2020.09.08   /   城の歴史旅   /  

シリーズ『城の歴史旅』

城ファンが一期一会で出会ってきた城や情報─。
シリーズ『城の歴史旅』は、記憶に残したい見聞を強者たちが紡ぐコラムです。

大洲城:本荘良智
[File.004] 本荘良智

シリーズ城の歴史旅:『四国現存天守を巡る旅 風雲 大洲城』

伊予松山城を見学した翌日、JR予讃線、08:09発特急宇和海5号で35分南へ。宇和島城へ訪れる前に大洲城に寄り道しました。空はどんより雲は低く雨が降る気配が…。

JR伊予大洲駅を降り徒歩で約30分、大洲城へ向かいましたが案の定強い雨と風が…! 松山で購入した頼りない折り畳み傘で急を凌ぎ、肱川橋に差し掛かると黄土色に水嵩が増えた肱川と右前方の小高い丘の上に4層4階の天守が見えました。この天守は明治に解体されますが、主に大洲市民の寄付により2004年木造復元されました。また大洲藩作事方棟梁中村家に遺された天守雛形(木組模型)や解体前の古写真を基に往時の工法で忠実に復元されています。

雨にも風にも負けず、何とか二ノ丸跡で有る大洲市民会館に到着、ズボンはビショ濡れになり玄関先をお借りして雨宿り。暫くすると雨も小降りになったので本丸へ、城郭は内堀も埋められ二ノ丸・表御殿・奥御殿跡は民家が建ち並び著しく改変されています。

緩い坂道をゆっくり進むと慶長初期に積まれた渋い本丸の石垣が雨に濡れてイイ感じで現れます。上を見上げると4層の天守が!右手には渡櫓で結ばれ2階部分に廻緑が付いた高欄櫓が見えて来ます。慶長初期には通常、天守最上階に付けられる意匠(廻緑→高欄)であり櫓に付けられるのは少なく、高い格式を持ち櫓名の由来ともなっています。

大洲城天守と高欄櫓
大洲城の石垣
城内側から見る天守と現存櫓

暗がり門跡を過ぎると本丸天守がある平場に出ます。城内側から見るとカギ状に天守が真中、左が高欄櫓、右に台所櫓となります。台所櫓は字の如く台所機能を持った櫓で籠城時の使用を考え構築されたと云われています。両櫓は、江戸末期の地震で倒壊しますが、1859年に台所櫓、1860年に高欄櫓と再建された現存櫓です。大洲城にはあと2基の現存櫓が存在します。

二ノ丸南東隅肱川沿・苧綿櫓

この櫓は1843年に再建され、川からの攻撃を櫓2面を格子窓と石落としが川面に向け装備。また1968年の解体修理の際、川の氾濫に備え石垣を2.6mの嵩上げがされています。
苧綿櫓

三ノ丸南隅櫓

往時は外堀沿いにあり、現在外堀は埋立られテニスコート・グランドに姿を変えています。このグランドの南側から望むと櫓のバックにカッコ良く天守と高欄櫓が目に映ります。また1766年建造で4基ある櫓の中では最古となります。
三ノ丸南隅櫓
おはなはん通り
両櫓を見学後は城下町の散策、大洲の地は1609年、脇坂安治が移封された際に前領地であった「洲本」から一字を取り「大津」→「大洲」に変更したそうです。町の中心を流れる肱川は昔から鵜飼も盛んで岐阜の長良川、日田の三隈川、そして大洲の肱川が「日本三大鵜飼い」として知られています。城下は風情溢れる昔ながらの建物が立ち並び、歴史を感じる事ができると思います。

(文・写真=本荘良智)

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