2019.10.20   /   城・戦国Pickup   /  

勝竜寺城公園

明智光秀最期の城 勝竜寺城公園リニューアルオープン
~明智家の門外不出の伝承品 日本初 一般公開~

明智光秀とその娘の細川ガラシャのゆかりの地として、「勝竜寺城公園」を約30年ぶりにリニューアルしました。

【リニューアル記念式典】
日時:11月2日(土)13時~

【勝竜寺城公園の主なリニューアル内容】
1F観光情報ターミナル
 市内の観光名所情報を映像や案内ボードで紹介。
2F歴史展示コーナー
 市の歴史発信拠点として、明智光秀・細川ガラシャ・藤孝・忠興の生涯を展示パネルや映像展示。勝龍寺城の特徴・出土遺物等もわかりやすく展示。

明智家門外不出の伝承品 日本初一般公開

伝明智光秀兜11月2日~10日の期間、明智家の末裔に伝わる「伝明智光秀兜・采配」を限定特別展示(入場無料)。室町時代後半に作られた明智光秀末裔の家系で発見された「伝明智光秀所用 六十二間筋兜」。当時の高位の者のみが着用することのできる六十二間の筋兜であり桔梗紋があしらわれている。火縄銃にも強い早乙女派の兜。これまで門外不出のもので、一般公開は日本初。(一般社団法人明智継承会より借用)

歴史講演

11月2日(土):「勝龍寺城 ! ココがすごい!」千田嘉博氏(奈良大学教授)
12月8日(日):「明智光秀・ 細川藤孝と長岡京市」磯田道史氏(国際日本文化研究センター准教授)

勝龍寺城(勝竜寺城公園)とは

安土城に先行する織豊系城郭の最古級の城

明智光秀の娘 玉(細川ガラシャ)が、肥後細川家の祖 細川藤孝(幽斎)の嫡男 忠興(三斎)のもとに輿入れし、幸せな新婚時代を過ごした勝龍寺城。山崎合戦の際には、敗れた光秀が坂本城を目指してこの城から敗走したと伝わります。

京都と大阪の間に位置することから、織田信長の命を受けた藤孝が、元亀2年(1571)に京都防衛の軍事拠点として大規模に改修しました。安土城に先行する織豊系城郭の最古級の城で「瓦・石垣・天守」という当時の最新技術で築かれています。

瓦は、光秀の坂本城(大津市)や佐々成政の小丸城(越前市)の瓦と同じ型で作られ、信長が抱える瓦職人が派遣されたと考えられています。石垣には自然石のほか、石仏や五輪塔などの石造物も使われました。天守は、発掘調査で明らかになっていませんが、藤孝が“殿主”で三条西実澄から古今伝授を受けたと記録されています。光秀が脱出したという北門には、当時の石垣が一部残り、枡形虎口を今に伝えるほか、公園の北300mのところには、土塁・空堀跡が復元・整備されています。

11月10日(日)は、絢爛豪華な時代衣装で行列する「長岡京ガラシャ祭」

城跡は長く荒廃していましたが、地元住民からの強い要望を受け、平成4年(1992)に勝竜寺城公園として整備されました。同年から、絢爛豪華な衣装で玉の輿入れ行列を再現する「長岡京ガラシャ祭」が毎年11月第2日曜日に開催。細川ガラシャゆかりの城として全国から多くの人が訪れます。

肥後細川家にとって長岡京市は特別な土地で、藤孝は、織田信長から長岡京市を含む西岡一帯の支配を許されると長岡藤孝と名乗るようになり、終生長岡姓を名乗りました。その後も長岡姓は家中の格式として一門・重臣に与えられました。

詳しくはこちらをチェック

http://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001138.html

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