佐和山城は、鎌倉時代初期に佐保時綱が館を構えたことに始まり、戦国期には近江支配の要衝として発展した城。豊臣政権期には石田三成が入城し、大規模改修により天守や城下町を備えた城郭都市として整えられた。現在は本丸跡の曲輪や土塁、石垣などが残り、山上からは彦根城を望む景観が美しい。このページでは佐和山城の歴史や構造、見どころや撮影スポットを豊富な写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
佐和山城の歴史と見どころ
佐和山城は、鎌倉時代初期に近江源氏・佐々木定綱の六男、佐保時綱が館を構えたことに始まる。15世紀中頃には六角氏の支配下で城郭としての整備が進み、犬上郡と坂田郡の境を押さえる要衝として機能した。
戦国期には浅井・六角の争奪戦が繰り広げられ、元亀元年(1570)には浅井方の磯野員昌が籠城。織田軍を8か月にわたり退け、堅城としての評価を高めた。その後、織田信長の配下で丹羽長秀、堀秀政、堀尾吉晴らが城主を務め、近江支配の重要拠点とされた。
天正18年(1590)、豊臣政権の五奉行筆頭・石田三成が入城すると、佐和山城は大規模な改修を受け、五層天守や城下町を含む惣構が築かれた。鳥居本を大手とし、内堀・外堀・町屋・武家地・鍛冶職人地が整備され、都市的構造を備えた城郭都市へと変貌した。その姿は、同時期に整備された安土城や大坂城、伏見城と同様、近世初頭の都市城郭としての先進的な性格を示している。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で三成が敗れると、佐和山城は井伊直政により接収され、慶長11年(1606)に廃城。石垣や建材は彦根城の築城に転用されたと伝わる。
平成以降の発掘調査では、幅22mに及ぶ内堀、町屋の排水路や井戸、鍛冶工房の跡などが確認され、城下町の具体像が明らかとなった。これらは、軍事と行政のみならず経済・生活機能をも備えた拠点であったことを物語る。
現在、山上の本丸跡には土塁や曲輪が静かに残り、石垣の一隅には往時の名残を感じさせる隅石が苔むしている。登山道を登りきった先、木々の合間から彦根城を遠望すれば、山の静けさの中に、かすかに往時の記憶が残る。
佐和山城の散策コース
ハイキングというより登山に近いと考えて靴などをしっかりと準備しよう。また、佐和山城は清涼寺、龍潭寺などの私有地なのでゴミなど迷惑をかけないよう充分に注意。主な登山口は、西側の龍潭寺(りょうたんじ)からと、東側の国道8号線からの2ヶ所。大手門跡からの登城は、道無き道を進むので登山の素人は厳禁。
佐和山城の撮影スポットと絶景
佐和山城に入ってしまえば、木々が生い茂っているので、さほど撮影時間を気にする必要はないが、実は午前中がおすすめ。本丸から彦根城の眺めは、西にある彦根城を望むので順光となる午前中が良い(逆に彦根城から佐和山の撮影は午後が良い)。また、表門跡(いわゆる大手門)も山の東側にあるのでこちらも午前中の撮影が良いぞ。また、その全景を捉えるなら、後述の「彦根キャッスルホテル」の上階からの撮影が良い。
佐和山城の写真集
城郭カメラマンが撮影した「お城めぐりFAN LIBRARY」には、佐和山城の魅力を映す写真が並ぶ。事前に目にしておけば現地での発見が鮮やかになり、旅の余韻もいっそう深まる。佐和山城とあわせて訪ねたい史跡
佐和山城の移築城門
近さと佐和山城から石材など転用された彦根城とセットでとうぞ。また、彦根城の城下町にある宗安寺の赤門を見ておこう。佐和山城の表門を移築したものと伝わっているぞ。その家紋である九曜紋が瓦に使われていることを要チェック。
佐和山城から広がる城めぐり
湖北の名城
浅井長政・羽柴秀吉・石田三成・井伊らの歴史が重なる、琵琶湖北の名城をたどる。
近江の戦国山城
尾根と谷を取り込み築かれた、近江を代表する戦国山城を歩く。
佐和山城周辺の名物料理
「千成亭」近江牛の専門店。彦根城の南西約800m。
佐和山城の観光情報とアクセス
佐和山城観光に便利なホテル
その近さから彦根城とセットでということで彦根界隈で宿をとると良い。
眺望で選ぶなら「彦根キャッスルホテル」。このホテルからの彦根城の眺めは圧巻。天秤櫓と天守閣、佐和口多聞櫓がセットで見られる。お城側の部屋は、その窓がまるで一枚の絵を切り取った額縁のような美しさ。
大人の贅沢さで選ぶなら、玄宮園の中にある「八景亭」。意外と知られていないが、実は料理旅館。江戸期の建築物で5部屋。70年の歴史があり湖国料理が楽しめる。ちなみに2名以上の要予約でランチも食べられる。安さで選ぶなら、JR彦根駅周辺のビジネスホテルをどうぞ。
佐和山城をより深く学ぶ資料・展示
『近江佐和山城・彦根城』城郭談話会(サンライズ出版)が、最も詳しい。佐和山城の縄張図をはじめ、歴史、石垣、絵図、遺構など解説がなされている。
佐和山城:城ファンの知見と記録
佐和山城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全14件)。
佐和山城での発見を記録に残しませんか?
