2020.09.03   /   城の歴史旅   /  

シリーズ『城の歴史旅』

城ファンが一期一会で出会ってきた城や情報─。
シリーズ『城の歴史旅』は、記憶に残したい見聞を強者たちが紡ぐコラムです。

伊予松山城:本荘良智

[File.003] 本荘良智

シリーズ城の歴史旅:『四国現存天守を巡る旅 伊予松山城』

私が初めて伊予松山城に訪れたのは2010年9月。広島県呉港から高速船スーパージェットで瀬戸内を渡り松山観光港へ至るルートで、四国初上陸でした。伊予松山は城だけでな無く、小説「坊ちゃん」でも知られている道後温泉、明治に活躍した秋山兄弟、俳人正岡子規の生誕地でも有ります。この旅の目的は四国の現存天守4城制覇でした。

呉港中央桟橋から始発(07:53)の高速船スーパージェットで約1時間、松山観光港に到着、リムジンバスで約30分、伊予松山城の在る勝山前停留所「大街道」で降車。ココからは、すぐ目の前が城ですがとりあえず当日の宿泊ホテル(停留所近く)に荷物を預け再出発です。

松山城は、標高130m比高差100mの平山城なので徒歩での登城も訳ないのですが、先はまだ長いので体力を温存…?という事でリフトを使い山上へ。緩い坂道を登ると石垣が見えてきます。ドキドキしながら大手門跡を前方に、「筒井門」の在る高石垣を右に巻いて登ると右上に黒下見板張と白漆喰のコントラストが効いた太鼓櫓が現れます。青い空の鮮やかさにマッチしているのを見て思わず笑顔。しかも奥の方に天守も小さく顔を出しています。

太鼓櫓

その先で、城道を折返す様に「戸無門」を潜ります。この門は字の如く扉がありません。何故!? それは敵を一気に攻め上がらせ次の「筒井門」と「隠門」で撃破する仕組みであろうと云われています。また筒井門の名の由来は、城主・加藤嘉明が松山城築城以前の居城、筒井松前城(松山城南西約10km)から移築された門なので筒井門と命名されたようです。因みに現在は、松前城にはその遺構は無く、城址石碑が建つのみです。

戸無門・筒井門
筒井松前城

さて私は筒井門・太鼓門を一気に攻め上がり、細長い削平された場所に出ました。そうです、本丸に到着です。奥には天守群が見えますが、城の中に小さな城がもう一つある様な印象です。天守は小天守と8基の櫓(多聞櫓も含む)に守られ堅固な要塞に造られています。

松山城本丸から北西を望む
松山城天守

また、加藤嘉明は関ヶ原の武功により家康から伊予半国20万石を与えられ、松山城の築城にあたりますが、築城逸話があります。当時、築城に際し当たり前ですが、幕府(家康)に許可を貰う事となっていました。嘉明は3ヶ所の候補地を挙げます。

嘉明は第2候補の「勝山」に築城したかったのですが、何故第1候補に挙げなかったのか…? これには訳があります。当時大名達が築城申請した際に必ず第2候補に許可が下りたそうです。特に秀吉傘下であった大名達が万が一謀反を起こした際、利のある第1候補地よりそれに劣る第2候補地に許可を与えた様です。それを見越して賭けに出て見事に当てたと言うお話です。

松山城下山後、実際に「天山」と「御幸寺山」に足を運んでみました。個人的に感じた事は「天山」は20万石の大名居城にするには小さな山です(冒頭写真は天山から望む松山城)。「御幸寺山」は松山市街地を一望出来、円形状の山で背後は山々が重なるので立地的には良いのかと思いました。

道後温泉本館

築城候補地見学後は旅の疲れを癒すため、歴史ある高級銭湯・道後温泉本館へGo! 翌日の四国現存天守2城目、大洲城経由・宇和島城へ備えホテルに足を向けました。

(文・写真=本荘良智)

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