千早城の歴史・見どころ

千早城は、金剛山(標高1,125m)から西に伸びる尾根の673.9mピークに築かれた山城で、楠木正成の拠点として知られる。比高約175mの急峻な地形は天然の要害で、昭和9年(1934)に国史跡に指定された。

元弘元年(1331)、正成は赤坂城で挙兵するが敗退。その後、正慶2年・元弘3年(1333)に金剛山周辺で再び蜂起し、『楠木合戦注文』には「楠木爪城金剛山千早城」と記録される。『太平記』は「千剣破城」と呼び、「東西は谷深く切れて、人の上るべき様もなし。南北は金剛山に続きて、しかも峰絶えたり。されども、高さ二町ばかりにて、廻り一里に足らぬ小城」と、谷に囲まれた小規模ながら堅固な城であったと伝える。

幕府軍は河内・大和・紀伊の諸道から攻め寄せたが、正成は籠城戦を展開し、約5カ月の抗戦の末に、正慶2・元弘3年(1333)5月に六波羅探題が滅亡、勝利を収めた。

その後、戦国時代にも千早城は歴史の舞台に登場する。文正元年(1466)、畠山義就が紀伊から河内へ進出する際に「千破屋城ノ間」を通ったと『経覚私要鈔』に記され、畠山氏の抗争に関わる存在であった。

千早城は、東西約300m×南北約400m規模の連郭式山城の遺構が残り、主郭や帯曲輪、大規模な曲輪が確認される。遺構は後世の改変を受けているが、南北朝から戦国期に至る歴史の痕跡を今に伝えている。

参考文献:『千早赤坂城跡群調査報告書』(2025 一般社団法人 千早赤坂楠公史跡保存会)

千早城のネーミング由来

千早城は、金剛山の西山麓にあり金剛山に連なる兵陵上にある楠木氏の詰の城。千早城の「千早」とは、「千剣破」「千波屋」とも表記されており、勢い激しい風に由来する。千早城、上赤坂城、下赤坂城と知名度の高い3城の名を冠したかのような、現在の地名、千早赤阪村は、昭和31年(1956)に、千早村と赤坂村が合併したことによるものだ。余談ながら千早赤阪村は大阪府で唯一の村。

千早赤阪村立郷土資料館

楠木正成の誕生地という伝承が残る楠公誕生地付近、道の駅のそばにある。金剛バス「千早赤阪村役場前」降車、徒歩10分(上記Googleマップ参照)。

千早城の撮影スポット・絶景ポイント

千早城の写真集

城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、千早城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。

千早城周辺の観光スポット・史跡めぐり

有名城でいくとやはり、本城である上赤坂城、そして下赤坂城だろう。なお、北へ約3kmの道の駅付近には、楠公誕生の地を指す石碑や、産湯を汲んだ井戸、郷土資料館などがある。金剛バス「千早赤阪村役場前」降車、徒歩10分(詳しくは上記Googleマップ参照)。

ちょっと遠いが神戸の湊川神社は、楠公さん自害の地(延元元年5月)。ここに墓もある。水戸藩主徳川光圀が元禄五年に建てた碑もある。幕末の志士、坂本龍馬や中岡慎太郎、高杉晋作、西郷隆盛、桂小五郎も訪れたお寺だ。

千早城周辺グルメ・名物料理

千早城からさらに南へ行ったところに金剛山へのロープウェイ千早駅がある。この付近に「くるの茶屋」という地元で獲れる鴨や猪を使った鍋料理や山賊焼きが名物のお店があるぞ。夏は流し素麺をど~ぞ。手軽に済ますなら登山口前のおみやげ店へ。

千早城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村千早 [地図を見る]

県別一覧:[大阪府の城]

鉄道利用

JR大阪環状線、天王寺駅から近鉄 阿倍野橋駅へ乗換、南大阪線、富田林駅下車、金剛バス千早ロープウェイ行35分「金剛登山口」降車、徒歩すぐで登山口。登山口から本丸までは片道徒歩60分。または近鉄・南海電鉄、河内長野駅からバス。なお、バスは1時間に1~2本なので帰りの時間には充分に注意しよう。

マイカー利用

阪和道美原北IC、または西名阪自動車道藤井寺ICから、国道309号線、富田林付近で千早赤坂村方面へ。登山口前に有料駐車場(20台)あり。

地図