品を持っていかせていたという話が伝わっている。

 

付近の有名なお城

ここまで来れば島原城原城もすぐそば。見逃すなかれ。

城ファンチェック (6)

  • avatar

    1999.11.04 林田公範 さんより

    龍造寺氏をも凌ぐ勢いで肥前を掌握していた、キリシタン大名有馬氏の居城。金箔瓦につづき、昨年、東側の二の丸付近から切石による外来系の石垣が発掘されたのも記憶に新しい。イエズス会の報告から有馬晴信の代のとき石垣が用いられたと推測されている。

  • avatar

    1999.11.04 林田公範 さんより

    現在、教育委員会の手により発掘調査中。現地でその形が日々解明されている目の離せない城跡だ。

  • avatar

    1999.11.04 林田公範 さんより

    日野江城と原城は、3kmと離れていないが、朱色の橋が両城を結んでいたという説があり、柱の跡などが見つかっているが定かでない。

  • avatar

    2014.10.22 林田公範 さんより

    安土城にも似た直線的な階段遺構の一部が、2015年3月まで仮設覆屋で保護されるかたちで、十数年ぶりに再び姿を現している。見るなら今しかないかも。

  • avatar

    2014.12.17 有馬晴信 さんより

    山梨県甲州市大和町初鹿野に「有馬晴信謫居の跡」がある。晴信は秀吉のもと九州平定に参加、朝鮮の役にも従軍した。関ヶ原では徳川方となったが、甲斐に流され死罪となった。切支丹のため切腹はできず、家臣により斬首された。晴信の娘は、有賀家へ嫁ぎ、その謫居跡を守ってきたらしい。その後、晴信の子孫、丸岡藩の有馬家も命日には、有賀家へ献上品を持っていかせたとのこと。

  • avatar

    2015.06.07 ゆう さんより

    駐車スペースから、日野江城大手門跡の坂道の昇っていくと石垣があります。
    イノシシ除けの柵がありました。一番下の柵を入ると、仏教排斥の痕跡らしきサンスクリットが書いてある石が見えます。仮設覆屋は、2015年のゴールデンウィークにはまだ残っていたので、足場の上からじっくりみることができました。
    砂利道を上がって、大広場を見学後、駐車したところに戻る途中、20年間日野江城を見て回っている男性と出会い、遺構を案内してもらいました。ガイドブック自体がない中、場所だけ調べて、見学したので非常に助かりました。
    南島原市役所ももっと世界遺産に登録されるように力を入れてるようには見えませんでした。2015年秋のイコモスの視察でどう評価されるのでしょう。20年間、独学で日野江城を見て回っている男性の方の力を借りればいいアピールになると思います。彼も、南島原市に提言しているようですし、是非、世界遺産に登録されてほしいな

口コミ投稿

ささ、あなたの知っている日野江城ネタをご投稿ください

お城めぐりFANライブラリ:日野江城フォト

あわせて読みたい