若江城
写真:岡 泰行
若江城のアクセス・駐車場
鉄道利用
近鉄奈良線、若江岩田駅下車、南へ徒歩15分。大阪市立若江公民館を目指す。若江公民館前にも、若江城址の石碑があるが、道路を挟んで反対側の神殿にも、旧若江城跡の石碑がある。木村重成関連の見どころは、若江公民館から徒歩圏内。
マイカー利用
近畿自動車道、東大阪南ICから、北東へ800m。若江小学校北側の大阪市立若江公民館の駐車場(2台程度)を利用する。
若江城の文献資料
現地では、若江公民館前に説明板があるのみ。
若江城の歴史観光スポット
木村重成の見どころが、若江城付近に点在
「木村守重の石像」と「木村長門守夫人貞烈碑(同所)」、「木村重成公霊牌所(蓮城寺)」、「木村重成の墓」は、見ておきたい。若江城の付近に点在しているため、詳しい場所はGoogleマップを参照してほしい。
木村重成の石像があるエリアは、今は区画が分けられていて実感しずらいが、広く、地元の名手、馬場氏の土地だった。若江城の石碑がある神殿とその土地も馬場氏が寄贈している。
現地の古老によると、秀吉の刀狩りでも、この馬場氏から「数多くの刀を持っていった」と言い伝えが残っているほどだ。昭和7年、この馬場氏が中心になり、当時を偲びその敷地内に木村重成の石像を建立した。馬場氏がこの土地にいた昭和のおわりまでは、石像の管理がなされていたが、現在は管理する人がなく荒れていることが多いらしい(写真は木村重成公霊牌所がある蓮城寺。右手のお堂の中に木村重成の油絵がある)。
木村重成は、大坂夏の陣で、豊臣方の主力として大坂城から出陣、「八尾・若江の戦い」で23歳の若さで戦死する。彦根藩士安藤長三郎が、木村重成の首級を挙げ、若江提に繁るすすきに包んで持ち帰り、彦根城下の菩提寺である宗安寺(滋賀県彦根市)に埋葬している(宗安寺に木村重成の首塚と安藤長三郎の墓が並んで建てられている)。境内には木村重成の首を包んだすすきが根付いた「血染めのすすき」も残る。余談だが宗安寺の山門は、石田三成の佐和山城の移築城門と伝わる(写真は若江城跡を南に下った第二寝屋川付近、木村公園(大阪府八尾市幸町6丁目2)に残る木村重成と山口左馬介の墓)。
また、木村公園の第二寝屋川の対岸に、若江南墓地があり、ここに「大坂夏の陣」で徳川方の武将として木村重成と戦い戦死した、山口伊豆守重信の墓がある。
そのほか、近鉄八尾駅付近まで南下すると常光寺がある。八尾の戦いで長宗我部盛親と戦った藤堂高虎の将士の墓が境内にある。高虎は常光寺の廊下で首実検を行い、その板が血天井として使われている。また、長宗我部盛親 物見の松といわれる盛親が徳川側の布陣を偵察した場所がその西にある。
若江城の口コミ 城ファンチェック (1)

2010.05.27 半兵衛 さんより
若江城は、信長の石山本願寺攻めや、雑賀攻めの前線拠点のひとつで、度々、信長もこの地にきていた。