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年より日本各地の城郭を訪ね歩き、取材と撮影を続けている。「先人たちの知恵とおしゃれ心」をテーマに、四半世紀にわたり城のたたずまいと土地の風土を記録してきた。撮影を通して城郭に宿る美意識を見つめ、遺構や城下町の風景に残る歴史の息づかいを伝えている。作品は書籍、テレビ、新聞など多くのメディアで紹介され、城の美しさと文化を広く発信している。







佐和山城は関ヶ原の戦いで三成が敗れたあと、彦根城の築城に伴い廃城となった。2022年8月、石田三成の佐和山城本丸から北東に約700mの場所で、外堀の一部とみられる大規模な溝が見つかった。長さ7m、幅10m、深さ70cmで具体的な位置や規模が確認された。
2013年11月23日 狼煙駅伝に併せて登城しました。三成公はじめとする武将隊や三成公ファンの皆さんと、鎌刃城からののろしや彦根城を見下ろしてきました!
龍潭寺側からの登城でしたが、途中けものみち?と思うほど険しい山道に、他の山城を登城する時「佐和山城よりは楽だ!」と思いながら歩いていますが、佐和山城は私の中では極上の城です!
山道は、主要なところ以外は整備されていないため足元にお気を付けて。あと、時期によっては虫刺され対策はしておいた方がいいです。30分程度で登れます。ガイドさんが入口にいるので、ガイドつきだとお城についても詳しくなれそうです。
山頂の佐和山城址からの眺めはとても良く、琵琶湖や彦根城を見下ろしながらお弁当を食べるのにとても良い場所でした。(ベンチも数か所に設置されています)
先日行きましたが登山道は整備されていないので太鼓丸、女郎谷は藪漕ぎしないと入れませんでした。山頂から大手門跡へ下る時は近江鉄道(単線)の線路を横切りますが踏切などは無くカーブとなっているので念のため気を付けてください。また、地元の方に聞きましたが春先から秋口にかけてはマムシが多いそうなのでご注意ください。
2003年に「佐和山城研究会」の勇士が、佐和山城本丸の南側斜面にて新たな石垣を発見した。千貫井の上(西側)で、付近はかなりの急斜面なので注意が必要だ。
彦根市のサイトで「佐和山城跡解説シートや本丸跡測量調査」などが見られるぞ。本丸付近の8ヶ所で石垣が確認されているのが図で解る。
石田三成の銅像が龍潭寺(りょうたんじ)付近からの登山道入口にあるぞ。
当時は、佐和山城の西側まで琵琶湖の水が入り込み、その対岸に彦根山があったそうだ。また、当時の佐和山の城下町は、山の東側にひらけていた。鳥居本村から佐和山の裾にかけて。表門と呼ばれるいわゆる大手門も東側にある。
織田信長の家臣の丹羽長秀の居城であったものを秀吉時代に三成が拝領し、戦国時代の本格的な城として完成させたことは有名です。関が原の戦い直後に小早川秀秋らに攻められ落城し、遺構は彦根城などに全て移されてしまいました。
とにかく遺構らしきものは何も残っていない城です。所々に道標と何々跡といった標識と石垣がほんの少しあるだけですが、そこがまた素晴らしいのです。石田三成のファンにとっては、正に『聖地』と呼ぶに相応しい場所だと思います。無の状態から貴方の佐和山城をイメージし創り出してみてください。
彦根城の世界文化遺産登録を目指し、整備などを滋賀県が彦根城に行ってきたらしいが、NHK大河ドラマで佐和山城の話題が後押しし、2001年度から発掘調査が約1千万円の調査費で行われたのだとか。
本丸からの彦根城の眺望が良い。遺構は徳川氏と井伊氏によりことごとく彦根城に転用されたと言われている。
落城後、城から身を投げた子女のうめき声が1週間絶えなかったという。
JR彦根駅前に観光案内所がある。マップをGET!登山口の西側の龍潭寺(りょうたんじ)と、東側の国道8号線からの2ヶ所をチェックしておこう。